はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

充足感と不足感と

2015年12月25日 | はなこ的考察―良いこと探し
 最近つくづく思うことは、

 これまでの"人生の垢"をすべてそぎ落としたとして、今の自分に何が残るか、と言うこと。
 自分がこれまでの人生で一番求めていたのは何か、と言うこと。
 
 そして、"失敗"は自分に"気づき"を与える貴重な機会である、と言うこと。

 すべてをそぎ落として後に残ったものが、自分にとって最も大切なもの、かけがえのないものなのではないか?

 それは自分が人生で一番求めていたものなのかもしれないし、それがもし一番求めていたものであったなら、自分は今、十分幸福だと言えるのではないか?だとしたら、そのことに感謝しないとね。

 もちろん、人生で求めるものは人それぞれだ。

 おそらく、それらは大人になる前に自分にはなかったもの?自分が持っていなかったもの?だから人の生き方は、どんな子供時代を過ごしたかで決まるのではないかと思うのだけれど、実際どうなんだろう?


 一方、シルヴァスタインが『ぼくを探しに』で描いたのは、自分の欠けた部分を探し求め続ける人生への疑問。

 「ぼくを探しに」は"完璧"であることの不自由さや不具合を描き、"完璧"であるがゆえに人生で失うものの大きさを静かに訴えかけている。

 完璧でないからこその人生の味わい深さに目を見開かせ、完璧でない自分を肯定し、その人生を慈しむよう促している。

 ただし、『ぼくを探しに』でぼくが探し求めていたのは、おそらく私の文脈では"人生の垢"に当たるもの。それは人(世間)から自分がどう思われているか(自分の言動が、他人には予想外の受けとめ方をされていることも多い)とか、世間の自分(の能力)への評価とか、それらが自分にもたらしたもの。

 人生も後半になると、何だかそうしたものがどうでも良くなって、それらをすべてそぎ落として後に自分に残ったものさえあれば、それで十分ではないかとも思えて来た。

 とは言え、人生で自分の思い通りに行かないことにぶち当たると、自分には何か欠けているものがあるのではないか、自分はこのままで良いのか、と考えさせられるのもまた事実。

 
 かくして充足感と不足感の繰り返しで、私の人生は過ぎて行く。
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