はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

一極集中の弊害

2013年01月06日 | はなこ的考察―良いこと探し
度々ネットでも話題と言うか、論争になる
電車やバスなどの公共交通機関内でのベビーカーの使用の是非にしても、
ラッシュアワーの電車内の酷い混雑ぶりや、それに乗じた?痴漢行為にしても、
盆暮れの恒例行事と化している、帰省による道路の大渋滞にしても、
全ては、都市部、特に関東南部への人口の一極集中が招いた問題なのは、言わずもがなだろう(試みに、それらの問題を地方に当てはめてみたら、ひとつとして存在しない)。

とにかく、人口が過密なのだ。おそらく、その過密ぶりは、既に人間が生物として許容できる範囲を超えてしまっているのだろう。今や都市部において、他人は自分のテリトリーを侵す不快な存在に近いのかもしれない。だから、勢い他人への視線がきつくなる。他人との摩擦が起きてしまう。

都市部への人口の一極集中は、行政機能や企業活動の一極集中が原因でもあるのだが、歴史を遡れば、徳川幕府が江戸に拠点を構えたのが、そもそもの始まりであった。そして、徳川幕府が江戸を拠点としたのは、京都の宮廷と距離を置く狙いもさることながら、関東平野の広大さと安定した気候が魅力であったに違いない。

今でこそ大震災や富士山噴火のリスクが声高に叫ばれているが、それ以外の天災で、関東平野が大きな被害を受けることは滅多にない。例年、夏季は風水害、冬季は降雪による被害に全国各地が見舞われるが、関東南部ではその被害を殆ど聞かない。

それだけ都市化(治水事業の充実等)が進み、自然の脅威(河川の氾濫等)を直接的に受ける機会が減ったとも言えるだろう。

私も関東南部に住んで30年近いが、これまで自然災害という点で脅威を感じたことは殆どない。

しかし、物事は常に「正」と「負」の両面を表裏一体に抱えているものだ。あちら立てば、こちら立たず。都会人は都会に住むことで都市生活の利便性を得、自然の脅威から遠ざかることが出来たが、反面、人口の一極集中が進んだあまり、精神的な余裕を失ってしまった。特に、乳幼児・子ども、障がい者等の社会的弱者への思いやりに欠けてしまっている。老人も頑健でなければ生きて行けない。それは、「効率性の重視」と言う都市の性格にも起因するのかもしれない。都市機能を円滑に維持する上で妨げになるものは、容赦なく排除されがちだ。

せめて行政機能の移転、もしくは分散を、国の方針として真剣に考える時が来たのではないだろうか?その流れの中で、行政に追随する企業も出て来るだろう。それに伴い人も動く。記憶に新しい一昨年の震災時の混乱も、その必要性をまざまざと見せつけた出来事だったと思う。
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