別に私の方で呼び寄せているわけではないけれど、バス停ではいろいろと気になる人と出会う(別に気にしなければ良いだけの話かもしれないが…)。
今日は、私と夫がバス停に到着すると、前に並んでいた若い男性が、健康増進法で禁煙が定められているはずのバス停で、堂々とタバコを吸っていた。
後ろに並んで立つや否や、風下の私のところにはタバコの煙が漂っていて、鼻がムズムズするほどだった。
バス停の看板には、かなりハッキリと朱字で禁煙と書いてある。明らかに確信犯の男性に向かって、私は「バス停は禁煙です」と、努めて冷静に言った。
最初、男性は私を無視して、目も合わせようとしなかった。私はめげずに再び男性に向かって「バス停は禁煙です」と言った。
件の男性は今度はチラッと私の方を見た。見たが相変わらずタバコを口に咥えたまま煙をくゆらせている。男性の傍らにいる彼女と思しき若い女性は、背中を向けたままだ。
私はなおも食い下がって「バス停は禁煙です」と繰り返した。自分でも、まるで壊れたレコードみたいだなと思った。
すると再び私の方に目を遣って、漸くバス停の端に備えられた空き缶でこしらえた灰皿に、タバコを捨てた。
実は男性がタバコを捨てたこの灰皿も、バス停に面した地元の建設会社の社長さんが、バス停付近の路上に捨てられたタバコの吸殻を見るに見かねて設置されたものだ。バス会社から「健康増進法で禁煙と定められた場所だから、そもそも灰皿があってはならない」と撤去を言い渡され一度はその指示に従ったものの、一向にタバコの吸殻のポイ捨てが減らないので、やむなく再設置したという経緯がある。しかも毎朝、その社長さんはバス停付近を箒で掃いて、きれいにしていらっしゃるのだ。
そういった事情を知っているだけに、バス停での喫煙を注意せずにはいられなかった。
バス停のような不特定多数の人が利用する場所での喫煙は禁じられていること。喫煙の禁止の理由は、喫煙者の口から吐き出される副流煙が、発がん性物質をはじめ人体に有害な物質を数多く含んでおり、周囲の人間に受動喫煙の健康被害をもたらす恐れがあるからだということ。こういうことは、マトモな日本人なら、新聞やテレビやラジオのニュースで当然知っているはずである。
推察するに、男性は彼女を訪ねて来た部外者らしく、それならば、地元の勝手を知っている彼女が彼氏の喫煙を止めるべきであろう。しかし、カップルは「割れ鍋に綴じ蓋」。似た者同士なので、残念ながら彼女も、バス停での禁煙がなぜダメなのかが分からないのだろう分からないから、彼のバス停での喫煙にも何とも思わないし、禁煙の注意書きを見ても、彼氏に注意しないのだろう。
結局、私は女性、しかも「おばさん」ということで、件の男性には舐められ、壊れたレコードのように3度も同じ言葉を繰り返す羽目になったと思うので、私よりも、私と一緒にいた夫の方が男性を注意すべきだったのではないか?夫は長身で地声も大きく低く、威圧感がある。夫が注意した方がよりスムーズに聞き入れられたのではないか?そう夫を咎めると「僕が注意するより先に君がしていた」と言い返された。
いやいや、そんなことはない。この点では夫は結構ヘタレである。自分に直接害が及ばなければ、明らかにルール違反でも見過ごすことがある(夫の名誉の為に一言書き添えるなら、以前、ドアの左右脇に5、6人並んで電車を待っていた人々が電車に乗ろうとした時に、降りる人の為に空けている真ん中から我勝ちに乗り込もうとした中年女性を、夫がその長い手で遮って阻止したこともある)。
話変わって。自動販売機で、夫が小さなペットボトル入りのお茶を買った。あいにく小銭がなかったので、千円札で支払った。私はまだ何を買うか決めかねていたので、とりあえず、おつりレバーを下げた。
するとすぐに小銭がおつりの受け皿に落ちてきた。勢いよく落ちて来た。あれ?なかなか止まらない。じゃらじゃらじゃらと音を立てて、おつりにしては大量の硬貨が受け皿に向かって落ちている。
終いには硬貨が縦横にギッシリと詰まって、おつりの受け皿のプラスチック製のフタが開かなくなってしまったおいおい、どういうことだよ?
どうにかしてフタを開け、大量の硬貨を取り出して数えてみたら…
100円硬貨4枚
50円硬貨6枚
10円硬貨17枚! 金額にして870円也。
合計27枚の硬貨が、あの狭い空間にギュウギュウ詰め状態だったのだ。想像してみて欲しい。結構、笑える事態だと思う。
それを傍らで見ていた夫。「あ、写真を撮れば良かったのに」と今更のように言う。「あ!そうだった。撮れば面白い絵だったのに」って言うか…言うの遅い!
