いま還暦世代の人が同窓会を開くと、決まって話題になるのは介護、持病、年金だという。
このどれかを誰かが持ち出すと、座はひとしきりそのテーマで待ちきりになる。
こういう同窓会で盛り上がるテーマがもう一つある。
カルピスである。
介護、持病、年金という、どちらかというと暗めのテーマの中に突如としてカルピス。
急に座が明るくなり、みんなの顔がとたんに輝く。
カルピスに関する思い出を、この世代の人たちは必ず一つは持っている。
同窓会で話題が途切れたらカルピス、と同窓会のベテランは言う。
「カルピスといえば…うちはカルピスの管理が厳しかった」
「そうそう、うちは母親がカルピスの管理人だった」
「子供たちが勝手にカルピスを飲むなんて考えられなかった」
「必ず母親の許可を得て、母親の立会いのもとに飲んだものだった」
誰もがカルピスの思い出を語ろうとする。
この世代の同窓会のカルピス効果は大きい。
あの頃のカルピスは高嶺の花だった。
「うちの母親はカルピスの瓶にマジックで印をつけて、留守のときにコッソリ飲もうとしてもダメだった」
「オレんとこは、自分ちでカルピスを買ったという記憶ないなあ」
「水玉模様の包装紙だったよな」
そうだった、そうだった、と一同手をたたかんばかりに大きく頷く。
母親が作るカルピスは常に薄かった。
そのころの全国の子供たちの願いは「もっと濃く」であった。
「一度でいいから原液で飲んでみたいと思ったんだよなあ」
「思った思った」
どの家にも、その家の濃さがあった。
薄さがあった、と言ったほうがいいかもしれない。
みんなで遊んだ帰りに友達の家に寄ると、カルピスをご馳走してくれるとこもあった。
その帰路「あいつんちの薄いな」とか「ヒロシんとこのはもっと濃いよな」とか言い合っていた。
その頃の子供たちは、カルピスの濃さに関しては厳しいのだった。
カルピスはその後カルピスウォーターを売り出す。
あのときのあの衝撃は大きかった。
我々はカルピス=薄めるで育った。
薄める儀式には意義があった。
赤の他人が薄めたカルピスと、母親が薄めたカルピスは、まるで味が違っていたのだった。
近頃はこんなカルピスもあり
あの頃に比べるとメッチャ濃厚であるが、普通のカルピスウォーターより安いというのが不思議でならない。
初恋の味…昭和望郷の味。
我々には確かにカルピスの時代があったのだ。