Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

決断

2006-03-20 | 想い・雑感
 生きていると、毎日何らかの決断をしている。
 朝目が覚めて、布団からいつ出るか。
 朝食に何を食べるか、食べないか。
 車で出かけるか、自転車か、バスか。
 ラーメンを頼むとき、餃子も頼むか、焼きめしはどうするか。

 などなど、あまり普段決断と思っていなくても、やはり進む方向は一つ選んでいる。これくらいだとどうということないが、ぐっとつまって、「どうしよう。」と悩んで出さなければならない決断もある。決断から逃げ出すというのも一つの選択肢だが、あまり逃げ出していいことはないと感じる。ぐっと踏みとどまり、右か左か決め、決めたら進む。逃げてもいつかまたその問題がつきまとってくる。多くの場合さらに問題が複雑になって戻ってくる。

 インフォームド・コンセントという言葉はほぼ市民権を得てきたような気がする。多くの場合治療方法を選択するときに、方法、危険性、他の選択肢など情報を得た上で、ある方法を納得の上で選択するという意味合いになる。つまりどの治療を受けるか、あるいはどの治療も受けないか、決断するということだ。

 つらい場合もあるかもしれないが、決断から逃げ出しても問題が解決しないのは明らか。それに何らかの決断を下さないでいると、間違いなく後悔する。まがりなりにも決断すれば、多少の後悔が残ることはあっても、ある意味納得できる。

 まさに、人生。

病院で絞殺

2006-03-19 | 想い・雑感
 多くの病院は、外部からの侵入に弱い。基本的に外に開かれた構造になっている。特に夜間の病棟は、1病棟に看護師2~3人というところが多く、状態の悪い方が一人でもいれば、かなりそこに手が取られる。また、病室に入っていれば、人の出入りを完全に看護師が完全に管理するのは難しい。患者さんの貴重品が盗まれるという事件も時に起こる。

 医局などはもっと開放的。ほとんど好きなものを持って行ってという状態の所もある。私の勤務する病院でも、医師の私物が盗まれ、ようやくカギがかかるようになった。

 このように窃盗被害が起こりうることは、予想できるが、殺人まで起こるとは思わなかった。まだ詳細はわからないが、島根県の総合病院で、入院中の方が絞殺された様子である。犯人が侵入者か否かもわからないが、これが現実とすれば、病院はもっと人の出入りに厳しくなる必要が有ると思う。だが実際どうするか。救急外来を開いている場合、当然そこは院内。病棟ともつながっている。

デジタル

2006-03-19 | 想い・雑感
 世はデジタル時代。0と1の行進。

 便利な道具がたくさん出来てくるのはいいけれど、日本人の心象はデジタル世界からは遠いような気がする。見上げる月や、ふと聞こえてくる鳥の声、春の風や散りゆく桜。そのような情景から感じるものをどうやってデジタル化出来るのだろうか。

 生と死。
 並べると対立するものとして、その区別ははっきりしているようだが果たしてそうか。
 
 脳死を死と定義したとしても、生から死への移行に区切りをつけるのが難しい。多くの場合は、生から死へはゆっくりと移ろっていく。

 意識。心臓の鼓動。呼吸回数や呼吸の仕方。脈の強さ。体温。

 いろいろな生を示す活動が徐々に死へと向かっていく。その途中に明確な区切りをつけるのは困難だ。

 医者から臨終を告げられたとしても、手を握りしめその体温を感じ、顔を撫でてその柔らかさに触れれば、まだ死んだとは思えないのがふつうであろう。荼毘に附される直前でも、まだ亡くなった人の存在を確実に感じることだって有るわけだから。

 多くの事象に白黒はっきり出来ない領域があることを深く認識してきたはずの日本人。でも表層的に西洋かぶれして、善か悪か、好きか嫌いか、など単純な二律背反思考に陥る人が多くなってきてないだろうか。