もしかして、自動販売機も、私のブログネタの提供に協力してくれているのだろうか?
そんなこと、あるわけない!!
自販機、よほどつり銭に困っていたんだろうね?しかし、瞬時に硬貨の組み合わせで、これだけ大量の小銭を用意できるのが凄い。凄いが、受け皿のキャパシティまで考えていないのが、ちょっとおバカである
考えても仕方のないことだし、私が考えることでもないのだが、この後もし千円札で支払う人がいたら、この自販機はどう対応したのだろう?硬貨がどれだけの種類、総額幾ら残っているのか分からないが、まさか、10円硬貨87枚はあり得ないし、最終的には「つり銭切れ」と表示されるのだろうね。
チネチッタの劇場内の椅子。パリ・オペラ座の椅子を作っている業者に作らせた1脚10万円もする椅子だと聞いたことがある。さすがに10年も経つと、さしもの椅子もクッションがヘタッて来たような気がする。
それ以上に前から気になっていたのがドリンクホルダー。ここのドリンクホルダーは、なぜか二重底になっていて、下段は固定なのだがそこそこ大きめの楕円形の穴が開いている。その上に取り外しのきく、真ん中が直径2cmほど丸く刳り貫かれた円形の底板が載っていた。
実は、その取り外しのきく上底板を失敬する輩が後を絶たなかった。その上底板のないドリンクホルダーでは、剥き出しになった楕円形の穴が仇となってドリンクの納まりが悪く、どうしても斜めに傾いてしまうのであった。年を追うごとに上底板がなくなっている椅子が増え、ドリンクホルダーの使い勝手の悪さが、利用者の不満の種となった。
ところが、今日気づいたのだが、その問題のドリンクホルダーに新たな上底板が取り付けられていた。どうやら全ての椅子に取り付けられたようである。今度のは触ってみると従来品より少し厚めの板で、しかも接着剤でしっかり固定されている。これなら、もう大丈夫だろう。
果たして、このことに気づいたのは、今日の利用者で、何人位いたのだろうか?それとも、そもそもそんなことに関心を持つ人間なんて、殆どいないのだろうか?何にしても、利用者としては、これで一安心である
帰りのバスで。中学生と思しき少年が二人、途中から乗り込んできた。ひとりはまだ中学生の男の子のはずなのに耳には複数個のピアス、髪は茶色に染め、輪ゴムで髪を結わえている。しかも頭のてっぺんに。
終点に近づくにつれ、座席に空きができると、二人で座っていたうちのひとりが、別の空いた席に移った。すると茶髪ピアスの少年は二人がけの座席に斜めに寝そべるように姿勢を崩した。
すぐ後方に座っていた私は降りるために立ち上がるまで気づかなかったのだが、茶髪ピアス少年はあろうことか座席部分に土足で乗っていた。彼が降りた後に、誰かが座るであろう座席にである。注意しようにも後ろがつかえていたので注意する間もなかった。
勉強やスポーツ、或いは一芸で目立つこともなく、こういうことでしか自分の存在感をアピールできない「構ってちゃん的心理」がなせる行動なのか(公共の場での、傍から見るとしょーもない迷惑行為は、大抵それが理由であろう)、或いは、親御さんの幼い時からの躾がなっていなかったのか、何とも残念な少年の行状であった。
申し訳ないが、あの行きのバス停で出会ったカップルが仮にあのままの状態で結婚して、子どもを産み育てたら、こんな子どもに育つのだろうか、という考えがふと頭に浮かんだ。
人は幼い頃から地道に地味なことを繰り返して行くことを疎かにしてはいけない。早寝早起き然り。挨拶然り、身体を清潔に保つこと然り、朝昼晩三食をきちんと取ること然り。掃除をすること然り。適度の歩行、運動すること然り。学校の宿題を済ませること然り。エトセトラ…
特に子どもの頃は、そうして自分の中で忍耐を育てていかなければならない。そうして自分を律することを習慣づけなければならない。それが、将来、秩序を重んじる日本の社会でそつ無く生きて行く為の、ひとつの力になるのだと思う(まあ、敢えて社会と摩擦しながらわが道を貫く、険しい道のりの選択もあるにはあるのだろうけれど…)。
今日もいろいろなことがあった。そこから見えて来るものがあった。そして、何かしら学ぶことがあった。
自宅に戻ってから、ちょっと遅めのティータイム。温かい日本茶に不二家のミルクレープ。
