回顧アルバムも今回をいれて後2回の予定。
依頼原稿の推敲や何やかやで、
日々の暮らしを報告するのも無理ということで、
過去を振り返ってきたのも、
やっと一段落つけるわけです。
今回は30代から40代にかけて、
芝居作りに夢中になっていた時期。
当時「夢の遊眠社」(野田秀樹)「第三舞台」(鴻上尚史)が、
小劇場から飛び出た存在感を見せ始めたころ。
主宰していた「姫路ドラマ劇場」に、
姫路フォーラスから
小劇場ホールのこけら落としのプログラムに
加わってほしいとの依頼を受けて、
劇団名も「夢遊空間舞台・自遊席」と改名しての参加を決めた。
それまでのオーソドックスな舞台を封じ込めて、
小劇場向きの自由で若い発想の芝居をやり始めた。
フォーラスホールは仙台フォーラスをコンセプトにしていた。
こけら落とし第1弾は紅萬子のお芝居。そのあとに辻ての公演となった。
アマチュアならではのハチャメチャ度をと企画したのが、
「嗚呼!夢の初恋探偵局」舞台を所狭しと跳ね回った。
「嗚呼!恋こころ伝説」「嗚呼!銀河の遥か流れて星のように」と、
実に楽しかったなあ。
30代の私も10代のメンバーに負けじと、踊り歌い演じ狂った(?)ものだった。
オリジナルなものというわけで、脚本も書きまくった。
青春は、悔いなく燃焼しきったと思っている。
依頼原稿の推敲や何やかやで、
日々の暮らしを報告するのも無理ということで、
過去を振り返ってきたのも、
やっと一段落つけるわけです。
今回は30代から40代にかけて、
芝居作りに夢中になっていた時期。
当時「夢の遊眠社」(野田秀樹)「第三舞台」(鴻上尚史)が、
小劇場から飛び出た存在感を見せ始めたころ。
主宰していた「姫路ドラマ劇場」に、
姫路フォーラスから
小劇場ホールのこけら落としのプログラムに
加わってほしいとの依頼を受けて、
劇団名も「夢遊空間舞台・自遊席」と改名しての参加を決めた。
それまでのオーソドックスな舞台を封じ込めて、
小劇場向きの自由で若い発想の芝居をやり始めた。
フォーラスホールは仙台フォーラスをコンセプトにしていた。
こけら落とし第1弾は紅萬子のお芝居。そのあとに辻ての公演となった。
アマチュアならではのハチャメチャ度をと企画したのが、
「嗚呼!夢の初恋探偵局」舞台を所狭しと跳ね回った。
「嗚呼!恋こころ伝説」「嗚呼!銀河の遥か流れて星のように」と、
実に楽しかったなあ。
30代の私も10代のメンバーに負けじと、踊り歌い演じ狂った(?)ものだった。
オリジナルなものというわけで、脚本も書きまくった。
青春は、悔いなく燃焼しきったと思っている。