 デジタル思考も大切だが、アナログ思考の中に心の柔らかさ、優しさが有るような気がする。自分側にだけ正義があるという硬直した考えから、争いは生まれる。

入院患者の急変

2006-03-19 | 想い・雑感
 入院中の患者さんが急変した場合や状態が不安定な場合など、病院や診療科によっては、完全に当直医任せの所もあるが、多くの場合夜中でも主治医が呼ばれると思う。確かに当直医に任せても良いのだが、やはり自分が診ないとすこし心配と言うところもある。翌日に手術が有ったりするときついが、車をとばして病院へ向かう。

 先日、患者急変の報で病院へ急ぐ医師が、交通事故を起こしたというニュースがあった。身につまされる。

 夜中に呼ばれていくとき当然公共交通機関は使えないが、タクシー代を出してくれる病院などほとんど無いであろう。

 医療の様々な問題は、個々の医師の中に赤ひげを求めて何とかなるようなものではない。でもメディアというのは多くの場合、個々の医療関係者の責任に問題を矮小化する。

 私たちはどう動けば、よりよい医療システムに向かっていけるのだろうか。目の前の患者さんを何とかすること、技術や知識を身につけることに懸命な医師がほとんどであろう。政治とどう関われば光が見えるのか見当がつかない。

嗜好

2006-03-18 | 想い・雑感
 以前は比較的よくお酒を飲んだ。ただ、研修医上がりの頃に私の上司になった方は、お酒好きだが翌日の仕事に影響するような飲み方を決して許さない人だったので、飲みつぶれると言うことはなかった。

 私は、アルコールが入っていれば、何でも良いというタイプ。特に冷酒が大好きで、ちょっと飲み過ぎることもあった。しかしいつの頃からか、日本酒の甘みがどうもしっくりこなくなってきた。どんなに高級と言われる日本酒があっても、焼酎のすっきり感の方が心地よいのである。ただ最近は飲みに出るのも月に1度あるかないかですけれど。

 年齢とともに、嗜好というのは変わるようですね。そのうちに「脂っこいものはどうも…」などと言うようになるのだろうか。

 嗜好といえば、胆嚢摘出術のあとに食事の嗜好が変化することがあるというのを聞いたことがある。そこで、私は胆嚢摘出術を受けた方ほとんどに、食事の好みが変わったかお聞きするのだが、今だかつて嗜好が変わったという方とは遭遇していない。

進行度予測

2006-03-17 | 医療・病気・いのち
 内視鏡や透視で胃癌が見つかった場合、その病変の形態、大きさ、周囲の変化、さらには生検(組織をほんの少し取ってきて検査する)などから大まかな進行度を予測します。

 この予測はある程度当たるのですが、時に大きくずれることがあります。

 そのずれが悪い方へ大きくて印象に残っているのは、50代後半の男性です。体のだるさを自覚して近所の医院を訪れました。内視鏡検査を受けたところ、胃の真ん中あたりに早期ではないけれど比較的小さな癌が見つかりました。肝臓や肺にも転移は無いとのことで、外科に紹介され入院となりました。

 内視鏡の所見などからは、6段階に分けた進行度の中のせいぜい3段階程度かなという印象でした。手術に必要な検査を手早く進めようとしたのですが、ご本人が背中の痛みを訴えられました。また、入院時の検査で貧血も強かったので、もしやと思い骨シンチの検査をしたところ、脊椎のほぼすべてにわたって骨髄転移を起こしていました。播種性骨髄癌症の状態です。頻度は比較的稀ですが、これはすでに末期の状態です。

 入院時はご自分で歩いてこられたのですが、日に日にあっという間に状態が悪くなり、入院後5日目に亡くなりました。まさに目の前を駆け抜けていったという感じです。

 紹介もとの医師も全く予想外。恐らく内視鏡の所見からそこまで進行していると予想できる人は(可能性としては考えたとしても)皆無だと思います。

 医師が癌について説明しているときは、過去の全国規模で集められたデータからの推測です。多くの場合はほぼ予想内なのですが、良い方にしろ悪い方にしろ大きくずれていることがあります。早期といわれても安心せず、進行していると言われても希望を持って治療して欲しいと思います。

