はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

頭がこんがらがる

2024年07月18日 | はなこのMEMO
もう年代を元号で書かれると、いつのことなのかサッパリ分からない。どんな時代なのか(だったのか)イメージしづらい。異なる元号で起きた出来事の間に、どれぐらいの時間的隔たりがあるのかも分かりづらい。

例えば、下記の作家一穂ミチさんの直木賞受賞を伝える産経新聞の記事、昭和と平成と令和が一度に登場するものだからイチイチ西暦に換算するのが面倒で、一穂さんが現在何歳で、今から何年前に作家としてデビューしたのか、すぐにはピンと来ない。

過去二度の直木賞候補はさすがに令和のことだから最近のことなのね、とは分かるものの、これも、ところで西暦何年だっけ?となる。

元号は日本の文化として尊重するし、使うことに異存はないけれど、せめて西暦併記にして欲しいと思う今日この頃なのだ。

「一穂さんは昭和53年生まれ、大阪府出身。平成19年に「雪よ林檎の香のごとく」でデビュー。令和3年に「スモールワールズ」、4年に「光のとこにいてね」で直木賞候補となり、今回は3回目の候補。受賞作は新型コロナウイルス禍を背景にした6つの短編が収められた犯罪小説集。「ツミデミック」は罪とパンデミック(世界的大流行)を掛けた造語。」

「ツミデミック」は面白そうね☺️。

(了)

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2 コメント

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和暦をいつも西暦に。 (えびす宮)
2024-07-18 10:14:59
おはようございます。
コメントありがとうございました。
同じ思いを感じていらっしゃる方がいてうれしいです。
日々ニュースなどTV番組を見るとこの日本は何処へ行くんだろうと考えてしまいます。
かと言って、私がどうこうすることもできないジレンマに襲われつつ毎日を気楽に過ごしていることに嫌な気持ちにもなります。
こうしてブログに憂さを晴らすのがせいぜいなのかもしれません。
いつから日本人は怒らなくなったのだろう?と。
戦後のデモが多発したり大学紛争があったりしたことを思い出すと、なんと平穏な毎日なんだろう!

これではいけないと考えてSNSでも発信し続けていますが、自慰活動としか思えません。

私も役所や企業からの手紙に和暦が入っていると、過去のファイルを整理していると古い順に並べたくても和暦だと戸惑って西暦変換する苦労をしています。
西暦を列記してもらいたいと同じように思っています。


はなこさんも海外旅行されていて私も再開したいのですが、円安で躊躇しています。
しかし、歳を重ね身体の自由が利かなくなり、いつ行けなくなるかもしれないと考え、奮起して一年以内に旅だとうと計画するつもりです。
はなこさんのブログも参考にしたいと思います。
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Unknown (hanakonoantena20220612)
2024-07-18 11:29:09
おはようございます☺️。

フランスに行くと学生のデモによく遭遇します。自分達で学費をローン等で賄う学生が多いのか、大学の学費値上げに対してデモを行ったり…モネも描いたサン・ラザール駅前のプチホテルに泊まった時、ロック音楽をガンガン鳴らしながら学生が練り歩いていましたよ。いやはや元気だなあと😅。

それに対して日本の学生はおとなしいですね。ライブやスポーツイベント等、個人の楽しみではノリが良いけど、政治的なことや社会問題に関して声を上げることは少ないですね。

今、東大生有志が学費値上げに対して反旗を翻しているけど、値上げの理由が、苦学生へのサポートを厚くするというもので、大学側の言い分にも理があり、他の数多の大学生よりも親の平均年収が飛び抜けて高い東大生の学費値上げ反対にどれだけ理があるのか不透明です。でも、在学生の学力や国の税金投入の日本最高レベルの大学の学生が声を上げること自体には意味があるのかもしれません。

フランスは幼児期から自ら考えることを重視した教育で、幼児向けの哲学塾もあるのだそうです。実話を基にした高校生の学校生活を描いた映画を見ても、底辺校と言われる学校の生徒の殆どが、人前で堂々と意見を述べる姿が印象的でした。果たして我が国の底辺校と言われる学校の学生が、論理立てて人前で自己主張できるのだろうか?革命起こして王族を倒したお国柄ですから、個人が主張する術を公教育で幼い頃から訓練して磨いているのでしょう。

やはり学生の気質は戦後教育の成果だと思うのですよ。日本は学生運動が終息した後、高度経済成長期に本格的に入り、モノづくりの一線で勤勉に働く人材教育(=働きバチ)に注力し、個人の人権尊重意識はなおざりにされた感がある。とにかく上の指示に従い勤勉に働くことが美徳とされた。その結果、日本経済も上昇気流に乗り、国民個々の収入も右肩上がりで、一億総中流社会と言われた時期もあった。その後バブルが弾けた後も、日本の教育現場は本格的な時代の変化に対応した教育の実施には至っていない。

また、学生運動で、例えば安保体制に何の変化も無かったことや、激しい学生運動の反動で、教育現場で政治的な話題を避ける傾向が出て、それが学生の政治や社会状況への無関心に繋がったのかもしれません。

一部の既得権益者らが自身の利益を守るために熱心に政治に関わった以外は、大半の国民は政治や社会問題に無関心であったために、今、多くの国民を無視した政治状況になっていると思うのです。

若者が自分達の置かれた状況に本気で怒って行動を起こせば、突破口が見つかるかもしれません。

役所は体制を守る、維持する側だから、前例に従うだけなんでしょうね。私の住む自治体には「市長への手紙」と言う制度があり、私はメールで市政への質問や改善提案を時々行っていますが、きちんと関係部署から返信があり、改善の方向に進んだこともあります。

まずは身近なところから、ですかね☺️。
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