Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

空港、港湾運営のあり方は・・・

2009-02-15 23:28:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

昨日と今日の日中は、我国の太平洋側は大変暖かだった所が多く、中には5月並みの夏日を記録した所もあったとか。季節はずれの些か暑いまでの気温上昇は、やはり昨今問題視されて来ている所謂「地球温暖化」の影響でしょうか。想えば今、200人近い犠牲者を出した南半球オーストラリア国にての大規模火災も大いに気になる所です。

さて分野は異なるものの、公共投資面にての気になる事共も多くありますね。特に昨今の経済低迷のあおりからの、地方空港と港湾の需要落ち込みが目立つ様です。
当地の近所でも、関西国際空港は現在の航空需要は最盛期のほぼ半分、後発の当地の中部国際空港も伸び悩んでいる模様。港湾にしても北九州の新興港が、貨物需要の低迷で大苦戦を強いられている由。これらが長期化すれば、我国の将来に暗雲をもたらす多額の債務と不良資産の増加にも繋がりかねず、負の影響が懸念される所です。

近年貨物取扱量を飛躍的に伸ばしている大韓民国の釜山(プサン)港などの例を見てみると、最初の建設より現在の管理運営まで中央の担当省庁が関与し、又経営面の手法をも磨きながら、国際競争力を守っている由。
振り返るに我国のそれは、立派な設備を造りはするものの、その後の管理運営は各自治体や特殊法人に任されて、国レベルでの長期的ビジョンを持った手法とはおおよそ言えない印象。高くなりがちな運営コストや経営面の管理監視も不十分で、こうした施設には大切な要件である国際競争力も弱体な様です。もう少し申せば「世界を睨んだ運営面の戦略性」に大きく欠けると言う事ではと思います。

過日、戦後の我国の港湾運営のあり方を某経済紙にて一読した事がありますが、戦前は港湾の国家レベルにての運営が行われていた所へ、終戦直後、我国の海軍力の回復を嫌う米合衆国が、こうした港湾の管理を自治体レベルに変更する様我国に要求した経緯がある様です。
占領下と言う特殊な状況下ではやむを得なかった面があるにせよ、独立を回復した1952=昭和27年以降は経済情勢を見ながらでも、国による一元管理の長所は評価すべきだったのではと私は思います。
勿論こうした設備の健全な運営には経営のセンスも求められ、単純にどうこう申すべきでない面も多い事は承知していますが、そうした見直しもせず、ズルズルと今日に至った事が、海運や航空の面で世界的優位に立つ機会を失ったばかりか、設備に対する膨大な額の公共投資の無駄と累積債務を生み、後世に対し大きな負の遺産を残してしまいかねないのも事実。

公共事業の無駄は今に始まった事ではないかも知れませんが、建設レベルのそれもさる事ながら、管理運営の面よりも、将来の事も考えて糾す必要があるのではないでしょうか。*(飛行機)*
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「建国記念の日」雑感

2009-02-11 18:26:00 | インポート
本日2/11は「建国記念の日」。1966=昭和41年に、国民の祝日に関する法律の改正により制定され、翌1967=同42年に初の祝日を迎えています。
その趣旨は同法第2条によると「建国をしのび、国を愛する心を養う」とありますね。この場合の建国とは紀元前660年、つまり皇紀元年に神武天皇がご即位になった日を意味するとされます。これには一部異論もある様である事は認めますが、この日を以て建国の日とする事を、素直に認め尊重するのが拙見解であります。

さて、長らく我が父より借りていた、心理学者 河合隼雄さんの著書「対話する生と死」の文中に、大変興味のある一節がありましたので、少し長くなりますが以下引用してみる事と致します。

『日本人としての問題~もっと日本人自身を知るために』

「ヨーロッパに行くたびに、日本および日本人に対する関心が高まっているのを感じさせられる。それに呼応して、日本研究、あるいは日本人論というのも盛んになっている。筆者も自分なりの意見をもち、日本人論を述べてきたが、日本人論を発展させるという意義とともに、日本の将来のことを考えるためにも、ぜひともなすべき研究として、第二次世界大戦の開戦に至る経過を詳細に追究し、それを日本人論との関連において考察する研究を提案したい。

現在における日本の経済力の強さや、先進国のなかにあって社会的な問題が少ない点などが評価されるためもあって、現在の日本人論はややもすると、日本礼賛になりがちである。確かに欧米の人々と話しあっていても、現在における日本の繁栄の秘密は何か、といったような問いかけを受けることが多いので、勢い日本人の長所について、他との比較について述べることが多くなってくる。しかし、一般に長所と短所は表裏の関係にあり、いま日本人の長所として述べられていることは、見方を変えると短所となることも、われわれはよく自覚しておくべきではなかろうか。