水腎症

2006-03-17 | 医療・病気・いのち

 左右2個ある腎臓でできた尿は、尿管という管を通って膀胱に流れ込み、そこにたまれば尿意を催し、排尿することになります。

 胃癌再発で最も多いのは腹膜再発ですが、お腹の中の後ろ側を覆っている後腹膜へも当然拡がっていきます。そして後腹膜の後ろを通っている尿管を巻き込むことも少なくありません。すると尿の流れが悪くなり、さらには堰き止められ、腎臓が腫れてしまいます。この状態を水腎症と言います。

 これが左右両方に起こると腎機能が落ちてきてしまいますので、尿管ステントという尿管の内腔を確保する管を、腎臓と膀胱の間に留置することがあります。その管が入らないときには、直接背中から腎臓に管(腎盂カテーテル)を入れることもあります。

 でもここまで来ると、癌もかなり末期に近く、実際にそのような体に負担をかける処置をした方が良いかどうか、迷うことも多いものです。

 何がその人にとってより快適かを中心にして、何をするか、あるいは何をしないかを決断していかなければならない時期です。


良いものも度が過ぎるとね

2006-03-16 | 想い・雑感
 赤ワインが体に良いと聞き、毎日浴びるように赤ワインを飲んでいると言っているタレントがいました。ポリフェノールは、赤ワイングラス1杯で十分らしいから度が過ぎている!ポリフェノールの良い面を、間違いなくアルコールの害のほうが凌駕しているでしょう。

 今年のアメリカ歯科研究学会なるもので、赤ワインおよびブドウ種子に含まれる天然化合物(ポリフェノール)が歯周病の抑制に役立つ可能性が示されたらしい。ポリフェノールの抗酸化作用により、マクロファージを介して歯周病を抑制する効果がありそうとのことです。ただ人間で直接実験したわけではなく、決して歯周病予防のための赤ワイン摂取を推奨しているわけではないことに注意。

 でも今のメディアというのは、この段階でのデータに飛びついて、「○○に効く!!!!」などと喧伝しがちなのです。惑わされないでください。

がんの痛みをコントロール

2006-03-16 | 医療・病気・いのち
 日本で年間亡くなる方は約100万人。そのうちがんで亡くなる方は約30万人。そしてそのうちの7割以上の方が感じるとされる痛みは、その方の苦しみを大きく左右する。

 厚生労働省もがん対策の中に、がん患者等の生活の質(QOL)の向上のために全国的に緩和医療を提供できる体制を整備することをあげている。

 がん性疼痛の9割以上はコントロールが可能であり、コントロールの努力をしないのは医師の怠慢である。病院勤務の私の感覚では比較的多くの医師がその努力をしていると思っていたが、そうでもないらしい。

 私の勤務する病院のがん疼痛の専門看護師資格を持つ看護師は、広い地域からの相談を受けているが、在宅ケアを標榜している医師の中に、少なからず痛みのコントロールをきちっとしてくれない医師がいるようだ。

 痛みのコントロールに絶大な力を発揮するのは、麻薬。「がんの痛みからの解放―WHO方式がんの疼痛(とうつう)治療法」として世界保健機関(WHO)からもその使用を強く推奨されている。また、痛みのないふつうの人に麻薬を使用する場合に問題となる依存症も、がんなどの痛みがある人に対して投与した場合は、ドーパミンの上昇が抑えられて依存症にはならないことが確認されている。

 がん性疼痛に苦しむより、痛みをきちっと取ってもらい、よりよい毎日を送ってもらいたいと心から思う。また、患者の痛みに鈍感な医師は、在宅ホスピスを語る資格は無いと思う。

一酸化炭素中毒

2006-03-15 | 想い・雑感
 電気を使用するエアコンが普及するまでは、毎年冬になると暖房器具による一酸化炭素中毒死が報じられていた。現在ナショナルが警告しているファンヒーターも、一酸化炭素中毒の危険があるから、回収検査を呼びかけている。

