コナサン、ミンニチワ!立秋、そして処暑の時期を迎えても、依然厳しい残暑の今夏である。
その様な中、昨日、全国高校野球甲子園夏季大会決勝が沖縄代表興南高と、神奈川代表東海大相模高の対戦にて行われ、興南高が13-1にて快勝。沖縄代表としては、高野史上初めての夏季大会優勝並びに同一年の春夏連覇の快挙を果たした。まずは、一言奉祝申したい。
高野初の沖縄代表校、首里高の夏季甲子園大会出場は1958=昭和33年。当然ながら、当時の沖縄は米合衆国の占領統治下であった。選手各位は旅券を持って本土入り、当時の福井代表、敦賀高との初対戦は0-3の敗北を喫するも、本土の観客の反応は暖かく「又是非来る様!」との声援が多く寄せられた由。ただ、記念に持ち帰りを図った甲子園の土が、当時の植物防疫法で外国の土と判断され、那覇港にて投棄処分の憂き目に遭った史実があるのも事実である。
初出場当時は、満足な練習環境も整っていなかったと言われる沖縄代表も、年毎に着実にレベル・アップを果たし、平成初期の1990年前後よりは、甲子園大会にても首位戦線に食い込む力量を見せ始め、優勝の文字も現実を以て語られ始める。更に今年に入って、遂に興南高によって積年の夢が実現に至った次第。春夏連覇は、高野史上6校目と言う事だ。
興南高野球部主将は、「これは、沖縄県民で勝ち取った勝利」との優勝コメントを残したとされる。想えば、先の大戦大東亜戦争こと太平洋戦争時の、唯一の日米地上戦にて広島・長崎の原子爆弾投下被害に匹敵する20万を超える犠牲を生じ、戦後は米合衆国の基地負担などで塗炭の苦しみを味わって来た、沖縄県民各位の強い応援あったればこその栄冠である事は想像がつくと言うものだろう。未だ普天間飛行場移転問題などで揺れ続ける沖縄。それらの解決と並び、此度の快挙が、不況下でも頑張る沖縄県民各位への大いなる希望となる事を、心よりお祈りしたい。