世の注目を集めるイベントや何か突発事項が発生した時、
イベントや突発事項そのものよりも、
それに対するマスコミ(特にテレビ・ジャーナリズム)や
世の中の反応の方が興味深かったりする。
今朝は例の如く、テレ東(いつも我が道を往くという
スタンスは小気味良い印象すらある)を除く民放各局は、
通常のプログラムを変更して、紀子さま特番一色だった。
皇室に41年ぶりの男子誕生は大きなニュースだけど、
各局一斉に数時間に渡って特番を組むのは翼賛会的?
何かコトが起きたら、その報道一色というのは、
選択の余地がないというか、他への関心を許さないという
圧力さえ感じて、個人的には嫌だ(チャンネル権は
こちらの手中にあるわけで…嫌なら消せば良い話)。
こういうテレビの傾向は、地下鉄サリン事件以来だろうか?
この事件以後は、その衝撃の凄まじさから、
相当期間に渡って、その報道に時間が割かれた。
それが長く続くと、受け手はもちろん、送り手にも
”うんざり感”が漂っているにも関わらず、
送り手が止めどころを掴めなかった為に、
ダラダラと有意味無意味の情報が垂れ流され続けた。
日本全体が、この事件とこの事件を起こした宗教団体の
呪縛で金縛りにあっていたようにも見えた。
だから別の大事件(9.11?)が起るや、
テレビは一斉にそれに飛びついて、
やっと呪縛から解き放たれた印象があった。
それとも、こうしたテレビの”金縛り現象”はもっと以前から、
報道番組がアメリカのそれを真似て、”ニュース”から
”ニュースショー”へと変質した頃からの傾向なのか?
伝えたい中身はないのに時間枠だけは大きく取られ、
それを埋めるのに汲々としている送り手の焦り…最近は惰性?
が感じられる。
夕方の2時間枠のニュースショーなど、5時台と6時台で、
ほぼ同じ情報を流している。さらに忙しい時間帯に
誰が見るのかグルメ情報など、緊急性の乏しい内容に
少なくない時間が割かれている。朝や昼のワイドショーとの
境界線があやふやな内容に、その存在意義を疑う。
とは言え、今日の(秋篠宮家に第三子ご誕生というより)
皇室に41年ぶりに男子誕生のニュースが、
どのように伝えられているのか、世の中の反応なども
気になるので、カチャカチャとチャンネル・サーフィンを
したミーハーな私であった。
おそらく、これが女子誕生なら、これほど大騒ぎには
ならなかったはずだ。各テレビ局の特番のスタジオセットの
豪華さ、ゲストの顔ぶれをみたら、テレビ・マスコミには予め
男子懐妊の事実がリークされていたのかなと勘ぐりたくなる。
はて?愛子内親王ご誕生の時はどうだったんだろう?
しかし、各特番が伝える内容はほぼ同じ、ゲストのコメントも
お祝いムード一色、或いは当たり障りのないコメントに終始し、
しかもこちらが知りたい内容との微妙なズレも感じる。
皇室典範改正反対派の人は”してやったり”の表情で、
声高に「あの論議は打ち止め」と宣言している。
実際のところ男子誕生で、改正審議は先送りがほぼ決定となって、
内心ホッとしている政治家も多いんだろう。
街行く人の反応はさまざま。諸手を挙げて喜ぶ人もいれば、
皇室典範改正問題がこれで終わったわけではないと釘を刺す人、
これから一身にお世継ぎ問題を背負うことになるかもしれない
今回誕生された親王への気遣いを見せる人。
今回のニュースへの興味・関心の深さ、
皇室典範改正問題への理解度の違いによって、
反応が違ってくるのは当然のことだろう。
そして、その反応の多様さに実はホッとしている。
皆が一様に「良かった。良かった」では思考停止もイイトコで、
この国の行く末が心配になる。
要は、何らかの意図の下に誘導されて皆が同じ方向を向いたり、
何らかの圧力によって個人の自由な意思や発言が
妨げられることが怖いのだ。
そうした”意図”や”圧力”の伝達装置としての
テレビの危険性は、けっして低くはないだろう。
また暫く、このニュースでテレビはもちきりなんだろうな。
世の中には、これ以外に何のニュースも存在しないかのように。
イベントや突発事項そのものよりも、
それに対するマスコミ(特にテレビ・ジャーナリズム)や
世の中の反応の方が興味深かったりする。
今朝は例の如く、テレ東(いつも我が道を往くという
スタンスは小気味良い印象すらある)を除く民放各局は、
通常のプログラムを変更して、紀子さま特番一色だった。
皇室に41年ぶりの男子誕生は大きなニュースだけど、
各局一斉に数時間に渡って特番を組むのは翼賛会的?