 赤血球中のヘモグロビン(Hb)は、肺で受け取った酸素を、体の隅々まで運んでくれる。一酸化炭素は、そのヘモグロビンと酸素より220倍以上の強さで結合してしまう(HbCO)ので、一酸化炭素が結合したヘモグロビンを持つ赤血球は、もはや酸素を運べなくなってしまう。そう、一酸化炭素中毒は全身を低酸素状態にしてしまうのだ。

 血中HbCO濃度が30‐50%では激しい頭痛、嘔気嘔吐、視力障害などが出現し、気がついたときには立ち上がれず動けなくなってしまう。その後動けないまま苦しみ、けいれんを起こし、60%を超えると死に至るといわれている。

 インターネットが一般化した頃から、ネットで知り合い集団自殺というニュースを時々見かけるようになった。何かに悩み苦しみ自殺を選んだというふうではなく、孤独感からか、連帯感を求めてか知らないが何となく死んでいくという印象。どうしたら、そこまで自分の命を軽く考えられるのか理解不能。そしてそこに出てくるのが練炭。不完全燃焼から十分一酸化炭素を出してくれる。

 知らないもの同士が練炭を囲み、何となく一緒に何かをやっている気になっている。ひょっとしたら生の充実を感じているのかもしれない。そのうちに、頭痛や吐き気がおそってくる。血液中のHbCO濃度はさらに上がっていく。だれもまだやめようとは言わない。ますます頭痛も強く気分も悪くなってくるのでやっぱりやめようと思うものもいるだろう。でもそのときにはもう体が動かない。親を思い、友を思い、恋人を思い、そこへ戻りたいと考えても、もう引き返せない。Point of no returnは越えてしまった。

 現場を想像すると、こんなところだろうか。そこには、やはり思索も哲学も感じられない。

祝 百回

2006-03-15 | 想い・雑感
 めでたいのかどうか判然としないが、今年の正月に「超実践!ブログ革命」なる本を読んで、やってみようと思い立ち、気がつけば100回目。情報発信のつもりが、つれづれ日記という内容に。一応「健康」が第一のキーワードだが、わざわざ公開しなくてもいい内容という気もする。

 ただ、時にご意見をいただいたりすると、単なる日記と違い変化があるため、おもしろい面もある。また、あわただしい毎日の暮らしの中で、少なくとも書き込みの時は、少し立ち止まって考えている時間。

 その時間を大切に、楽しみながらもう少しやってみようか。

医療の市場経済化

2006-03-14 | 想い・雑感
 中国では、1980年代からの市場経済化に伴い、公立病院も自力での発展を求められてきた。そのため設備更新などのため利益至上主義にならざるを得なかったようである。お金をかけないと、最先端の医療は提供できない。提供できなければ病院として生き残れない。生き残るにはお金を稼がなければならない。

 医療費は極端に高くなり、カゼですら低所得者層では月給の1/4くらい取られるため、国民の半数は通院できない状態らしい。国民の命に直接関わる医療分野を蔑ろにしてきたつけである。

 しかしよそ事ではない。日本でも国や自治体からの補助を極端に削減し、公立病院と言われてきた施設も自力で発展を求められるようになってきている。さらには株式会社が病院を経営することも認めかねない風潮になってきている。大丈夫だろうか。

 資本主義では、もうけることが絶対の善である。「医は算術か?」などとステレオタイプの疑問を投げかける人が相変わらずいるが、それを求めているのは政府であり、許しているのは国民である。

 発展していく医療水準を提供していくためには、かなりの投資が必要である。その分を病院は稼がなければならないから、医療費は上がっていく。政府が打ち出している混合診療部分を増やせば、税金からの補助は少なくなるが、患者が支払わなければならない金額は確実に増える。お金のない人は、病院にかかれない。

 まさに現在の中国への道である。
 


バイオテロ

2006-03-13 | 想い・雑感
 人、一人の命を守るのは、時として非常に困難です。何とか助かりたいという人と、何とか助けたいという人が力を合わせて、やっと危機を乗り越える。そんなこともあります。