敗戦後、日本人が自信喪失していたときは、日本人の他人志向性、非合理性などが西洋の近代合理主義の立場から非難され、そのような日本人論が盛んであった。しかし、それらの傾向があまり変化しないまま、いまでは単純に見方を変えることによって、かつては欠点としてあげていたところを、いまは長所として見直しているとさえ言えるような状況が認められる。日本人のもついろいろな傾向を、長所とか短所とか価値的判断を性急に下すことなく、もう少し冷静に見てみることが、現在では必要なことと思われるのである。そこで、ここに提案したいことは、後になって考えてみると、単純計算的な考え方をもってしても、全体に無謀とわかる第二次世界大戦を、日本人はどうして開戦したのかを、一度詳細に研究すべきだということである。

誤解のないように言っておきたいが、これは戦争責任の追及などということを、ここにやり直そうと意図しているのではない。敗戦後には、ここに述べた点について多くの追及がなされたが、それらはどうしても感情的な色合いが濃くなることを余儀なくされ、どうしても「誰が悪かったか」ということに集約されがちであったし、どうしても西洋的な観点から見られがちであった。

筆者がここに提案しているのは、むしろ、いままでのそのような色合いを脱して、現在、日本人論で、いろいろ優秀性を論じられている国民が、なぜ、どのような経過を経て、あのようなばかげた決定を下すに至ったのかをあらゆる角度から検討すべきであるということである。ここに「ばかげた」と書いたが、研究の結果では、そのような表現も変更されねばならないかもしれない。

単に軍閥が悪いとか財閥が悪いとか言うのではなく、当時の日本においては、最高の判断力をもった人たちが、国の利益とか将来とかを考えつつ、なぜこのような決定をしたのかを、もっと客観的に研究すべきであると思うのである。おそらく、いままでは「研究」というよりは価値判断や感情的な要因が先行して、多くの重要な点を見逃していると思われる。このような研究を通じて、われわれは、日本人というものが重大な意思決定のときに、どのような思考パターンや行動パターンをとることを知ることができるのではないだろうか。そして、それは現在の「日本人論」に論じられているところと、どのように関連して来るのかを考えてみる必要があるであろう。

この研究をもし行うとするならば、まさに学術的な研究として、じつに広い分野の専門家を必要とするであろう。軍事、政治、経済などの専門家のみではなく、社会、人文系の学者も多数加わるべきと思われる。
欧米を訪れて、あちらの多くの人が東洋の宗教に強い関心をもちはじめていることを感じるのだが、東洋の宗教というものが、戦争決定の過程において、どのような関連をもったのか、日本人の世界観、宗教観がどのような意味をもったのか、などもぜひ明らかにしなくてはならないことであろう。

いまごろになって嫌なことを言う、と思われる人もあるであろう。しかし、筆者は欠点を暴くということではなく、現在、日本人が自分に対して相当自信をもったときにおいてこそ、自分についてもっと的確に知ろうとすることが大切と思うから、このような提案をしているのである。

自分自身のもつ光の部分も影の部分も直視することができないと、思いがけない不幸を招くことがある。ここにこのような提案をあえてするのも、おそらく将来において、このことが役立つであろうという予感に支えられてのことである。日本はまた重大な意思決定をしなくてはならないときが来るようにさえ思われるのである。」

この文章は1992=平成4年暮れに綴られたものであります。想えば最後の文言は、正に今の祖国日本の置かれた現状を言い当てているのではないでしょうか。
米合衆国の金融危機に端を発した世界的な経済不安。最早輸出だけでは国内経済を賄えなくなった祖国日本は、今後のあり様について重大な意思決定を迫られている様に思われます。又、米合衆国より我国に対し、毎年送りつけられる要求「年次改革要望書」には明らかに不公正な内容も存在すると言われ、我国は独立国として、今までとは異なる毅然とした対応が求められる事となるでしょう。これは前回取り上げた、西欧諸国よりの、不当かつ時期尚早な死刑廃止要求に対しても同じ。我国は我国の大義に基づいて進むべきでありましょう。

又、先の大戦の客観的見直しの下りは、戦後の我国が歴史、それも近代史の教育を怠り続けて来たツケの意味合いも大きいと思います。
左傾政党や左派的識者、それに日本教職員組合などの執拗な妨害に屈する事なく毅然とした教育姿勢を執らなかった旧文部省の問責も必要ではないでしょうか。その意味で近年の「新しい歴史教科書をつくる運動」は歴史教育の健全化を目指した動きとして、大いに注目すべきものがあると思います。
河合さんの、こうした有意義なご提案が活かされれば、それは祖国日本の成立ちと歩みを知る上で、大きな宝になると私は見ています。  P.S 次回は2/15(日)~に掲載致します。*(日本)*

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「現場」を知っているのか?

