浜田屋遼太

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カルピスの思い出

2018-02-12 | 日々是好日

いま還暦世代の人が同窓会を開くと、決まって話題になるのは介護、持病、年金だという。

このどれかを誰かが持ち出すと、座はひとしきりそのテーマで待ちきりになる。

こういう同窓会で盛り上がるテーマがもう一つある。

カルピスである。

介護、持病、年金という、どちらかというと暗めのテーマの中に突如としてカルピス。

急に座が明るくなり、みんなの顔がとたんに輝く。

カルピスに関する思い出を、この世代の人たちは必ず一つは持っている。

同窓会で話題が途切れたらカルピス、と同窓会のベテランは言う。

「カルピスといえば…うちはカルピスの管理が厳しかった」

「そうそう、うちは母親がカルピスの管理人だった」

「子供たちが勝手にカルピスを飲むなんて考えられなかった」

「必ず母親の許可を得て、母親の立会いのもとに飲んだものだった」

誰もがカルピスの思い出を語ろうとする。

この世代の同窓会のカルピス効果は大きい。

あの頃のカルピスは高嶺の花だった。

「うちの母親はカルピスの瓶にマジックで印をつけて、留守のときにコッソリ飲もうとしてもダメだった」

「オレんとこは、自分ちでカルピスを買ったという記憶ないなあ」

「水玉模様の包装紙だったよな」

そうだった、そうだった、と一同手をたたかんばかりに大きく頷く。

母親が作るカルピスは常に薄かった。

そのころの全国の子供たちの願いは「もっと濃く」であった。

「一度でいいから原液で飲んでみたいと思ったんだよなあ」

「思った思った」

どの家にも、その家の濃さがあった。

薄さがあった、と言ったほうがいいかもしれない。

みんなで遊んだ帰りに友達の家に寄ると、カルピスをご馳走してくれるとこもあった。

その帰路「あいつんちの薄いな」とか「ヒロシんとこのはもっと濃いよな」とか言い合っていた。

その頃の子供たちは、カルピスの濃さに関しては厳しいのだった。

カルピスはその後カルピスウォーターを売り出す。

あのときのあの衝撃は大きかった。

我々はカルピス=薄めるで育った。

薄める儀式には意義があった。

赤の他人が薄めたカルピスと、母親が薄めたカルピスは、まるで味が違っていたのだった。

近頃はこんなカルピスもあり          

あの頃に比べるとメッチャ濃厚であるが、普通のカルピスウォーターより安いというのが不思議でならない。

初恋の味…昭和望郷の味。

我々には確かにカルピスの時代があったのだ。

コメント
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