 でも、世の中には人の命を奪う方法を、一生懸命考える人もいます。それを組織ぐるみ、国家ぐるみで考えることはよくあります。人類の歴史はその繰り返しのような気もします。

 国立感染症研究所感染症情報センターが、生物兵器を用いたテロ(バイオテロ)を検知する監視システムの構築をはじめたそうです。継続して集めた、救急搬送情報や病院の記録などを分析し、わずかな患者発生の偏りや変化から、テロ発生からかなり早期に検知、対応できるシステムを目指すとのことです。

 バイオテロ。

 映画や小説の中だけの話しかと思いきや、これに対抗するシステムを必要とする世の中に、私たちは生きているのですね。

 日本が、730部隊を生み出したころは、国家間の戦争で使用する危険を考えれば良かったのでしょうが、現代はテロの時代。私たちはあまり認識していませんが、知らないうちに日本に潜り込んだテロリストが、細菌兵器をばらまくという事態が現実化する危険があるのでしょうね。いやですね。

鳥インフルエンザと捨て猫

2006-03-12 | 想い・雑感
 今問題になっている鳥インフルエンザ。基本的には鳥の間だけで感染が拡がるものだが、問題はインフルエンザウィルスの変わり身の早さにある。

 一般的に、インフルエンザウィルスは、比較的短期間に、その遺伝形質を微妙に変えた株が出現する。だから、鳥インフルエンザもいつ人間にも感染するような形質を持つか分からないところが問題。

 人間にも感染する鳥インフルエンザウィルスが出現すれば、人間にとっては新型ウィルス。誰もその抗体を持っていないため、一気に感染が拡大する可能性が高い。

 先日ドイツで、鳥インフルエンザに感染し死亡した猫が報告された。猫に感染できるウィルス株が出現した可能性もあるが、ニュースだけでははっきりしない。そのニュースの影響か、フランスで捨て猫が急増しているという。猫を捨てたからといって、事態が好転するわけでもないと思うが、わりと簡単にペットを捨てる人と言うのは、どの国にもいるものだ。

 確かに、感染力と致死率の高い感染性疾患を封じ込めるためには、感染源を隔離する必要があるが、現状で猫を遠ざけたからといって何の効果もないと思う。さらには、もし猫が問題となるような事態になったとしても、猫を捨てるという行為は逆に感染を拡大させる結果となる、誠に愚かな行為と思う。

 相手がウィルスという目に見えないものだけに、きっかけがあれば簡単に人間社会はパニックとなる可能性がある。そうならないためにも、政府やメディアは、正確でわかりやすい情報を提供してもらいたい。

インスリン

2006-03-11 | 想い・雑感
 人間の血液中の血糖値は、正常では一定の範囲内にコントロールされています。コントロールする中で、血糖を下げる作用をするのはインスリンというホルモンです。血糖を上げる作用のあるホルモンはいくつかあるのに、下げるホルモンはインスリンの一つだけです。これは、生命の長い歴史の中で、食料が不足する事態の方がほとんどであり、現代のように食べ過ぎることが極めてまれな事態であるため、血糖を上げる必要性の方が高かったためとも言われています。

 糖尿病は、血糖を下げるために必要なインスリンが、量的あるいは機能的に足りない状態です。逆にインスリンをたくさん出す腫瘍が出来たりすると、必要以上にインスリンがあるため血糖が下がりすぎる(低血糖)ことになります。

 糖尿病治療に置いて、インスリン注射が必要になることがあります。この場合は、インスリンの必要量を厳密に推定して、注射量や回数を決めなければなりません。多すぎると低血糖から、死に至ることもあります。

 インスリンが低血糖を引き起こす作用を利用した殺人未遂事件があったとのこと。他の薬と同様、インスリンも両刃の剣。危害を及ぼす面を利用して、人を死に至らしめようとするとは、怖いことを考えますね。

 自然災害や病気も怖いですが、生きていて一番怖いのは、人間自身かもしれません。