はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

ブログの脆弱さを思い知る

2008年12月05日 | 日々のよしなしごと
いまだブログ移転の混乱の最中にあって、心落ち着かない日々を過ごしている。何も年末のこの慌ただしい時期に、ブログサービス終了の告知を出さなくても良かろうに。プロバイダーはよほど切迫した事情を抱えているのだろうか?まさか、プロバイダー事業そのものから撤退はしまいね?(不安はいつも的中するので怖い)

今回の件で、改めてブログの存在の危うさ、その継続を保証する基盤の脆弱さを思い知らされた。少し意味合いは違うけれど、10日程前に、私がボランティアを務める美術館の館長A氏が、日経紙でデジタル情報消滅の危険性について指摘したのを、ふと思い出した。

氏は学術分野でも進む情報のデジタル化に関し、日本のデジタル情報保存における「ハード・ソフト両面のリスク・マネジメントの遅れ」に警鐘を鳴らす。

実際問題、東京国立近代美術館フィルムセンターでは、ビデオテープを形成する接着剤の品質の変化で、初期のビデオテープの修正が殆ど不可能な状態だそうだ。私たち一般人のレベルでも、例えば20年前に記録媒体の主流のひとつであった8mmビデオテープはハードのバックアップ体制が不十分な為に、ハードが故障するとそれを修理することも新たに買い直すこともできず、保存情報が再生できない問題が発生している。メーカーはユーザーを置き去りにして技術革新に明け暮れ、ハード・ソフト両面の保存性に対する責任(製造責任)を放棄しているに等しい。かくしてユーザーは、記録媒体の変換(8mmビデオテープ→DVD)にけっして安くない出費を強いられている。もちろん、DVDの再生機能も、未来永劫保証されているわけではない。

また氏は研究者が個々に作った小規模データベースの閉鎖性についても触れ、デジタル情報のみで印刷物になっていない為、せっかくの「知の集積」も多くの人の目に触れることがなく、その結果データが更新されることもない死蔵も同然の状態であると指摘した。

デジタル情報化社会の便利さを享受しつつも、私たちはその基盤が「砂上の楼閣」であることを常に意識しなければならないのだろう。

当然のことながら、個人レベルのデジタル情報のバックアップは「自己責任」なのね。

参考記事:日本経済新聞(2008年11月26日付夕刊24面「記録媒体の限界 認識を」)
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