2009-02-11 17:21:00 | 日記・エッセイ・コラム

今年2009=平成21年の建国記念日は午前晴天なるも、午後は急速に曇り、夕方から時雨模様となっている。何だか不安定な我国の現在を象徴している様な空模様。天気予報にて時雨は覚悟していたのだが、中々時間が取れない事とて、今日午前は久し振りで拙愛車の洗車を行った。これからは早春特有の黄砂飛来の時期でもあり、それへの備えのつもりでもある。

さて、製造業不振による非正規労働者の失業が社会問題化している昨今だが、この事や海上自衛隊による中東の海賊対策、未だ続く無益な公共事業のあり様など、中央の政権党や霞が関の官僚勢力には、現在の差し迫った問題「今、そこにある危機」が見えていないのではないか。当地の地元紙、C新聞の先日のコラム欄には、昨年末より今年初にかけて東京に設置された「派遣村」の村長を務めた方への取材より、その効果や今後の対策について触れ、この派遣村を全国規模で整備する必要を訴えていた。確かに一部の非正規労働者は、勤労姿勢についての不良も見受けられはするものの、数十万とも言われる就労人口を考えれば適切な対応は執られて然るべきだろう。麻生内閣総理大臣は、一度は「ハロー・ワーク」に出向いて状況視察をなさった様で、何もしなかった歴代首相に比べればマシなのかも知れないが、まだまだポージングの域を出ないのも事実。もっと担当閣僚や幹部官僚に現場の状況を把握させる位の強い姿勢がなければ、一旦低下した内閣支持率の回復は難しい事だろう。

現場を知らないのは野党も同じ。これも早い対応が望まれる中東の海賊対策につき、先日やっと政府与党の調査団が始動し現地視察に赴いたが、野党は何もするつもりがないのか。特に責任野党の民主党にて「海賊は漫画の世界でしか知らない」などと戯言を言っている場合なのか。同党こそ真っ先に日本人も拉致された現地の実態調査に飛ぶのが筋だろう。

我国内の過疎、そして地域経済低迷の実態にしても然りで、政権党や中央省庁もさる事ながら、野党の方も率先して調査などを詳しく行い、国会にてどんどん情報を上げて政府の対応を促すべきはずなのだが、どうも矛先は目先の政争に向いている気がしてならない。衆議院の解散総選挙もそれはそれで大事だろうが、どうせ今夏までの任期。選挙は一時封印してでも先行すべき事共があるはずだ005が・・・。

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死刑制度考

2009-02-07 23:23:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

立春を過ぎ、今日の当地愛知は少しだけ春の気配が感じられた様です。
今日々中、名古屋城北の名城公園にて開催中の、梅の催事を少し覗いて参りました。咲き誇る梅・・・は良いんですが、屋内での公開だったのがちと残念な所。まだまだ寒い屋外ではまだ満開とは参らない事情もあるのでしょうが。それでも外の梅も負けじと懸命に花を開かせようとしている姿には、小さな感銘を受けた次第であります。

さて、世の中には不慮の殺人事件にて大切な家族親族を奪われ、花見どころではない悲しみに沈む方々も少なくなく、心よりのお見舞いを申す次第であります。たとえ被害者に若干の落度があっても、人命を奪う罪業には厳罰にて臨むのが祖国日本の大原則=プリンシパルでありましょう。ましてや無辜の方においてをや。一昨夏生じた、当地にての金品目当ての女性会社員拉致惨殺、昨年に入り、東京都内にてのこれも女性会社員惨殺遺棄、それらと同時期に各地にて続発した女子小学生殺人などは、いずれも何の落度もない被害者を手にかけた点で、万死に値する罪業であると強く思います。

刑法には、私の知る限り第9条と第11条に死刑についての規定が述べられています。又、戦後の最高裁判所の判例にても、死刑は日本国憲法の平和精神に抵触するものではないとの判断が示されています。これに基づいて昨年末、死刑囚4名につき、刑の執行がなされています。

最近台頭していると言われる死刑廃止の主張につき、私は拙速な支持は致しかねる立場であります。
死刑廃止の動きが強まったのは1990年代、我国の平成初期に発足したEU=ヨーロッパ連合が、加入国に対し、欧州人権規約第3条により死刑廃止を強く求めたのがきっかけの様です。唯一イスラム圏での加盟が決まったトルコ共和国も、異例の死刑廃止に踏み切った由。又EUは、我国や米合衆国に対し早期の死刑廃止の実施を求める圧力をかけていると言われ、我国内の政界や学界、法曹界にも同調する向きが少なからずあるのはご存じかと思います。が、しかし・・・。

