Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

遂に「退任挨拶」が始まった

2008-12-07 16:42:21 | 旅行記

コナサン、ミンニチワ!2008=平成20年も最終月となり、冬らしく日によっては朝晩強く冷え込む様になった。気象庁の長期天気予報にもあったが、今月は気温が低めで、寒い日が多くなりそうな気配。続く年明けが暖冬、厳冬のいずれか気になる所ではある。

さて、拙Cafe日記にても取り上げている名古屋鉄道の名物車「パノラマカー」が今月下旬、遂に事実上現役を退く事と相成った。それを控えて今秋より、同鉄道各線にてパノラマカーの退任挨拶とも言える特別運転が催され、多くの愛好者の喝采を浴びたのは或いはご存じと思う。

この大任を担ったのは1962=昭和37年に落成した第6編成1号車=7011、2号車=7162、3号車=7061、4号車=7012の面々。この編成は当初6両編成の所謂P6としてデビュー、両先頭車には愛好者間では伝説として語り継がれる「フェニックス=不死鳥」の紋章が掲げられていた様だ。1968=昭和43年頃、同期の仲間の内では一番早く4両化=P4への変更を受け、その後一度は6両編成に復帰したものの1987=同62年には再び4両へと短縮、この時車内を指定席特急向けに改良され、窓下に白帯を掲げて再出発を遂げている。

今世紀に入って消去された白帯だが、内装は高レベルのまま残り、この度惜別記念も兼ねて、再び窓下の白帯も掲げられた次第。この編成の特別列車の走行シーンを見て「いよいよその時が・・・」とお思いになった各位も多いのではないだろうか。

おまけ画像に、拙故郷の豊川線を行く同編成の雄姿をお目にかけます。それにしてもこの編成を初めとする第2次増備車の24車、貸切特急車の今はなき「パノラマ・デラックス」に部品を供出した4車を除き去年まで全車健在で、45年に亘る長寿を誇ったグループ。今年の特別運転はひとまず終了の由だが、続く年明けから来春にかけ、最後の日までのつつがなきを心より祈りたいものであります。

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疲れ~パノラマカーの視点より

2008-12-04 22:47:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

今月がお誕生月の、天皇陛下のご健康がやや優れない様ですね。
報道によれば、少しく循環器に疲れがお有りとか。普段は民間行事への関与をも含めたご公務が想像以上にお忙しく、10日以上もお休みになれない時もあるとか。

宮内省を中心に、日程に無理のない様調整する動きはある様ですが、もう若くはないお身体。幾らご自身の意思によるとは言え、くれぐれも健康留意にて、やはり過日体調の優れなかった皇后陛下と共に、どうかつつがなきをお祈り申すばかりです。

さてさて、話を名古屋鉄道パノラマカーの車内へと戻す事としましょう。冒頭に天皇陛下のお疲れの話題を持って参りましたが、これは決して我々庶民とも無関係ではないと思います。

パノラマカーを初め、名古屋鉄道やJR東海、近畿日本鉄道の列車に乗り込んでみても、出発後暫くすると、お休みになっている乗客各位は結構多い様です。10月に乗った近畿日本鉄道の大阪難波発名古屋行特急にては、私の乗った車両の実に半数近い方々が居眠っていらした記憶があり、思わず夜行列車かと錯覚してしまったものでした。
確か某雑誌の記事にて拝読した記憶があるのですが、列車乗車中に、これだけ多くの乗客が居眠ってしまうのは世界的にもやはり異常であり、我国社会が疲弊している証拠ではないかと言う事でした。

確かに昨今の経済情勢悪化で、派遣社員などの非正規雇用がカットされて人員が減らされている一方で、残された正社員への1人当りの負担は大きく増える傾向にある。色んな仕事や雑用を担わなければならず、必然的に勤務超過や昼時などの休憩縮小、甚だしければ休日出勤などの事態を生じます。当然疲労の度合いは増大し、列車などでの移動中に睡眠を求めがちになってしまう訳ですね。

もう一つ見逃せないのが、最近医学的にも問題になっている睡眠障害。
夜間、居所の周囲が騒音に見舞われるとかの外部的要因もさる事ながら、騒音がなくても生理的に良く眠れないと言う困った症状が増えている様であります。かく申す私も時折見舞われる事があり、寝苦しくなりがちな夏場などは、辺りが静かにも関わらず一睡も叶わない事もありますね。又この事が、年間約3万人を数える自殺の一因となっているのは遺憾な事でしょう。

前回記事でも少し触れましたが、現代社会はともすれば効率優先にて、特に精神面の余裕がなくなって来ている様に思います。それ故時間的にも、又環境面でも良く眠れる条件が悪化して来ているのではないでしょうか。この事は年齢、性別に関係なく良からぬ影響を及ぼすと私は見ている所です。

男性では、前述の天皇陛下が見舞われた循環器周りの不調や胃腸の不具合、女性なら生理不順とか、妊娠中の方であれば流産など思わぬ重大事態の原因となりかねない事でしょう。更に居眠りが原因の、深刻な交通事故の発生も懸念される所です。
国家社会にとっても、将来の医療費増大を招かない為にも、きちんと睡眠を取れる環境作りは必要であると強く思います。

そう言えば、パノラマカーの先頭席よりの風景も近年は様変わりした様に感じます。
新しい建物設備などの刺激的な因子は増えたものの、人の目を和ませる、穏やかな事共が次第に失われて来ている様に思えるのは、気のせいでしょうか?*(地球)*
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出発~パノラマカーの視点より

