こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩の時間

2019年06月20日 01時42分30秒 | Weblog
酔狂にも
詩を書いてみた。
詩というよりも、
こりゃ単語の羅列だな。(笑)

波紋

ポイッと投げた
ポチャン!
ちいさな波紋
そして
しずかに消えた

なんの
跡形もなく
波紋は消えた

そして
またポチャン!

繰り返し続けた

おおきな波紋は……
一度も
起こせなかった

それが
わたしの人生だった
わたしの幸福だった

しとしとしと

また雨だ

しとしとしと

予定は流れる



この日は

きょうしかないのに

未練

たらたらたら



出不精が

輪をかける

うつうつうつ



明日は

晴れるらしい

でも

予定はない

さて

どうしたものか
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助けられて

2019年06月19日 00時36分35秒 | Weblog
 二人きりの兄弟だった兄が事故で急死。気落ちする両親が気になり、帰郷した。たったひとり残った息子がそばにいれば、すこしは気休めになるだろうとの思いからだった。
 先祖伝来の田んぼを潰して、わが家は建った。ブリキ職人の父は家づくりを差配することで、気力を取り戻した。建築現場に毎日通い続けた母の笑顔も、しだいに増えた。
 帰郷してすぐ授かった赤ちゃんを、共働きの親に代わり、母が面倒をみてくれた。「ちゃんと世話するさかい、安心して働き」上機嫌で宣言して見せた母である。息子夫婦に頼られることが、生きる張り合いになったのだ。
 家が完成すると、なんと母は毎朝赤ちゃんを迎えに来た。手ぶらではなく、朝収穫した野菜を胸に抱えての日参である。
「いつも済みません。こないに気を遣うて貰い、ほんまに助かってます」
「なに言うとんやいな。母親がセガレの家族の助けになれるんは、そら幸せなこっちゃ」
 母と妻の会話に耳を傾け相好を崩す私。
「気持ち悪い。なにニヤニヤしてんねん?」
 長女のからかいに、Vサインで応えた。
 七年前、母は亡くなった。九十三歳の天寿全うである。亡くなるまで数年、車いす生活を送った母を、しょっちゅう外へ連れ出した。
「ここのうどん美味いなあ」「この店は安いんじゃ」「お前らも、なんか買うたるよって」
 買い物が昔から好きだった母のはしゃぎっぷりが嬉しかった。
 母が亡くなった日の深夜、私は立ち会った。母の手をさすり続ける父のそばで、母の最期から目を外せなかった。伴侶の死に落胆する父の体を支え、永眠した母に頭を下げた。
(親孝行できんで悪かったなあ、母ちゃん。兄貴みたいにええセガレになれなんだわ。そいでも、ちゃんとそばにおったやろ。なあ)
 不肖の息子は、懺悔を繰り返した。
「ほれ、タケノコ食えや」
 やはり父も母と同じ、いつも手に土産がある。好々爺ぶりは相変わらず健在だった。
「子供らおれへんし、わしと嫁はんじゃ食いきれんわ。顔だけ見せてくれたらええんやで」
「なにぬかしとる、遠いとこにおるわけやなし。家のそばにおってくれよる息子にうまいもん食わせたい思て、なんも悪うないやろが」
「そらそうやけど」
 とりとめない父と息子の会話は、いつも同じなのに、その時間がいつまでも続けと願うようになった。年を取った証しである。
「お前が近くにおってくれよるさかい、わし長生きできとるがい。有り難いこっちゃ」
 父の言葉に胸を直撃され、痛かった。
(すまんのう。親父の近くにおるだけが、わしの親孝行やなんて、恥ずかしいけどのう)
 そう思ったのはいつだったか、脳梗塞に父が倒れたのを境に思い出せなくなった。病床の父を見舞うと、必ず自分に問いかけてしまう。そして、胸の内で呟き返す。
(そいでも親父の息子なんや、俺は)
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父親の後悔

2019年06月18日 00時32分32秒 | Weblog
「帰ったらすぐに手を洗ってうがい」「歯磨いたか?」「顔洗わんと不潔やぞ」
 子どもたちにそれは細かく指示する私を見て、
「あんた、ちょっとうるさくない」
 女房が子どもに同情したのか、いちいち文句を言う。
「バカ、健康に関しては少しぐらいうるさく言ってもいいの。親の務めじゃないか」
 と、気取ってカッコをつけたまでは良かったが、
「年がら年中風邪引き込んで、不摂生の典型みたいな親はどこのだれだっけ」
 この奇襲攻撃にはグッと詰まる。
「だ、だからだ、子どもだけは同じ目にあわせたくなくて」
「そんな気持ちがあるなら、ご自分からお手本を見せていただけないでしょうか?それでこそ親だと思うんだけど、違う?」
「わ、分かったよ!やってやろうじゃないか」
 以来、子どもの先頭に立って手洗い、うがい、歯磨きをセッセ。この義務感でやるのって、案外つらくて大変なんだ。してやったりと言った女房の顔が恨めしい限りだ。
 ああ、そんな日々を送っていたっけ?

