突然ですが…
考えてみると昭和という時代は、ハエ(蠅)との戦いであった。
あの頃のハエは日本の総人口より圧倒的多数であったと思う。
昭和の中盤あたりはハエの黄金時代でもあった。
日本中でハエが大活躍していたのである。
昭和の人々は、この圧倒的多数のハエとどう戦ったのか。
食べ物ある所にハエあり。
食事をしていると、食卓の上にある食べ物に大勢ででたかる。
今は「たかる」という言葉はめったに使わないが、当時は毎日のように使った。
御飯にたかり、オカズにたかり、漬物にもたかった。
こうしたハエの大群の来襲に、防戦一方だった昭和の人は蚊帳(かや)で防戦した。
蚊帳とは柄のない傘のようなもので、網でできているので風通しがよく、これを食べ物の上にかぶせてハエに対抗した。
蚊帳はもっぱら食事前と食事後に使用され、食事中は取り払われていたので、その隙を縫ってハエは絶え間なく食卓に襲いかかった。
食卓を囲んだみんなの頭の上には、ああ懐かしのハエ取りリボン。
ハエ取りリボンというのは、ゴキブリホイホイをテープ化したものと考えていい。
テープの両面に強力な糊状のものが塗られていて長さ1メートル弱。
これを天井からぶら下げておくと、飛んできたハエがこれにくっついて、もがきながら死ぬ。
恥ずかしくも懐かしいハエ叩き。
文字通りハエを叩いて殺す道具で、柄の先にハガキりやや小さめの大きさの金網が付いていて、食卓の上のハエに忍び寄っていって狙いを定め打ち下ろす。
狙いたがわず、ハエばったりと息絶えて死ぬ。
というような、多分原始人もそうしていたであろうと思われる方法で、昭和の人はハエと戦っていたのだ。
ハエも蚊も人間の敵という位置は同じなのだが、印象はずいぶん違う。
蚊には陰険という印象がつきまとう。
やはり人間の隙をうかがって、血を吸うところが嫌われたのだろうか。
ハエには直接の害はないが、蚊には血を吸われるという実害があった。
そうした蚊の印象に比べてみると、ハエは陽気にさえ思えてくる。
あれでなかなか気のいい奴なんだよな、という気がしてくる。
やっぱり懐かしいのかな、ハエが。
昔の日本人は懐が深かったなぁ。
本文とは関係ないが先日同窓会をした出雲・玉造温泉、佳翠苑皆美の庭園
館内にある足湯
撮った画が没にならぬようアップしたしだい。
別に深いワケはありません。