今日は、私と夫がバス停に到着すると、前に並んでいた若い男性が、健康増進法で禁煙が定められているはずのバス停で、堂々とタバコを吸っていた。
後ろに並んで立つや否や、風下の私のところにはタバコの煙が漂っていて、鼻がムズムズするほどだった。
バス停の看板には、かなりハッキリと朱字で禁煙と書いてある。明らかに確信犯の男性に向かって、私は「バス停は禁煙です」と、努めて冷静に言った。
最初、男性は私を無視して、目も合わせようとしなかった。私はめげずに再び男性に向かって「バス停は禁煙です」と言った。
件の男性は今度はチラッと私の方を見た。見たが相変わらずタバコを口に咥えたまま煙をくゆらせている。男性の傍らにいる彼女と思しき若い女性は、背中を向けたままだ。
私はなおも食い下がって「バス停は禁煙です」と繰り返した。自分でも、まるで壊れたレコードみたいだなと思った。
すると再び私の方に目を遣って、漸くバス停の端に備えられた空き缶でこしらえた灰皿に、タバコを捨てた。
実は男性がタバコを捨てたこの灰皿も、バス停に面した地元の建設会社の社長さんが、バス停付近の路上に捨てられたタバコの吸殻を見るに見かねて設置されたものだ。バス会社から「健康増進法で禁煙と定められた場所だから、そもそも灰皿があってはならない」と撤去を言い渡され一度はその指示に従ったものの、一向にタバコの吸殻のポイ捨てが減らないので、やむなく再設置したという経緯がある。しかも毎朝、その社長さんはバス停付近を箒で掃いて、きれいにしていらっしゃるのだ。
そういった事情を知っているだけに、バス停での喫煙を注意せずにはいられなかった。
バス停のような不特定多数の人が利用する場所での喫煙は禁じられていること。喫煙の禁止の理由は、喫煙者の口から吐き出される副流煙が、発がん性物質をはじめ人体に有害な物質を数多く含んでおり、周囲の人間に受動喫煙の健康被害をもたらす恐れがあるからだということ。こういうことは、マトモな日本人なら、新聞やテレビやラジオのニュースで当然知っているはずである。
推察するに、男性は彼女を訪ねて来た部外者らしく、それならば、地元の勝手を知っている彼女が彼氏の喫煙を止めるべきであろう。しかし、カップルは「割れ鍋に綴じ蓋」。似た者同士なので、残念ながら彼女も、バス停での禁煙がなぜダメなのかが分からないのだろう分からないから、彼のバス停での喫煙にも何とも思わないし、禁煙の注意書きを見ても、彼氏に注意しないのだろう。
結局、私は女性、しかも「おばさん」ということで、件の男性には舐められ、壊れたレコードのように3度も同じ言葉を繰り返す羽目になったと思うので、私よりも、私と一緒にいた夫の方が男性を注意すべきだったのではないか?夫は長身で地声も大きく低く、威圧感がある。夫が注意した方がよりスムーズに聞き入れられたのではないか?そう夫を咎めると「僕が注意するより先に君がしていた」と言い返された。
いやいや、そんなことはない。この点では夫は結構ヘタレである。自分に直接害が及ばなければ、明らかにルール違反でも見過ごすことがある(夫の名誉の為に一言書き添えるなら、以前、ドアの左右脇に5、6人並んで電車を待っていた人々が電車に乗ろうとした時に、降りる人の為に空けている真ん中から我勝ちに乗り込もうとした中年女性を、夫がその長い手で遮って阻止したこともある)。
話変わって。自動販売機で、夫が小さなペットボトル入りのお茶を買った。あいにく小銭がなかったので、千円札で支払った。私はまだ何を買うか決めかねていたので、とりあえず、おつりレバーを下げた。
するとすぐに小銭がおつりの受け皿に落ちてきた。勢いよく落ちて来た。あれ?なかなか止まらない。じゃらじゃらじゃらと音を立てて、おつりにしては大量の硬貨が受け皿に向かって落ちている。
終いには硬貨が縦横にギッシリと詰まって、おつりの受け皿のプラスチック製のフタが開かなくなってしまったおいおい、どういうことだよ?
どうにかしてフタを開け、大量の硬貨を取り出して数えてみたら…
100円硬貨4枚
50円硬貨6枚
10円硬貨17枚! 金額にして870円也。
合計27枚の硬貨が、あの狭い空間にギュウギュウ詰め状態だったのだ。想像してみて欲しい。結構、笑える事態だと思う。
それを傍らで見ていた夫。「あ、写真を撮れば良かったのに」と今更のように言う。「あ!そうだった。撮れば面白い絵だったのに」って言うか…言うの遅い!