我国は元より、周辺の中華人民共和国や大韓民国、台湾こと中華民国やシンガポール共和国にても死刑制度は存在し、無辜の方の人命を奪った悪質な殺人に対しては命を以て償わせるのは言わば「アジアの大義」ではないかと私は見ています。又、中東のイスラム圏や米合衆国の多くの州でも、死刑制度が厳然と存在します。
欧州、南米やオセアニアを中心に、死刑廃止の踏み切る国が多いのは事実なるも、社会教育が不十分な我国では死刑の抑止効果は不可欠であり、その事を明言された前法務大臣、鳩山邦夫さんのご見解は正論であると信じます。
又、死刑廃止を実施した国にても、戦時下の国家的犯罪に対しては軍事法廷にて例外的な死刑宣告がある様です。有事に備える必要からも、死刑制度の見直しには十分な期間を設け、従来は軽んじられていた被害者や遺族の方々の立場との整合性の上で論じられるべきでしょう。欧州連合の多くの加盟国にて、死刑廃止の一方で安保上の必要からとは言え、これも人権上疑義の余地があるとされる徴兵制の実施が続いているのも、日本人の視点からすれば「二重基準」の印象と不信感を拭えないものがありますね。

その点で、現行の刑事訴訟法に残る公訴時効を、凶悪事件については適用外とするなどの改善、日本弁護士連合会などが検討を始めた、仮釈放を認めない絶対的な終身刑の創設への動きなどは要注目であり、これらの事共を必要な日数をかけて煮詰め、かつ倫理道徳教育の徹底を行って犯罪の温床とも言える状況を打破し得て初めて、将来に向かっての死刑廃止への検討を始めるのが順序と言うものでありましょう。

拙手元に残る、学生時分に使っていた有斐閣刊「法律学小辞典」中には死刑制度存廃の展望につき「死刑廃止国の数も次第に増え、その動きは進化の方向にあるが、それを可能にする社会的基盤が具体的に築かれなければ、死刑廃止を直ちに採り入れ、実現する事は困難であろう」と記されています。この見方は刊行後ほぼ30年を経た今も、立派に通用すると信じます。
現状の我国の死刑廃止勢力の終身刑にすら反対する軽々な言い分は、多分に内政干渉に等しいEU諸国の圧力の受け売りであり、到底承服できるものではありません。*(日本)*
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浅薄な群像

2009-02-04 23:59:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

今日は、暦の上での春の始まり「立春」。当地愛知の天候も、寒さの中にも春の気配を感じさせるものがありました。まあ「三寒四温」と申して、後一度や二度は、寒の戻りがある事でしょう。
寒暖差の大きくなる時期。依然気の抜けない風邪、そしてインフルエンザに警戒の上、お互い健康留意にて。

さて昨日の事ですが、神奈川県下にて所謂「振り込め詐欺」の容疑者が、警察と標的になった方との協力の下、逮捕された由。
ご家族の携帯電話番号変更の話を不審にお思いになった標的となった方が、そのご家族と連絡を行い番号変更なしを確認の上、警察に通報。
警察は犯人を引きつける為、わざと標的の方に騙された様装う協力を要請。民間人を装った警察官が、現金受け渡しに現れた容疑者の現行犯逮捕に至ったとの事。まずはこの好プレーに拍手を贈りたいですね。
勿論犯人グループも逮捕の場合をも織り込んでいた様で、現場に来た容疑者も犯行を否定している様です。
本当の主犯格は他にいて、受け渡し番には容疑を認めない様、脅しも使って細工していた事が想像されます。

今や社会問題化している振り込め詐欺は年毎に巧妙化し、現金の受け渡しにも自動預け払い装置ATMを避ける傾向が見られます。他の詐欺事件でもそうですが、この連中は人を欺く技術面は優れているのだが、教養を含めた人間性には至って劣る例が多い様です。つまり、グループで犯行に及ぶにしても「目的は金だけ」と言う寄せ集め集団の場合が多いと言う事です。
金集めが上手く行っている間は良いが、一度不具合があると、すぐに仲間割れするとかも少なくない様です。甚だしい場合には、利害を巡っての殺傷沙汰にも発展した例を聞きました。

思えばこれは、前世紀の1985=昭和60年頃西日本で問題化した、T商事の金売買を巡る詐欺商法とも通じるものがある様です。
比較的資産のある高齢の方々を狙ったこの集団も、人を惑わせ騙す上辺の技術はあったものの、結局は金の為だけに集まった側面が強かった。今回の振り込め詐欺集団と同様に、つまりは浅薄な群像と言えるのではないでしょうか。

「歴史は繰り返す」とは良くぞ言ったもので、形こそ違え、T商事と同じ事が今世紀に入っても引き起こされた。第二、第三の問題は又、形を変えて起きて来ると思った方が良さそう。詐欺を働く者は、常に人を騙す技だけは研究しているとか。
我々も、決して他人事とは思わずに、普段より対策を考えておいた方が良さそうです。*(注意)*

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