2008-12-01 23:36:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!
2008=平成20年も、遂に最終月を迎えました。思えば激動の1年ではなかったかと思います。詳しくは追って触れて参りたく思います。

まずは拙趣味の鉄道交通の分野の話にて恐縮なのですが、昨日付で遂に、新幹線の先駆者0系車両が44年間に亘った現役の座を退きました。
人類の交通史上に確実にその名を残すと言われる世界の名車であり、その最期は我国の多くの愛好者達はもとより、欧米など諸外国の方々よりも見送りを受けていた様ですね。
まずは心より「お疲れ様。有難う」の一言を申したく思います。そして・・・

その言葉をかけなければならないもう一つの名物車が当地にあります。
そう、名古屋鉄道パノラマカーであります。先日申した通り、遂に今月下旬での現役引退が決定致しました。
今月の拙日記は、独創にして大いなる人気を博したパノラマカーの前方より飛び込む展望風景を借景に、時には名脇役たる中間車より、色んな事共に関する拙見解を少しでも多く披露できればなどと画策致しております。

今月拙記事の最初は先月下旬、拙小学生時分の思い出もある当地蒲郡市近くの三河湾沿いに参った時の模様より。
11/24の振休月曜、引退の迫ったパノラマカーの特別走行が地元の名古屋鉄道蒲郡線にて執り行われ、多くの愛好者が集結しました。
当日私は不心得にも、自家用車による同列車追跡を図って蒲郡市内に入りました。地元では有名な形原温泉近くの生協の店舗に雑用もあって立ち寄った私は、思わず我が目を疑う光景に遭遇したのでした。

買い物中の顧客各位は、その殆ど全てが70歳以上と思われる高齢の方々ばかり。この手の小売店には必ず見られる若い親子連れの姿が何度確かめても見当たらないのです。
「いつから、こんな街になってしまったのか・・・」時間帯と言う事もあったのでしょうが、それにしても衝撃の風景ではありましたね。
その後も、国道247号を西へ走って撮影地点近くでは車を降りて少し歩いてみたのですが、若者と言えば、煌びやかな社外製アルミ・ホイールに履き替えた大型乗用車に乗って出かける休日らしい若い男女を1組見かけたのみ。愛知県の国道にしては車の往来も多くはなく、沿道には空家も少なくない芳しからぬ光景が否応なく視界に入って参ります。

「あっ!これは・・・」私には記憶がありました。今春、長崎県の有明海沿岸を走っていた、今は亡き島原鉄道口ノ津線にて見かけた光景と余りに酷似していたのです。
程度の差こそあれ、目立つ空家や廃屋、高齢者ばかりになってしまった住民達・・・まさか同じ事が、当地愛知の域内にて起き始めているとは考えたくはありませんが、しかし無関係では済まされない様であるのも事実です。
愛知屈指のマリン・レジャーの拠点であり、又その事を拠り所に発展して参った蒲郡。休日ともなれば、多くの家族連れや若者達で賑わう一方で長崎島原や岐阜養老にて目の当たりにした過疎の足音が、当地にも聞こえて来ているのでは、とふと思ってしまった次第。

少子高齢化とは良く言われる所ですが、ただでさえ管理社会の高度化もあって人々が夢や希望を抱き難くなっている所へ、昨今の金融危機より来る経済悪化が拍車をかけている実態があるのは事実。そうした事を打開する決意と努力が政治や行政に強く求められているはずですが、先日の政権党対第1野党の党首討論の内容よりは、そうした声は聞こえて来ない様な気が致します。パノラマカーの車窓に映し出される風景は、思えば正直なものであります。続く*(日本)*

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さらば!先駆者新幹線0系

2008-12-01 01:07:10 | 日記・エッセイ・コラム

  コナサン、ミンバンワ! 2008=平成20年も最終月が来てしまった。と言う所で、今月も拙ブログを宜しく願います。

度々の報道にてご存じであろう東海道新幹線の初代車両0系が遂に昨11/30(土)付で現役を引退した。大量輸送高速鉄道として世界に名を挙げた初代車両で、活動期間は実に45年近くに及ぶ。この間輝かしい無事故の記録を更新しながら、活躍舞台の東海道・山陽新幹線は元より我国の全新幹線の勢力拡大と、世界の高速鉄道の隆盛に貢献して参ったと申して良いだろう。又、1975=昭和50年春の山陽新幹線の博多延伸に際しては、新幹線初の本格食堂車も登場し、楽しい話題をもたらしてくれてもいる。

その一方で同じ頃、当地名古屋にて生じた騒音公害事件も、決して忘れてはならない出来事だ。0系は確かに走行性の秀逸さは疑いないのだが、空力面ではまだ決して煉られた造作ではなかったと言う事だろう。被害各位の苦しみは想像をこえるものがあったと心得たい。その時の問題提起が後輩車種の開発に生かされ、最新のものでは相当に騒音が抑え込まれている様である。

紆余曲折もあった0系の軌跡。しかし1999=平成11年秋よりは東海道新幹線の区間よりは撤退し、山陽新幹線区間に専念して参った訳だが経年と言う事もあって、遂に昨日限りで現役を退いた次第である。

おまけ画像はこの10月下旬、新大阪駅にての出発待ち風景。昨日は最終日とあって、山陽新幹線の沿線各駅には惜別の愛好者が多く集まった様だが、来月に予定されている惜別運転に際してはとに角安全留意の上、落ちついた送迎がなされる事を祈りたい所。

0系新幹線よ、本当に長らくお疲れ様でした。

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