何かコトが起きたら、その報道一色というのは、
選択の余地がないというか、他への関心を許さないという
圧力さえ感じて、個人的には嫌だ(チャンネル権は
こちらの手中にあるわけで…嫌なら消せば良い話)。
こういうテレビの傾向は、地下鉄サリン事件以来だろうか?
この事件以後は、その衝撃の凄まじさから、
相当期間に渡って、その報道に時間が割かれた。
それが長く続くと、受け手はもちろん、送り手にも
”うんざり感”が漂っているにも関わらず、
送り手が止めどころを掴めなかった為に、
ダラダラと有意味無意味の情報が垂れ流され続けた。
日本全体が、この事件とこの事件を起こした宗教団体の
呪縛で金縛りにあっていたようにも見えた。
だから別の大事件(9.11?)が起るや、
テレビは一斉にそれに飛びついて、
やっと呪縛から解き放たれた印象があった。
それとも、こうしたテレビの”金縛り現象”はもっと以前から、
報道番組がアメリカのそれを真似て、”ニュース”から
”ニュースショー”へと変質した頃からの傾向なのか?
伝えたい中身はないのに時間枠だけは大きく取られ、
それを埋めるのに汲々としている送り手の焦り…最近は惰性?
が感じられる。
夕方の2時間枠のニュースショーなど、5時台と6時台で、
ほぼ同じ情報を流している。さらに忙しい時間帯に
誰が見るのかグルメ情報など、緊急性の乏しい内容に
少なくない時間が割かれている。朝や昼のワイドショーとの
境界線があやふやな内容に、その存在意義を疑う。
とは言え、今日の(秋篠宮家に第三子ご誕生というより)
皇室に41年ぶりに男子誕生のニュースが、
どのように伝えられているのか、世の中の反応なども
気になるので、カチャカチャとチャンネル・サーフィンを
したミーハーな私であった。
おそらく、これが女子誕生なら、これほど大騒ぎには
ならなかったはずだ。各テレビ局の特番のスタジオセットの
豪華さ、ゲストの顔ぶれをみたら、テレビ・マスコミには予め
男子懐妊の事実がリークされていたのかなと勘ぐりたくなる。
はて?愛子内親王ご誕生の時はどうだったんだろう?
しかし、各特番が伝える内容はほぼ同じ、ゲストのコメントも
お祝いムード一色、或いは当たり障りのないコメントに終始し、
しかもこちらが知りたい内容との微妙なズレも感じる。
皇室典範改正反対派の人は”してやったり”の表情で、
声高に「あの論議は打ち止め」と宣言している。
実際のところ男子誕生で、改正審議は先送りがほぼ決定となって、
内心ホッとしている政治家も多いんだろう。
街行く人の反応はさまざま。諸手を挙げて喜ぶ人もいれば、
皇室典範改正問題がこれで終わったわけではないと釘を刺す人、
これから一身にお世継ぎ問題を背負うことになるかもしれない
今回誕生された親王への気遣いを見せる人。
今回のニュースへの興味・関心の深さ、
皇室典範改正問題への理解度の違いによって、
反応が違ってくるのは当然のことだろう。
そして、その反応の多様さに実はホッとしている。
皆が一様に「良かった。良かった」では思考停止もイイトコで、
この国の行く末が心配になる。
要は、何らかの意図の下に誘導されて皆が同じ方向を向いたり、
何らかの圧力によって個人の自由な意思や発言が
妨げられることが怖いのだ。
そうした”意図”や”圧力”の伝達装置としての
テレビの危険性は、けっして低くはないだろう。
また暫く、このニュースでテレビはもちきりなんだろうな。
世の中には、これ以外に何のニュースも存在しないかのように。