もしかして、自動販売機も、私のブログネタの提供に協力してくれているのだろうか?
そんなこと、あるわけない!!
自販機、よほどつり銭に困っていたんだろうね?しかし、瞬時に硬貨の組み合わせで、これだけ大量の小銭を用意できるのが凄い。凄いが、受け皿のキャパシティまで考えていないのが、ちょっとおバカである
考えても仕方のないことだし、私が考えることでもないのだが、この後もし千円札で支払う人がいたら、この自販機はどう対応したのだろう?硬貨がどれだけの種類、総額幾ら残っているのか分からないが、まさか、10円硬貨87枚はあり得ないし、最終的には「つり銭切れ」と表示されるのだろうね。
チネチッタの劇場内の椅子。パリ・オペラ座の椅子を作っている業者に作らせた1脚10万円もする椅子だと聞いたことがある。さすがに10年も経つと、さしもの椅子もクッションがヘタッて来たような気がする。
それ以上に前から気になっていたのがドリンクホルダー。ここのドリンクホルダーは、なぜか二重底になっていて、下段は固定なのだがそこそこ大きめの楕円形の穴が開いている。その上に取り外しのきく、真ん中が直径2cmほど丸く刳り貫かれた円形の底板が載っていた。
実は、その取り外しのきく上底板を失敬する輩が後を絶たなかった。その上底板のないドリンクホルダーでは、剥き出しになった楕円形の穴が仇となってドリンクの納まりが悪く、どうしても斜めに傾いてしまうのであった。年を追うごとに上底板がなくなっている椅子が増え、ドリンクホルダーの使い勝手の悪さが、利用者の不満の種となった。
ところが、今日気づいたのだが、その問題のドリンクホルダーに新たな上底板が取り付けられていた。どうやら全ての椅子に取り付けられたようである。今度のは触ってみると従来品より少し厚めの板で、しかも接着剤でしっかり固定されている。これなら、もう大丈夫だろう。
果たして、このことに気づいたのは、今日の利用者で、何人位いたのだろうか?それとも、そもそもそんなことに関心を持つ人間なんて、殆どいないのだろうか?何にしても、利用者としては、これで一安心である
帰りのバスで。中学生と思しき少年が二人、途中から乗り込んできた。ひとりはまだ中学生の男の子のはずなのに耳には複数個のピアス、髪は茶色に染め、輪ゴムで髪を結わえている。しかも頭のてっぺんに。
終点に近づくにつれ、座席に空きができると、二人で座っていたうちのひとりが、別の空いた席に移った。すると茶髪ピアスの少年は二人がけの座席に斜めに寝そべるように姿勢を崩した。
すぐ後方に座っていた私は降りるために立ち上がるまで気づかなかったのだが、茶髪ピアス少年はあろうことか座席部分に土足で乗っていた。彼が降りた後に、誰かが座るであろう座席にである。注意しようにも後ろがつかえていたので注意する間もなかった。
勉強やスポーツ、或いは一芸で目立つこともなく、こういうことでしか自分の存在感をアピールできない「構ってちゃん的心理」がなせる行動なのか(公共の場での、傍から見るとしょーもない迷惑行為は、大抵それが理由であろう)、或いは、親御さんの幼い時からの躾がなっていなかったのか、何とも残念な少年の行状であった。
申し訳ないが、あの行きのバス停で出会ったカップルが仮にあのままの状態で結婚して、子どもを産み育てたら、こんな子どもに育つのだろうか、という考えがふと頭に浮かんだ。
人は幼い頃から地道に地味なことを繰り返して行くことを疎かにしてはいけない。早寝早起き然り。挨拶然り、身体を清潔に保つこと然り、朝昼晩三食をきちんと取ること然り。掃除をすること然り。適度の歩行、運動すること然り。学校の宿題を済ませること然り。エトセトラ…
特に子どもの頃は、そうして自分の中で忍耐を育てていかなければならない。そうして自分を律することを習慣づけなければならない。それが、将来、秩序を重んじる日本の社会でそつ無く生きて行く為の、ひとつの力になるのだと思う(まあ、敢えて社会と摩擦しながらわが道を貫く、険しい道のりの選択もあるにはあるのだろうけれど…)。
今日もいろいろなことがあった。そこから見えて来るものがあった。そして、何かしら学ぶことがあった。
自宅に戻ってから、ちょっと遅めのティータイム。温かい日本茶に不二家のミルクレープ。