出雲そばの美味しい店「そば縁」
初詣の帰りに寄ってみた。
アタクシは3色割り子
ツレアイは大海老天ぷらそば
とても美味しゅうございました、とツレアイは申してました。
出雲そばの美味しい店「そば縁」
初詣の帰りに寄ってみた。
アタクシは3色割り子
ツレアイは大海老天ぷらそば
とても美味しゅうございました、とツレアイは申してました。
受験生がいま神前に立ったところである。
彼はいまお賽銭を賽銭箱に投げ入れた。
そして手を合わせた
「〇〇大学に合格しますように」
いきなりではないか。
合格以外のことは何も念じていないではないか。
おねだり以外の何物でもないではないか。
ついでに商売繁盛と世界平和を両方祈願する人はいるだろうか。
拝む方にも問題があるが、拝まれる方にも様々な問題があるような気がする。
商売っ気があるというか、商売上手というか、どうもそっちのほうの気がありすぎるような気がする。
神社関係で「効く」ということを「御利益」という言葉に翻訳していて、それぞれの神社の御利益が一つだけ、というのはまずない。
たいていの神社は御利益の開口を広げている。
初詣の人たち、特に女の人たちは着物姿で出かけて行って破魔矢などを買って帰る。
ついでにお札やお守りを買って帰る
息子が受験だからと、ついでに絵馬を買ってく人もいる。
このお札やお守りや絵馬に、はっきりした有効期限があることを知っている人は少ないのではないか。
有効期限は「はっきり一年」である。
1月3日に買って帰ったお札やお守りは、きちっと翌年の1月3日に効き目がなくなるのだ。
電池なんかだと使わないで取っておけば、一年たってもまだ使える。
だが、お札やお守りはそういうわけにはいかない。
お札を柱に張ったり、お守りを財布に入れておけばそれだけで「使っている」ことになるのだ。
電池は使っているうちに少しずつ寿命が減っていくが、お札やお守りも効き目が少しずつ減っていって、一年後ピタッと「電池切れ」になる。
ただの紙切れになってしまうのです。
なんか怪しいけど、これが現実なのであります。