そんな身勝手な父親の愛(?)を受けて育った子供たち。4人も子供がいるというのに、今や親のそばにいてくれるのは末娘だけ。息子2人など、ボン正月にすら家に戻ってこない始末。身勝手で気ままな父親に愛想をつかしたのか、はたまた忙しすぎるのか?時々チラッと頭をよぎる困惑。
 知人が息子と飲みに行ったとか聞かされるたびに、後悔の念につまされる昨今である。
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ニコニコ、ニッコリ!

2019年06月17日 01時37分40秒 | Weblog
16日11時からイベントをスタート!

朝8時過ぎに会場入り、
早速会場づくりにかかった。
ロビーのスペースを確保。
パネルを立て、
カーペットを敷き詰め、
最終セットに取り組んだ。
おかげで9時半に完了。
あとはお客様待ち。
参加のスタッフは5名と、
まあまあの陣容だ。
打ち合わせも滞りなく済ませた。

そして10時半。
受付に親子がやってきたー!
嬉しい光景だなあ。(マジな感想)

20名近く……夢見心地で迎えたのである。


子供たちの笑顔に、
お父さんお母さんとらくがきを楽しむちびっこの姿、
いやー、やってよかった、このイベント!

深夜1時15分。
体のあちこちが痛い。
かなり体を駆使しすぎた一日だったのだ。(フー、でもニッコニッコ)
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ウサが晴れる

2019年06月16日 05時37分06秒 | Weblog
 わが家の夫婦喧嘩、プイっと家を出ていくのは私。年を取ってから益々そうなった。
 車を飛ばして気晴らしするようなことはしない。歩くのだ。地元の大型スーパーまで歩けば七千歩。鬱憤を晴らすにはもってこいの距離である。むしゃくしゃしていても、それだけ歩くうちに忘れてしまう。
スーパーでは、食品売り場をそぞろ歩く。ヤケ買いはせずに見るだけ。年金暮らしの身、イライラしていても、節約は忘れない。見るだけショッピングでも、結構楽しいのだ。
目玉商品や値引き商品を見つけては、手に取ってみる。賞味期限は?産地は?パッケージに情報がいっぱいだ。調べ始めると、もう夢中になってしまう。
それに地元だから、同じ高齢者仲間と出会う。頭が白くなった男たちの井戸端会議ならぬ売り場会議でストレスも解消だ。
家に帰れば、妻の苛立ちも影を潜めて、いい雰囲気。夫の留守で気分転換できたのだ。

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直前

2019年06月15日 02時12分37秒 | Weblog
日曜日のイベント『らくがき大会』の
最終準備がやってきました。
朝9時には会場へ荷物を運び、
12時までに仕上げなければならないのです。
土曜日、働き改革の影響もあってか(?)
助っ人はなし。
孤軍奮闘しなければ。
ただ明日は雨の予報。
段ボールの箱を使ったパネルを運ぶのに一苦労しそう。
弱音を吐いてる暇はなさそうだ。
子供たちの笑顔を想像しながら、
頑張ってみるしかない。

どちらにしても、
何かを懸命にやっていれば、
煩わしいことを考えずにすみます。

おっと、もう深夜二時。
いつもなら4時までねないけれど、
今日はそろそろ寝ることにするかな。
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事故はいきなり

2019年06月14日 00時26分03秒 | Weblog
最近、高齢者による交通事故がやけに多く報道されているが、私は最近車に乗る機会が滅多になくなった。まだ返納まで至っていないが、極力運転しないように心掛けているのだ。外出は、歩くか自転車にしている。そんな立場になって、車の横暴ぶりに、恐怖する日々を送っている。(交通弱者への思いやりなど、かけらもない現実に、交通事故多発もやむなしと思わざるを得ない。イヤハヤ)

