はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

我が子への贈り物(2)

2014年03月18日 | はなこ的考察―良いこと探し
息子の美術館デビューは生後4カ月だったが、以来、私の趣味に付き合わせる形で(笑)、これまで国内外の数多くの美術館の、のべ100近い数の展覧会に息子を連れて行った。さすがに大学入学後は勉学や研究、部活に忙しいのと、彼なりの嗜好もあって、以前ほどは一緒に連れ立って行くこともなくなったが、幼い頃から場数を踏んだことで、彼なりに美術作品との向き合い方を学んでくれたのではと思っている。彼が10年通った絵画教室の先生は常々「子どもは皮膚からも吸収するんです」と言っておられたが、息子も、これまで出会った芸術作品から多くのことを吸収し、彼自身の血肉にしたのだと信じたい。

私の趣味と言えば、映画鑑賞にも積極的に付き合わせた。彼の映画鑑賞デビューは確か1歳半の頃である。駐在先の自宅のテレビで、なんと「エイリアン2」を見た。もちろん、この場合は端から見せる気満々で息子に見せたわけではなく、家事をしながら流していた映像に、息子がたまたま見入ってしまったのだ。しまったと思ったが時既に遅く、息子は映像に釘付けだった。そして、エイリアンに襲われる夢でも見たのか、夜中にうなされた。幸いにも、本人はこのことを全然覚えていないようである。

映画館デビューは帰国後間もなく、アニメの「ドラえもん」劇場版だっと思う。以来、長らくドラえもんは息子のアイドルだった。小学校を卒業するまで、毎年のように新作を見に行った。川崎市の生田緑地内にできた「藤子・F・不二雄ミュージアム」にも、開館後すぐに訪ねている。家族でアクション映画もよく見に行った。所謂スパイもの、サスペンス、SFなど、我が家は自宅のテレビで見るより、映画館で見ることの方が圧倒的に多い。映画館は近所にある為、気軽に足を運べる分、美術館以上に身近な存在だ。息子もこれまで何百本と見たことだろう。今では家族や友人とだけでなく、とにかく忙しいせいか、時間が空けば、ひとりで見に行くことも多い。映画フリークの私から見ると、息子が見るのはアクションものやアニメに偏りがちなので、もう少し物語性のある重厚な作品も、年齢的にそろそろ見て欲しいところではある。

息子が中学生の頃、「もしかして息子は読字障害なのではないか」と真剣に悩んだこともあった。とにかく本を読まない。本を読まないから、読解力も身につかない。読解力がないから、教科学習全体に悪影響を及ぼし、学業成績も今ひとつであった。これでも息子が幼児の頃から小学生にかけて、絵本から始まって、昔話、童話、児童小説と、毎晩、読み聞かせをして来たつもりだ。しかし、一向に活字に興味を持つ気配がなかった(ただし、マンガは例外で、彼のベッドの下にはおびただしい数のマンガの単行本が収納されている。しかも全巻揃えでないと気が済まないらしい。最近は"卒業"を意識してか、それらを売りに出しているようだ)。これがネックとなり、大学受験に向けての勉強でも、理系科目はまだしも、国語や社会等の文系科目が壊滅的にダメだった(しかし、基本的に真面目な性格なので、英語や漢字など、地道に勉強すれば点数の取れる分野は得意であった)。

おそらく学年でも最も年少と言うこともあって、人より何かにつけ目覚めるのが遅いのかもしれない。親の目には、常に同級生と比べ、精神的に幼いように見えた。それが大学に入学後、人が変わったように、突然、読書に目覚めたのだ。特に村上春樹のファンで、最近の作品から遡って彼の過去の作品も読み漁っているようだ。他には伊坂幸太郎や東野圭吾、宮部みゆきなどのベストセラー作家の作品や友人から紹介されたライトノベルなど、見たところ現代文学に偏っている。しかし、昔のことを思えば、読書に目覚めてくれただけでも、親としては嬉しい。ドラマなどでドストエスフキーにも最近、興味を持ったようなので、これからおいおい世界文学にも誘いをかけてみようとも思うが…いやいや、ここはグッと堪えて、自然の流れに任せよう。

そして、読書に目覚めたことで、読解力も多少は身についたようだ。大学では1度に大量の文章を読まなければならないことも少なくないが、それもどうにかクリアしているようだし、頻繁に提出しなければならないレポートを書くのも、以前ほどは苦にならなくなったらしい。現在は就活に向けてエントリーシートを書いている最中で、読んでみると多少稚拙な点はあるものの、以前とは見違えるような文章を書いているので少し安心した。

私の実家は、私が小学生の時、父が病に倒れて以来、経済的に余裕のない家庭だったので、1度も家族旅行をしたことがなかった。そんな私は家業の手伝いで店番をしながら、毎日のように日本地図や世界地図を広げては、旅行の妄想に耽っていた(笑)。お金の当てもないのに、「いつかは海外に住んでみたいなあ」とも思っていた。その夢が、今では叶った(妄想が現実となった?)

私が初めて他県に足を踏み入れたのは中学の修学旅行でのこと。その後、高校の修学旅行、短大時代に他県にある姉妹校との交流会への参加、上京後の会社の同僚との国内旅行や国内ひとり旅、夫との新婚旅行、海外赴任、赴任中の中東・ヨーロッパ数カ国への旅行、帰国後の国内外への旅行で、国内44都道府県、海外15カ国を、場所によっては複数回訪ねた。国内はそのほぼ全てを、海外は10カ国を、息子と共に訪れている。さらに息子は学校の修学旅行や友人との旅行で、私も訪れたことのない国や県、都市へも旅しているので、私が知らない世界も見て来ているはずだ。

家族で各地を旅することは、息子を授かってからの念願でもあった。息子に「国内外のさまざまな景色」「さまざまな場所で生きる人々の暮らしぶり」「人々が長い年月に渡って創り上げた多彩な芸術文化」を見せてあげたかった。そして、何より「世界の広さと多様さ」を肌で感じて貰いたかった。どうせ生きるなら、井の中の蛙で終わらずに、常に世界を意識して生きて欲しい。さまざまなことに広く、時には深く関心を寄せて、息子なりに充実した人生を歩んで欲しいと願っている。いかんせん、私も万能ではないから、これまで彼に経験させてあげたことの中には、私自身がついぞ縁のなかったスポーツの分野が欠けているが(強いて言えば、ウォーキングがスポーツの分野に当て嵌まる?)、そこは彼が自分自身で開拓して貰いたいところだ。

結局、家族で楽しく過ごすことを追求した為に散財したので、正直言って、息子に相続させるようなめぼしい資産が我が家にはない。これまで家族で経験したこと、息子に授けた教育を無形の財産だと思って、息子には自分の人生を力強く生きて行って欲しい。


…とまあ、ここまで書いて、自分はどれほど息子に執着し、溺愛しているのよ、と思う(果たして、夫について、ここまで語れるのか?ase)。とにかく、息子がカワイクテ仕方ないのは確か。同時に、これまで散々私達のワガママに付き合わせ、十分に楽しませて貰ったので、そろそろ(いい加減?)子離れする時期なのね、と言う一抹の寂しさも感じているのです。息子の就職が、ひとつの区切りとなるでしょうか?
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