はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

昨日、書いたことについて…

2006年09月05日 | 日々のよしなしごと
昔から手紙はすぐ出さずに一晩寝かせなんて言いますが、勢いで書いた文章には何かしら齟齬があるもの。

今日も昨日書いた自分の文章を読んだら、やはり思慮の足りなさがありました。


痛ましい老夫婦の間に起きた事件に関して、何が問題だったかと言えば、やはり昔は隣近所でお互いを思い遣る気持ちがあったのが、今は「隣は何する人ぞ」という風潮があり、それが各家で起きている問題が看過される原因となっていること。

そして、映画『清作の妻』(1965年、田村高廣、若尾文子主演)で感じた共同体の窮屈さは、挙国一致という国家体制や貧しさ故に、お互いを思い遣るというより、監視するという側面が強かったこと。

それを「共同体」=「ご近所」と乱暴に結びつけたことに、そもそも無理があったようです。

今日も東京都の広報番組で、悪質商法からお年寄りを守る方策として、ご近所付き合いの大切さを訴えていました。

あれほど「オレオレ詐欺(=振り込め詐欺)」が社会問題化し、繰り返し報道されても、被害が後を絶たないのは、やはり孤独な人が多いということなのでしょう。何か問題が発生した時に、身近に相談できる人がいない。もちろん、本人の認知機能の低下も原因のひとつでしょう。

私が田舎暮らしを捨て都会に出て来たのは、やはり田舎の旧態依然としたところが嫌だったから。就職にしても、本人の能力より親の力、コネがまかり通るところがあり、悔しい思いを何度もしました(←これが決定打かな)。大人達が近所や親戚付き合いに忙殺されて、自分の生活がないのも嫌だった。

今は自分のやりたいことができる”気まま暮らし”ですが、それによって失ったものも、もちろんあるでしょう。それでも自分の選択に後悔はしていない。“自分の人生を生きている”実感があるからです。

とは言え、田舎にいる夫婦それぞの両親のことは気にかかります。 両親がつつがなく健在だからこその、自分達の暮らしですから。

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