はなこのアンテナ@無知の知

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今年は『海外旅行自由化』から60年❗️

2024年07月29日 | 海外旅行(旅の記録と話題)
今から60年前の1964年4月1日に、「日本人の海外渡航が自由化」されたのをご存知だろうか?(それまでは国の許可を得た特別な人しか海外渡航を許されなかった)

この日に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの制限付きで海外への観光旅行が可能になったと言う。

とは言え、海外旅行黎明期の1960年代、海外旅行は購入できる客層が限られた超高額賞品だったようだ。

例えば、海外渡航自由化から1週間後にJTBが主催した「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」のツアー代金は364,000円。当時の国家公務員大卒初任給19,100円の実に19倍❗️

そして、米国で普及していた「パッケージツアー」の手法を、1965年に日本航空が導入して始めたのが「ジャルパック」だ。同年4月10日に出発した「ジャルパック/ヨーロッパ16日間コース」は675,000円(国家公務員大卒給与の約3年分‼️)。

現在の物価に換算すると、ハワイツアーが約475万円、ヨーロッパツアーが900万円相当❗️Unbelievable‼️

それでも1964年の出国者数は127,749人になったと言うから、富裕層は挙って海外渡航を始めたのだろう。それが証拠に、海外で購入する土産品は、高額な関税と日本への持ち込み制限にも関わらず、洋酒やタバコ、香水だったと言う。

因みに当時の旅の必携品は御守り、正露丸、漬け物、せんべいだったそうだ。

日本人の海外渡航が自由化された1964年は下記の通り、国際社会と日本との関わりの上でも重要な年で、日本の国際化が急速に進み始めた年でもあった。

・アジアで初となる夏季オリンピック開催

・国際通貨基金(IMF)8条国へ移行し、為替取引が原則自由化

・経済協力開発機構(OECD)への加盟

こうした流れの中、ジャルパックに続いて1968年にはJTBと日通旅行の共同ブランド「ルック」、郵船航空サービスの「ダイヤモンドツアー」、1971年に日本旅行の「マッハ」、1972年に近畿日本ツーリストの「ホリデイ」など、大手旅行社によるパッケージツアーのブランド商品が次々と誕生する(関西大手の阪急交通社の「トラピックス」はやや遅れて1989年)

因みに海外旅行の大衆化がかなり進んだ2014年、格安航空券販売で知られるHISはハワイ5日間トローリー乗り放題で最低価格68,000円のツアーを販売している。

海外渡航黎明期、柳田邦夫のルポ「大いなる決断」に記された当時の旅行業界の会話「パッケージツアーは高値の花。しかし時は高度経済成長期。遠からず会社員でも手が届くようになり、ハワイにヘルスセンターができ、香港が熱海になる」は近年、現実のものとなったかに見えた。

しかし、世界的なパンデミックにより人の移動がほぼ途絶えた「コロナ禍」を経て、人手不足による人件費の上昇生産地での紛争や気候変動の影響で食料供給が逼迫して起きた世界規模の物価高騰産油国の生産調整による原油価格の高騰、そして世界的な旅行ブームによる航空運賃や宿泊料金の高騰に、数十年ぶりと言われる円安の直撃も受けて、再び海外旅行は多くの日本人にとって「高値の花」になってしまった。

2023年末時点で、日本国内在住日本人の有効パスポートの保有率は、全国民の17%。これはコロナ禍前(22%)の78%で、高止まりのツアー価格に様子見を決めている人が少なくないと言うことだろう。

昨秋、さる大手旅行社の添乗員に聞いた話では、海外ツアーの催行率は30%と低調で、コロナ禍を機にツアー客の一角を占めていた年配層が戻って来ないのがひとつの原因だと言う。

とは言え、富裕層はツアー価格の高騰など関係なく、また好奇心旺盛な一部の若者は情報収集して、できる限りコストカットして、海外には行っているようだ。私が昨年出会った2人の青年は、趣味のスケボーをしに一昨年は米LA、昨年はスペインに行くと言っていた。現地のスケートボーダーとの交流が楽しいんだそうだ。

今は日本人の間でも国内志向が高まり、インバウンド需要の急増も相まって、国内の観光地ではオーバーツーリズムの問題も深刻化していると言うから困ったものだ。

個人的には夫の年齢的なタイムリミットも考え、清水の舞台から飛び降りるつもりで、近々海外には行きたいと思っている。

【出典】
・『日本経済新聞』2024年7月21日(日)1面「春秋」コラム
・サイト『トラベルボイス』2014年1月20日号「50年前のハワイツアー、いくら?海外渡航自由化の歴史を読み解く(1)」

(了)

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2 コメント

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Unknown (yuki)
2024-07-30 13:09:41
「はなうたまじり」さんのところから来ました。
yuki(男性です)

たしかに、そうでしたね!
私が18歳の時に、沖縄に行った時はまだパスポート(身分証明書)が必要で、所持金100ドルと書かれていました。
21歳の時(学生時代)は、1年ちょっと米国に住んでいましたが、この頃は自由化になっていたのでしょう。
旅費はバイトで稼いで、当時一番安い渡航費は貨客船でした。エンジンルームの近くで東南アジアから移民する人たちとの大部屋でした。
殿さまのような旅がしたくなりました。
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Unknown (hanakonoantena20220612)
2024-07-30 14:58:14
yukiさん、初めまして。コメントをありがとうございます☺️。

海外渡航を巡る体験談、興味深く拝読しました。沖縄渡航にパスポートが必要だったと言うことは、返還(1972)前の話ですね。当時は米国統治で沖縄は外国だった。

米国渡航も貨物船とは、まるで映画のような話ですね。1ドル360円の時代。米国での生活も大変だったかもしれませんが、若い頃に海外を見れたことは、その後のYukiさんの人生に大きな影響を与えたのでしょうね。

私の知人夫妻に80歳前後の方がいらっしゃるのですが、新婚旅行でフランスに行かれたそうです。当時としては珍しく豪華な新婚旅行だったのではと想像します。夫人のお父様が費用を出してくださったそうです。今回の記事の通りの限られた人々が経験できた旅行だったのでしょうね。改めてビックリです。
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