東京オリンピック組織委員会の最新の試算によれば、東京オリンピックの開催運営費用が、当初、誘致時に提示していた3,000億円の、なんと6倍に当たる1兆8,0000億に上ることが分かったらしい。さらに早稲田大学スポーツ科学学術院の原田宗彦教授の試算では、国や東京都が負担する予定の競技場の整備費を加えると2兆円を突破する勢いらしい。
1兆8,000億円の内訳は、主な支出としては
(1)仮設の競技場の整備:3,000億円 ←この時点で当初の予算を使い果たしている
(2)会場に利用する施設の賃借料:2,700億円
(3)警備会社への委託セキュリティ関連費用:2,000億円
(4)首都高速道路に専用レーンを設ける為の営業補償費など、
選手や大会関係者の輸送費用:1,800億円などで、
その他諸々を合計すると1兆8,000億円になるのだとか。
一方、組織委員会がチケット収入やスポンサーから集められる資金は4,500億円程度と見込まれ、1兆円を超える不足分は最終的に国や都が補填する形になると言う。
そもそも誘致時はどの立候補地も予算額を低く抑えて誘致活動を行う傾向があり、ロンドンオリンピックも実際には当初の計画の3倍に費用が膨らみ、最終的に国庫負担は1兆円を超えたと言われる。しかし、東京の6倍は「あまりにも見通しが甘す過ぎた」と、既出の教授。「説明責任を果たす必要がある」と釘を刺す。
最終的に不足分は国や都が補填すると言うが、その補填額を負担するのは結局、国民や都民と言うことになる。
こんな馬鹿な話があるだろうか?
本当に試算額の元となる諸々の費用は適正なものなのか?何だか、オリンピック利権に群がった企業(特に建設関係?)が、寄って集ってオリンピック、ひいては国民の税金を、ここぞとばかりに食い物にしようとしているように見えるのだが…
時間が経つにつれ、次々と顕になる問題に、東京オリンピックの行く末が案じられる。こうなって来ると、国立競技場やエンブレム問題は単なる氷山の一角に過ぎなかったと思わざるを得ない(このところ、日本と言う国のダメダメっぷりが一挙に噴出した感じだ。日本はもう少しマトモな国だと思っていたのに、実はそうではなかったと思い知らされたショックはけっして小さくない。ライフネット生命の出口社長が指摘されているように、「日本も"普通の国"になってしまった」のか?)。
敗戦から僅か19年で開催に漕ぎ付けた旧東京オリンピックは、焦土から立ち上がった日本の高度経済成長期(1954-1973)の真っ只中に開催された。国民が明るい未来を展望できた時代である。誰もが自らの努力が報われると信じて、がむしゃらに誠実に働いた時代だろう。
ところが今はどうだ?オリンピック後の景気の落ち込みさえ懸念される低成長時代である。超高齢化社会による社会保障費の増大に、国の財政も危ぶまれる時代である。働く人間のモチベーションも、オリンピックに対する期待値も、高度経済成長期と比べて格段に低いだろう。
そんな中でのオリンピックを巡るすったもんだ。いい加減国民も呆れを通り越して白けている。
現東京オリンピックの闇は深い。
1兆8,000億円の内訳は、主な支出としては
(1)仮設の競技場の整備:3,000億円 ←この時点で当初の予算を使い果たしている
(2)会場に利用する施設の賃借料:2,700億円
(3)警備会社への委託セキュリティ関連費用:2,000億円
(4)首都高速道路に専用レーンを設ける為の営業補償費など、
選手や大会関係者の輸送費用:1,800億円などで、
その他諸々を合計すると1兆8,000億円になるのだとか。
一方、組織委員会がチケット収入やスポンサーから集められる資金は4,500億円程度と見込まれ、1兆円を超える不足分は最終的に国や都が補填する形になると言う。
そもそも誘致時はどの立候補地も予算額を低く抑えて誘致活動を行う傾向があり、ロンドンオリンピックも実際には当初の計画の3倍に費用が膨らみ、最終的に国庫負担は1兆円を超えたと言われる。しかし、東京の6倍は「あまりにも見通しが甘す過ぎた」と、既出の教授。「説明責任を果たす必要がある」と釘を刺す。
最終的に不足分は国や都が補填すると言うが、その補填額を負担するのは結局、国民や都民と言うことになる。
こんな馬鹿な話があるだろうか?
本当に試算額の元となる諸々の費用は適正なものなのか?何だか、オリンピック利権に群がった企業(特に建設関係?)が、寄って集ってオリンピック、ひいては国民の税金を、ここぞとばかりに食い物にしようとしているように見えるのだが…
時間が経つにつれ、次々と顕になる問題に、東京オリンピックの行く末が案じられる。こうなって来ると、国立競技場やエンブレム問題は単なる氷山の一角に過ぎなかったと思わざるを得ない(このところ、日本と言う国のダメダメっぷりが一挙に噴出した感じだ。日本はもう少しマトモな国だと思っていたのに、実はそうではなかったと思い知らされたショックはけっして小さくない。ライフネット生命の出口社長が指摘されているように、「日本も"普通の国"になってしまった」のか?)。
敗戦から僅か19年で開催に漕ぎ付けた旧東京オリンピックは、焦土から立ち上がった日本の高度経済成長期(1954-1973)の真っ只中に開催された。国民が明るい未来を展望できた時代である。誰もが自らの努力が報われると信じて、がむしゃらに誠実に働いた時代だろう。
ところが今はどうだ?オリンピック後の景気の落ち込みさえ懸念される低成長時代である。超高齢化社会による社会保障費の増大に、国の財政も危ぶまれる時代である。働く人間のモチベーションも、オリンピックに対する期待値も、高度経済成長期と比べて格段に低いだろう。
そんな中でのオリンピックを巡るすったもんだ。いい加減国民も呆れを通り越して白けている。
現東京オリンピックの闇は深い。