「お前の家やないか。気兼ねせんと、いつまでもおったらええがな」
母はなんとか翻意させようと賢明だったが、もう巣立ちの決心は揺るがなかった。
「心配いらんわ。俺、おとんぼ(末っ子)やろ。兄貴が家の跡取りやんか。どうせいつかは出ていかなあかんし、早いか遅いかや。いつまでも甘えた(甘えん坊)でおられるかいな。もう一人前の大人やで、俺」
長男が家の跡継ぎで、他の男兄弟は家を出て独立するのが、当時の常識だった。小さいころから、祖父母や両親にいわれ続けた。だから家を出ることは特別でもなんでもない。
ひとつ違いの兄は結婚が決まり、相手先から花嫁道具が入るのを見届けると、家を出て独り立ちしなければと思いを募らせた。
仕事は姫路まで通う。家から一時間以上かかるが、家を出た経験がないので、通いしか思いつかなかった。福崎駅から姫路までガッタンゴットンと揺れっぱなしの汽車も、すっかり慣れっこだった。しかし、ぬくぬくした環境から飛び出る日が、ついにやって来た。
母に独り立ち宣言を告げると、もう親任せの生活は切り捨てる覚悟は定まった。
不動産屋をハシゴした。すべて初体験である。つまり世間知らずだった。(家賃が安くないと、一人暮らしは無理や)家賃にこだわって物件を探した。不動産屋の担当者は渋い顔をしながらも、好意的に動いてくれた。
「ここは大家さんが信用できるし、家賃は敷金なしの五千円。希望に添う物件ですわ」
担当者の言葉を疑いもせず、即決した。ああだこうだと駆け引きするのは苦手中の苦手だった。物件も外部から一見しただけである。
契約を済ませ、入居は八月に入った早々。世間はむしむしと、暑さに虐げられていた。
(こんなんあり?蒸し風呂やんか!)
布団だけを持ち込んで暮らし始めたが、三日で音を上げた。四畳半一間の部屋は窓がなく、玄関は独立していたものの、部屋は壁を隔てた三方に貸し部屋がくっ付いていた。牢獄を連想してしまう物件である。密室状態の中、クーラーも扇風機もなし、団扇を懸命に扇いだが、所詮人力、限界はすぐに来た。五千円という家賃の安さには理由があったのだ。
「実家に思わんことが起こってしもて、急遽帰らなあかんのですわ」
嘘も方便。実家を槍玉に、退居の意思を不動産屋に伝えた。応じた担当者のにやつきに「やっと分かったか」と侮蔑の意図を感じた。
住むところを失ったからと言って、そう簡単に実家へ戻れるはずがない。ささやかなプライドが、安易な逃げを許してくれなかった。
「駅裏にあるアパート、よう知ってる大家さんとこやさかい、不動産屋通さんで済むわ」
有難かった。物件探しはもう懲り懲りだった。上司を頼ると、とんとん拍子に運んだ。
家賃一万五千円で敷金は三万円。物件はアパートの角部屋でトイレ付き、至極真っ当な物件である。これが相場なんだと思い知った。
快適な独り暮らしがスタート。今度の部屋は四畳と六畳の二間、しかも窓が前面と後方にあり、太陽と風が入ると俄然気持ちがいい。
レストランのコックだった。食事つくりはお手の物だったが、アパートで一週間自炊すると、厭きて面倒臭くなった。料理はいいが、片付けが厄介なのだ。職場の賄いで腹を満たすことで、自炊は諦めた。
しばらくすると、洗濯物がたまりにたまっり、気になって落ち着かない。コインランドリーなど重宝な設備は、かの天才手塚治虫が描いた未来でしか見られなかった時代である。
「洗濯機、質屋さんで安く手に入るよ」
教えてくれたのは、洗い場で働くパートのおばさん。忙しくなると皿洗いを手伝い、生真面目なおばさんと似た性格から、妙に気が合った。皿を洗いながら、おばさんの愚痴話に付き合うのは、結構楽しかった。契約したアパートの近くに住むおばさんは、あれこれ情報を掴み。進んでお節介を焼いてくれた。
手に入った中古の洗濯機は、すぐ役立った。とはいえ物干しを使うのも初体験だった。
「男の子が洗濯なんて、えらいねえ」
隣室には三人家族が住んでいる。引っ越しの挨拶に回って、慣れない挨拶の言葉に詰まり、笑われてしまった奥さんだった。
「着る服がのうなってしまうんで……」
「そりゃ困るわね。ひとり暮らしは初めて?」
「はい。兄の結婚で、実家を出て来たんです」
言わずもがなのことを口走ってしまった。頬笑む相手に、顔が赤らんだ。実家住まいでは他人との交流は一切しなかった。おかげで恥をかく経験などしなくて済んでいた。それが、今は臨機応変な会釈で対応できている!
