どうもおとといくらいから気持ちがささくれだっている。特に夜になると。
読んでいる本とかPMSとか天気とか夫の不在とか、いろいろ思い当たる理由はあるけれど、理由が分かったところで気分は上向かないので、せめて人を傷つける可能性のある事(Twitterで怒りをぶちまけるとか)はしないようにしようと思うけれど、そう思った時には多分もう手遅れで、すでにいろいろやらかしているようにも思う。
今日は久しぶりに自治会の聡怐B面唐セけれども朝から動くと、さっぱりする気がする。とりあえず自分に「ちゃんとやったね」と言ってあげられる。最近どんどん自信がなくなって不安になっていくのはお金を稼げてないという後ろめたさが大きいのだろうか。今すぐ破産するとかどうこうではないのに。鬱の一番ひどい時に比べたら、だいぶ動けるようになったけれど、どれだけたってもある一定以上の水準に、気力や脳みその容量が戻らない。ここ1年くらいは「よくなっている」という手ごたえも感じられないし、だから薬ももういらないと思って断薬したけれどだめだった。だからと言って増量したからよくなるかというと、そういうわけでもないだろう。もう「これが自分」と腹をくくって、しんどい中で生きていくしかないのかもしれない。
聡怩Iえてシャワーを浴びようとしていると、実家から夫が帰ってくる。せっかくの金曜の夜~日曜という、いちばんほっとする時間を人のために使わなければいけなくて、しかも感謝もされず文句ばかり言われて、つらそうだ。何とか状況が変わったらいいけれど…。
かなり早めのお昼は冷やし中華にする。いつもはめんどくさがって、切るだけで済む具しか入れないけれど、今日は薄焼き卵も焼いた。たまごをいれると、とてもおいしい。
食べ終わり、買い物に行く夫と連れ立って、わたしは出勤する。今日も多分暇。やっぱり暇。やることはいくらでもあるけれど、今やらないと困るというものは何もないので、ひたすらだらだらと店番をする。
隣の花屋さんで、お客さんがはけたころを見計らって花を買う。最近の楽しみの一つ。ほかの花屋さんでは見かけない、変わった花があるのが楽しい。そして花を買うとほっこりする。管理が下手で長持ちさせられないのが難点だけれど。
「花を飾るのはお金の余裕でなくて気持ちの余裕」といったのは誰だったか。
最近ほどんど物欲がなくて、でも花と本は買ってしまう。店の経営がヤバいのだから、花買ってる場合じゃない、と人が見たら言うかもしれないが、わたしからしたらこの花を買わなくなったとしたらいよいよヤバいフェーズだ。コロナ自粛を経て、ますます「お金は自分が支えたい店に落とさなければ」という思いが強くなっている。もちろんわたし一人が微々たる買い物をしたところで何かを好転できるわけではないし、今でもamazonとかもついつい利用してしまうけれど。
明日はすごい雨だというので、店は休みにする。今日買ったお花は、家に持って帰り、アレンジメントのほうはお隣にオリヅルランのお返しに上げようかなあ、と思うけれど、自分のために買ったそれをそのように流用するのは違うと思い、汚いテーブルの上に飾る。どこにあっても花は花。かわいくて、きれいだ。
読んでいる本とかPMSとか天気とか夫の不在とか、いろいろ思い当たる理由はあるけれど、理由が分かったところで気分は上向かないので、せめて人を傷つける可能性のある事(Twitterで怒りをぶちまけるとか)はしないようにしようと思うけれど、そう思った時には多分もう手遅れで、すでにいろいろやらかしているようにも思う。
今日は久しぶりに自治会の聡怐B面唐セけれども朝から動くと、さっぱりする気がする。とりあえず自分に「ちゃんとやったね」と言ってあげられる。最近どんどん自信がなくなって不安になっていくのはお金を稼げてないという後ろめたさが大きいのだろうか。今すぐ破産するとかどうこうではないのに。鬱の一番ひどい時に比べたら、だいぶ動けるようになったけれど、どれだけたってもある一定以上の水準に、気力や脳みその容量が戻らない。ここ1年くらいは「よくなっている」という手ごたえも感じられないし、だから薬ももういらないと思って断薬したけれどだめだった。だからと言って増量したからよくなるかというと、そういうわけでもないだろう。もう「これが自分」と腹をくくって、しんどい中で生きていくしかないのかもしれない。
聡怩Iえてシャワーを浴びようとしていると、実家から夫が帰ってくる。せっかくの金曜の夜~日曜という、いちばんほっとする時間を人のために使わなければいけなくて、しかも感謝もされず文句ばかり言われて、つらそうだ。何とか状況が変わったらいいけれど…。
かなり早めのお昼は冷やし中華にする。いつもはめんどくさがって、切るだけで済む具しか入れないけれど、今日は薄焼き卵も焼いた。たまごをいれると、とてもおいしい。
食べ終わり、買い物に行く夫と連れ立って、わたしは出勤する。今日も多分暇。やっぱり暇。やることはいくらでもあるけれど、今やらないと困るというものは何もないので、ひたすらだらだらと店番をする。
隣の花屋さんで、お客さんがはけたころを見計らって花を買う。最近の楽しみの一つ。ほかの花屋さんでは見かけない、変わった花があるのが楽しい。そして花を買うとほっこりする。管理が下手で長持ちさせられないのが難点だけれど。
「花を飾るのはお金の余裕でなくて気持ちの余裕」といったのは誰だったか。
最近ほどんど物欲がなくて、でも花と本は買ってしまう。店の経営がヤバいのだから、花買ってる場合じゃない、と人が見たら言うかもしれないが、わたしからしたらこの花を買わなくなったとしたらいよいよヤバいフェーズだ。コロナ自粛を経て、ますます「お金は自分が支えたい店に落とさなければ」という思いが強くなっている。もちろんわたし一人が微々たる買い物をしたところで何かを好転できるわけではないし、今でもamazonとかもついつい利用してしまうけれど。
明日はすごい雨だというので、店は休みにする。今日買ったお花は、家に持って帰り、アレンジメントのほうはお隣にオリヅルランのお返しに上げようかなあ、と思うけれど、自分のために買ったそれをそのように流用するのは違うと思い、汚いテーブルの上に飾る。どこにあっても花は花。かわいくて、きれいだ。