黄海(韓国では西海と呼ぶ)の韓国側の排他的経済水域にもぐりこんだ中国の漁船が違法な漁をしていた。これを韓国の海洋警察が摘発したところ、中国漁船の船長が割れたガラスの破片で警察官に襲いかかり、警察官を殺してしまった。
12月13日の『東亜日報』の日本語サイトの記事によると、事件は以下の通りである。12月12日午前7時(現地時間)ごろ、インチョン・オンジングン(仁川甕津郡)の小青島南西85キロメートルの海上で、韓国の排他的経済水域内で違法操業をしていた66トン級の中国船籍の漁船「魯文漁号」のだ捕にあたっていた仁川海洋警察署所属の3005艦特攻隊員・イ・チョンホ警長(40)が、船長の程大偉容疑者(42)が振り回した凶器で刺され、ヘリコプターでインハ(仁荷)大学病院に搬送されたが死亡した。イ警長と共に作戦に参加したイ・ナクフン巡警(33)も凶器によって腹部を負傷し治療を受けているが、命に別状はない。海洋警察は、だ捕した中国漁船と船員9人を仁川海洋警察に連行し、特殊公務執行妨害および殺害の容疑で取り調べている。
『東亜日報』によると、2008年9月にも海洋警察官が取り締まり中に死んでいた。中国漁船を検問中、船員の凶器が頭にあたり、海に落下して死亡した。
同じ13日付の『中央日報』日本語サイトの記事によると、 中国漁船の取り締まりは、いまや戦闘の様相を呈しているという。 中国漁船は摘発されそうになると、船をロープでつなぎあって集団で対抗する。 船員は竹棒・斧・鉄パイプなどで武装し、警察を攻撃する。 もはや海賊に等しい。 2011年1-10月に韓国の海洋警察が拿捕した中国漁船は計294隻になる。
『中央日報』によると、中国漁船の密漁は組織的だ。韓国の海洋警察に拿捕された場合に備え、船主は20-30隻で互助組織をつくっている。1-2隻が拿捕され、罰金を取られると、船主が均等にその罰金を負担する。10月末に木浦海洋警察署の取り締まりに対して、集団で抵抗した中国漁船3隻に約1000万円の罰金が科されたが、互助組織に加入している29隻の船主が約50万円ずつを捻出、罰金やその他の諸費用を共同で負担した。
中国漁船の違法操業の背景には、中国国内での水産物の需要が拡大し、価格が急騰しているからだ、と『中央日報』は伝えている。摘発さえ受けなければ、一度の出漁で約300万円を稼げるという。
中国の漁民は、中ロ国境にあるハンカ湖でも違法操業を行い、ロシア国境警備隊に摘発されている。『朝鮮日報』社説は、「このほかフィリピンやベトナムも、中国漁船の違法操業によって大きな被害を受けており、一部の国は軍艦まで動員して対応している。韓国政府は外交的な対応をめぐって愚痴ばかりこぼすのではなく、中国漁船の違法操業によって損害を被っている周辺各国と連携し、共同で対応策を模索すべきだ」と主張している。
『中央日報』によれば、かつては韓国の漁船が日本の海で違法操業をして拿捕されることが多かった。 当時は韓国の沿岸海域も現在の中国のように乱獲で魚類が減っていたからだ。 そこで韓国政府は沿岸漁業の中心を操業から養殖に変えるよう誘導し、沿岸漁業に従事する漁船の数を、政府が補助金を与えながら減らした。 こうした過程を通して、韓国の漁民は他国の海で違法操業をする必要がなくなり、日韓間の漁業紛争も解消した、と書いている。
それ以前は、1952年の大韓民国大統領李承晩による「海洋主権宣言」にもとづく海域、いわゆる「李ライン」に入った日本の漁船を韓国政府が拿捕し、乗組員を釜山の収容所に抑留した。李ラインは1965年に廃止された。
日・韓・中で、海の縄張りと違法操業の似たような事例を繰り返してきたのだ。ただ、いまの中国には欲望を全開させた獰猛ともいえる「向銭看」の広がりがあり、黄海の中国漁船による盗賊漁労も恐れを知らぬ物欲の表れで、空恐ろしい感じがする。
人間とは経済活動においては私利私欲に基づいて行動するものであり、経済人=ホモ・エコノミクスは物欲の充足を利己的に追及する、というのがアダム・スミス以来の経済学者の人間観だ。韓国の海洋警察と渡り合いながら違法操業する中国漁民の行動も、世界の経済を混乱させつつ巨大な儲けを追求している投機マネーも、その動機は同じところにある。
投機マネーを操っているのは資本主義的人間だが、中国はついこの前までは社会主義国家だった。林達夫『共産主義的人間』(中公文庫)という古い本を開くと、ルイ・アラゴンの『共産主義的人間』を例に引いて、「人間を自分自身以上に置き、自分のためには何も求めず、人間のためにはすべてを求める人であり、自分に関する一切を犠牲にして、万人のためにその幸福と安泰とを希求してやまぬ人である」と林が説明している。だが、林はこのような聖者の系列に入る純粋型の人間性を「共産主義の政治指導者にしてそれを兼ね備えるということは、ローマ教皇や枢機卿、大司教にして聖者になったものがまことに少なかったと同じに稀有な例外ではなかろうか」と説明することも忘れなかった。
中国共産党の変貌ぶりについて、「中国共産党-計画経済+市場経済≒昔の台湾を一党支配した中国国民党」と言われてきた。中国は市場経済の拡大とともに、資本家を中国共産党の党員として招き、共産党幹部・官僚・資本家が手を組んで国家を操っている。官僚・財界・与党が手を組んでよろしくやってきた日本と根本において変わるところがない。
権威主義的政治体制を維持するには、今の体制があるからこそ君たちは食え、君たちの暮らしはよくなってきた説得し、大衆を了承させる必要がある。日本の自民党の長期政権も、アジア金融危機あおりで崩壊したインドネシアのスハルト政権の30年余りも、いまなお続くシンガポールの人民行動党による一党支配も、支配する権力から恩恵がもたらされているという大衆の認識を基盤にしてきた。
中国大衆の欲望は他国の経済水域に入りこんで沿岸警備当局と実力で渡り合いながら漁獲収入を稼ごうとするところまで行ってしまった。このように肥大化した中国大衆の欲望を満足させ続ける方策が北京の指導部にあるのだろうか。13億の人口の物欲を満足させる能力を彼らは持ちあわせているのだろうか。
遠藤誉『拝金社会主義 中国』(ちくま新書)の説明はわかりやすい。ソ連崩壊を目のあたりにした中国は、中国の共産党支配の存続のために市場経済を導入した。「政治を語らず、金儲けにはげめ」。中国人のホモ・エコノミクス本能が刺激され、それが中国を世界第2の経済大国に押しあげた。
中国は欲望を全開させた大衆を抱えてどこまで現体制を維持できるか? 物欲をふくらませた大衆が、韓国の海洋警察でなく、中国の官憲と渡りあう事件がさらにふえ、予想外のスタンピードを引き起こして、それが中国の政治変動の引きがねになることもありうるだろう。
ソ連邦は1世紀ともたなかった。はたして中国はどうなのだろうか?
ギリシア悲劇の悲劇たるゆえんは、皆がその悲劇的終幕を予想していながら、それを阻止するすべを持たなかったことだ。国家の命運もどこかそれに似たようなところがある。
(2011.12.14 花崎泰雄)