「大丈夫なんか?帰って来たら、ええんやで」
案じる母の電話に感謝したが、自分の人生へ旅立ったことを、きっぱりと告げた。
「俺、やっと自分で人生始めたんや。失敗したかて負けへん。母ちゃんが、そんな俺に育て上げてくれたんや。心配せんといて!」
母はなんとか翻意させようと賢明だったが、もう巣立ちの決心は揺るがなかった。
「心配いらんわ。俺、おとんぼ(末っ子)やろ。兄貴が家の跡取りやんか。どうせいつかは出ていかなあかんし、早いか遅いかや。いつまでも甘えた(甘えん坊)でおられるかいな。もう一人前の大人やで、俺」
長男が家の跡継ぎで、他の男兄弟は家を出て独立するのが、当時の常識だった。小さいころから、祖父母や両親にいわれ続けた。だから家を出ることは特別でもなんでもない。
ひとつ違いの兄は結婚が決まり、相手先から花嫁道具が入るのを見届けると、家を出て独り立ちしなければと思いを募らせた。
仕事は姫路まで通う。家から一時間以上かかるが、家を出た経験がないので、通いしか思いつかなかった。福崎駅から姫路までガッタンゴットンと揺れっぱなしの汽車も、すっかり慣れっこだった。しかし、ぬくぬくした環境から飛び出る日が、ついにやって来た。
母に独り立ち宣言を告げると、もう親任せの生活は切り捨てる覚悟は定まった。
不動産屋をハシゴした。すべて初体験である。つまり世間知らずだった。(家賃が安くないと、一人暮らしは無理や)家賃にこだわって物件を探した。不動産屋の担当者は渋い顔をしながらも、好意的に動いてくれた。
「ここは大家さんが信用できるし、家賃は敷金なしの五千円。希望に添う物件ですわ」
担当者の言葉を疑いもせず、即決した。ああだこうだと駆け引きするのは苦手中の苦手だった。物件も外部から一見しただけである。
契約を済ませ、入居は八月に入った早々。世間はむしむしと、暑さに虐げられていた。
(こんなんあり?蒸し風呂やんか!)
布団だけを持ち込んで暮らし始めたが、三日で音を上げた。四畳半一間の部屋は窓がなく、玄関は独立していたものの、部屋は壁を隔てた三方に貸し部屋がくっ付いていた。牢獄を連想してしまう物件である。密室状態の中、クーラーも扇風機もなし、団扇を懸命に扇いだが、所詮人力、限界はすぐに来た。五千円という家賃の安さには理由があったのだ。
「実家に思わんことが起こってしもて、急遽帰らなあかんのですわ」
嘘も方便。実家を槍玉に、退居の意思を不動産屋に伝えた。応じた担当者のにやつきに「やっと分かったか」と侮蔑の意図を感じた。
住むところを失ったからと言って、そう簡単に実家へ戻れるはずがない。ささやかなプライドが、安易な逃げを許してくれなかった。
「駅裏にあるアパート、よう知ってる大家さんとこやさかい、不動産屋通さんで済むわ」
有難かった。物件探しはもう懲り懲りだった。上司を頼ると、とんとん拍子に運んだ。
家賃一万五千円で敷金は三万円。物件はアパートの角部屋でトイレ付き、至極真っ当な物件である。これが相場なんだと思い知った。
快適な独り暮らしがスタート。今度の部屋は四畳と六畳の二間、しかも窓が前面と後方にあり、太陽と風が入ると俄然気持ちがいい。
レストランのコックだった。食事つくりはお手の物だったが、アパートで一週間自炊すると、厭きて面倒臭くなった。料理はいいが、片付けが厄介なのだ。職場の賄いで腹を満たすことで、自炊は諦めた。
しばらくすると、洗濯物がたまりにたまっり、気になって落ち着かない。コインランドリーなど重宝な設備は、かの天才手塚治虫が描いた未来でしか見られなかった時代である。
「洗濯機、質屋さんで安く手に入るよ」
教えてくれたのは、洗い場で働くパートのおばさん。忙しくなると皿洗いを手伝い、生真面目なおばさんと似た性格から、妙に気が合った。皿を洗いながら、おばさんの愚痴話に付き合うのは、結構楽しかった。契約したアパートの近くに住むおばさんは、あれこれ情報を掴み。進んでお節介を焼いてくれた。
手に入った中古の洗濯機は、すぐ役立った。とはいえ物干しを使うのも初体験だった。
「男の子が洗濯なんて、えらいねえ」
隣室には三人家族が住んでいる。引っ越しの挨拶に回って、慣れない挨拶の言葉に詰まり、笑われてしまった奥さんだった。
「着る服がのうなってしまうんで……」
「そりゃ困るわね。ひとり暮らしは初めて?」
「はい。兄の結婚で、実家を出て来たんです」
言わずもがなのことを口走ってしまった。頬笑む相手に、顔が赤らんだ。実家住まいでは他人との交流は一切しなかった。おかげで恥をかく経験などしなくて済んでいた。それが、今は臨機応変な会釈で対応できている!
「大丈夫なんか?帰って来たら、ええんやで」
案じる母の電話に感謝したが、自分の人生へ旅立ったことを、きっぱりと告げた。
「俺、やっと自分で人生始めたんや。失敗したかて負けへん。母ちゃんが、そんな俺に育て上げてくれたんや。心配せんといて!」