はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(23)『パッチギ! LOVE&PEACE』を見て思ったこと

2007年06月06日 | 映画(2007-08年公開)


 夫が日曜日の午後に出張で石川県へ、息子は月曜日早朝に修学旅行で中国へと旅立った。それぞれ水曜日と木曜日には帰って来るので、火曜日だけ丸々1日、私はひとりということになる。こんなことは、おそらく息子が生まれて以来初めて。月曜の朝、息子を玄関先で見送った後、自分ひとりの時間であるこの日をどう過ごそうか(はとバスの日帰りツアーで遠出しようかとか、友人を誘って寄席か展覧会に行こうかとか…)と少々ワクワクしながら考えてみたが、いざ当日になってみると、意外にも気持ちが萎えてしまって腰が重くなってしまった。私はやっぱり家族が大好きなんだなあ…

 結局午後からモソモソと動きだし、まずは駅前の銀行で用事を済ませ、その後貯まりに貯まった映画のマイレージポイントを使って、映画『パッチギ! LOVE & PEACE』を見て来た。以前夫を誘って断られたが、夫が一緒でなくて正解だった。夫が嫌いなタイプの映画だと思う。私自身、前作と比べると、今作は今ひとつ心にフィットしなかった。しかし見るべき価値はある映画だと思う。

 ”無知”が”偏見”を生み出すからね。日本人は、この日本に住む異郷の人々についてもっと知った方がいい。なぜ彼らが日本に来たのか?なぜ今も住み続けているのかを。けっして広くはない国土で、異質な者同士の共存は難しいのかもしれない。摩擦や衝突は避けられないのかもしれない。しかし互いに歩み寄り、理解しあう努力の中で、幾つかの妥協点は見出せるはずだ。

 時に歴史の荒波は容赦なく人間を巻き込む。人は、個人の力ではどうすることもできない力によって、その人生を翻弄されることがある。与えられた運命の中で、必至にもがき苦しみながら、懸命に生きて行く。そうした人の生き様に、人種や国籍の違いなんて関係ない。他者を蔑む人は、大抵その人自身が何らかの屈折を心に抱えていることが多いんだよね。もし本当に幸せなら心が充たされているので、わざわざ他者を卑下したり貶めることで自分の立ち位置を確認する必要などないのだから(その意味では、本作で描かれた日本・在日両者、似たり寄ったり(T.T))

 冒頭から激しい両者の喧嘩のシーンで驚かされるが、確かに70年代にはそんな熱気があったと思う。寧ろ今の若者が去勢されたかのように、世の中にどんな不正があろうと、それによって自分達が将来不利益を被ると判っても、何のアクションも起こさないのが不思議なくらいだ。怒りのエネルギーさえ枯渇してしまったのか?世間との齟齬を感じたとき、それに異を唱えるのではなく自室に引き籠もってしまう若者がいる。自らの殻に閉じこもってしまう者もいる(ご丁寧にも携帯電話・携帯音楽プレーヤー、ゲーム、PCと、その為のツールも揃っている)。そうかと思えば、”断定口調”の勢力?に簡単に絡めとられてしまう若者もいる。優等生、落ちこぼれに関係なく、だ。

 この記事を書いた後に偶然Yahooの映画レビュー板を見たら、かなり低い評価と激しい?批判が殆どなのに驚いた。確かに前作ほどの完成度とパワーは感じられないが(パワーの方向性が違ったかなとは思う)、そんなに酷い作品ではないと思うのだが。しかし大量のレビューを見る限り、この作品が人の心を(いろいろな意味で)揺さぶる作品であることは間違いないようだ。確かに後味が良い作品は幸せな気分にさせてくれるが、たまにはこんな作品を見るのも良いと思う。さまざまなテイストの作品があっての全体の繁栄だろうし、そこで問われるのは見る側の見識だろうから。私達は映像で描かれていることをそのまま鵜呑みにするほど愚かではないはずだ。
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