はなこのアンテナ@無知の知

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渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012)

2012年06月04日 | 読書記録(本の感想)
 最近は「ボロは着てても心は錦」とは言わないようで、「名は体を表す」ならぬ「外見は内面を表す」と言うのが常識になりつつある。そのせいか、才色兼備と言うか、才能豊かな人々に、洗練された美男美女(いかにも品があり利発そうな顔立ち)が増えたような気がする。

 このことは本の装丁にも当て嵌まるのか、私が昨年辺りからその言動に注目している、新潮社出版部長の中瀬ゆかり氏が週一で出演の情報番組でも、本の装丁の良し悪しを2社で競う「装丁じゃんけん」と言うコーナーがあり、夫婦してそれをよく見ている。出版社が、商品である本を、とにかくまず客に手に取って貰おうと、装丁デザインに心を砕いているさまがよく分かる企画である。そのコーナーで編集者のプレゼンを見、中瀬氏らの熱いコメントを聞いて、紹介された本を買ったのも1度や2度でない。

 表題の本も、書店内をクルージングして、その装丁の可憐さに惹かれて思わず手に取ってしまった本である。後で知ったのだが、最近のベストセラーらしい。

 しかし、装丁の良さはあくまでも「掴み」。買う、買わないは、やはり「内容」が大切だ。私は(たぶん、多くの人がそうだろうが)、まず目次を見る。そこで気になった項目を2,3ページ読んでみる。そこで、例えば文体のリズムとか、主張への共感とか、さらに先を読みたくなる内容の魅力とかで、実際に買うか、買わないかを決めることになる。


 表題の本、『置かれた場所で咲きなさい』は、目次に羅列された項目のひとつひとつが「金言」の輝きを放って、胸にぐんぐん迫って来た。驚くことに、ひとつとして無駄な言葉がない。シンプルかつ心に響くメッセージの数々である。

 例えば、こんな感じだ。

第一章 自分自身に語りかける

 人はどんな場所でも生きていける。
 一生懸命は良いことだが、休息も必要
 …

第二章 明日に向かって生きる

 人に恥じない生き方は心を輝かせる
 親の価値観が子どもの価値観を作る
 …

第三章 美しく老いる

 いぶし銀の輝きを得る
 ふがいない自分と仲良く生きていく
 …

 ページ数は157ページと薄く、本文も大きな活字に平易な表現で語られているが、その内容には深みと重みがある。著者渡辺和子氏の85年の人生経験に裏打ちされた珠玉の言葉が散りばめられていて、何度も繰り返し手に取って読みたい本である。おそらく、読む度に新たな気づきを与えられる本なのだろう。

 それらの言葉は、若い人には希望と励ましを、子育て期の人には知恵と勇気を、 老いた人には自信と安らぎを与えてくれるのではないだろうか。

 著者はキリスト者であり、その言葉の端々にキリストの教えが顔を覗かせてはいるが、一貫してひとりの人間としての在り方を、自らのこれまでの経験を踏まえて、しかも自らの弱さや過去の失敗もさらけ出して訴えかける点に、著者の誠実さが感じられて、キリスト教信者でなくとも、その話に素直に耳を傾けたくなるだろう。

 そして、聖職者及び教育者として指導的な立場にある著者が(それは神に拠って立っている、と言うことなのかもしれないが)自らをけっして過信せず、他者に深い信頼を寄せる、その謙虚な姿勢が清々しい。著者の爪の先ほどの経験も実績もない自分の不相応な慢心が、本当に恥ずかしくなるほどだ。 

 金言の一部を以下に書き出してみよう。

「苦しい峠でも、必ず下り坂になる。」~人はどんな険しい峠でも乗り越える力を持っている。そして、苦しさを乗り越えた人ほど強くなれる。

「きれいさはお金で買えるが、心の美しさはお金で買えない。」~心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる。

「価値観は言葉以上に、実行している人の姿によって伝えられる」~同じ事柄でも、価値観によって受け取り方が変わる。子どもには愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

「子どもは親や教師の『いう通り』にならないが、『する通り』になる。」~子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。ただ、誠実に努力して生きて行くだけでいい。→以前、当ブログで同じようなこと(『割れ鍋に綴じ蓋』)を書いていたので、この言葉を見た時、少し驚いたと同時に嬉しかった。

「まず考え、次に感じ、その後に行動する。」~考えるということは、自分と対話すること。自分自身に語りかけ、次の行動を決めなさい。

「何もできなくていい。ただ笑顔でいよう。」~笑顔でいると不思議とうまくいく。ほほえまれた相手も、自分も心豊かになれるから。

「苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。」~生きることは大変だが、生きようと覚悟を決めることは、人に力と勇気を与えてくれる。

「”あなたが大切だ”と誰かに言ってもらえるだけで、生きてゆける。」~人は皆、愛情に飢えている。存在を認められるだけで、人は強くなれる。

「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。」~人は何歳になっても成熟することができる。謙虚になることが成熟の証である。


 著者の渡辺氏は9才の時に、当時陸軍の教育総監だった父、錠太郎氏が、あの二・二六事件で惨殺されるのを目撃している。錠太郎氏は苦学して師団長の地位にまで上り詰めた人物。彼は職業軍人として第一次大戦後の欧州にも赴き、その惨状を目の当たりにして、「戦争は敗者も勝者も疲弊させる」と言う考えに至り、国家の守りとしての軍隊の必要性は十分認識しつつも、戦争を極力回避させることが自身の使命と考えていたらしい。

 仕事を離れれば、50代にして授かった著者を他の兄弟が妬むほどに可愛がり、さらに「人間として在るべき姿」を自身の命が果てる瞬間まで身を以て示して、「9年で一生分の愛情を注いでくれた」と著者に言わしめた父であった。その知見と愛情の深さは、親の直向きな生き様と深い愛情が子供の自尊心を育み、その後の人生の大きな支えとなることを、改めて教えてくれているようだ。

 そして、本書に綴られた数々の金言を前に思う。人は自分に投げかけられた言葉をどう受け止め、それを自分の中でどう生かすかで、その後の人生が大きく変わって来るのではないのだろうか?

 表題の言葉「置かれた場所で咲きなさい」は、著者が30代半に赴いた岡山で大学の学長に任命され、その重責に思い悩んでいた時に、ひとりの宣教師が手渡してくれた短い英詩の一節である。

 Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)

 その後に「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人も幸せにすることなのです」と続くその詩に力づけられた渡辺氏は、神の御心のままに、与えられた場で精一杯生きることを決意する。

 ひとりの宣教師から手渡された詩の意味を邪心なく受け止め、それを道標に自らの生き方を極めて行った渡辺氏。果たして、本書に感銘を受けた読者はどの言葉を道標に、自らの人生を歩んで行くのだろう?結局、金言を生かすも無にするも自分次第なのだと思う。

 
渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012)¥1,000


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