何年か目に、私も交通事故にあっている。その時の記憶は今も鮮明に思い出す。
 ガクッ!いきなりの衝撃が来た。(えっ?なに?)と呑気過ぎる反応は意外だった。
 愛車の横腹を、横道から飛び出した車に直撃されていた。弾みで車体は一回転、道沿いにあった倉庫の壁に跳ね返され、横倒しで対向車線を遮る恰好でようやく停止したが、何が起こったのか理解できぬままだった。といって狼狽えは全くしなかった。時間が止まって見えたといっていいのかも知れない。
 現実を取り戻すと、体が宙づりになっているのに気付いた。シートベルトに縛られた状態だった。下を見ると娘の目に出会った。通学のため、最寄りの駅に送る途中だった。
「大丈夫か?」「うん」「よかった」
 助手席の娘を見下ろす形で、なんとも場違いに思える父と娘の冷静過ぎる会話だった。
 救急車が来るまで、父と娘の睨めっこは続いた。まるで遊んでいるかのような錯覚を覚えた。事故に遭遇した危機的状況なのに、普段と同じ、興奮も切迫感も、まるでなかった。
 救急車が来ると、親子は問答無用で引き離された。緊急搬送された病院で、上着も下着も切り裂かれ丸裸にされるがままだった。
「〇〇さん!痛いところありませんか?」「返事して下さい!」「吐き気はありますか?」
 矢継ぎ早に救急医療スタッフに問いかけられた。それにすかさず反応できるほど器用ではない。(なんだよ)と問い返す間もなく、МRIのマシーンに放り込まれていた。
「あの子、かなり離れた病院に運ばれてね、大変な目にあったんよ。泣いてたわ」
 駆け付けた妻が口を挟ませない勢いで、娘の状況を克明に喋りまくった。「うん、うん」と頷くのが精一杯だった。結局、家族以外の面会が許されない入院生活を、一週間送り。頸椎捻挫の検査などを繰り返し受けた。
 周囲がバタバタしているのに、当の本人はケロッ、実に冷静そのものだった。
 交通事故の被害者が、徹底した俎板の鯉にされる体験は、二度と味わいたくないなあ。
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お姉ちゃん妻?

2019年06月13日 00時40分34秒 | Weblog
「仲のいいご兄妹ですね」
 そんな勘違いを
しょっちゅうされた結婚当初。
十三歳若い妻と外出しては
間違われてばかり。
いちいち弁解するのも面倒だし、
悪戯心もあって、
兄妹で通そうと決めたものだ。
 妻は一人っ子。
二人きりの兄弟だった兄が、
若くして急逝、
その後は
一人っ子状態だった私。
そのせいか
甘えん坊の似た者同士。
それでも年齢が上の私は、
年を食った分だけ
頼られる立場だった。
妹に甘えられる兄という設定が
自然に出来上がったのである。
「しっかりしたお姉さんやね。
頼りがいあるやろ」
 最近、
会う人あう人が、
こぞってそう言う。
 無理もない。
五十代半ばから、
夫婦の立場は逆転。
四人の子供の母親を経た妻は、
逞しく変貌したが、
一方の私は甘えん坊のままで
成長はとまってしまった。
当然の逆転である。
「頼りない弟も、
それなりに可愛いわね」
 妻の皮肉は、
ますます調子づいている。 
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ホ、ホ、ホタルやんか

2019年06月12日 00時20分44秒 | Weblog
闇に目を凝らしていると、
ポッとともった蛍の光。
ゆっくりした動きで
宙をツーッと飛んだ。
はかなげな光から
目が離せない。
 ここ数年、
見られなくなった蛍。
圃場整備や農薬散布の影響で
姿を消したと諦めていたが、
先日、
庭の雑草を抜いていると、
草の根本に
蛍の卵を見つけて、
胸がきゅんとした。
 我が家の庭は、
ここ数年、
こぼれだねの草木が目立ち始めた。
生い茂る草木に、
自然の復活を感じたのは
正解だった。
カエルや蛇などの生き物が
顔をのぞかせ、
ついに蛍まで、
私の目の前で
舞ってくれている。
 昔には普通に庭で見られた
蛍が乱舞する光景は
望むべくもないが、
一匹の蛍が復活したのは
嬉しい限りだ。
 昭和に生まれ
平成を生きて、
世の中の進歩と利便性を
目の当たりにしてきた。
半面、
自然の衰退も味わされた。
 古希を迎えたいま、
自然の復活の一歩として、
蛍の光の瞬きを目撃、
幸せを覚える。
 
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年金暮らしエッセ

2019年06月11日 00時45分54秒 | Weblog
「どないしたん?もう出かけるん?」
「買い物や。モールへ行って来るわ」
「あ?そうか、今日は火曜日だっけ」
「卵デーや!」
そう、今日は近くの大型スーパーで卵の安売りがある。一パック税込み105円、魅力的な価格だ。昔は卵の安売りを集客の目玉に据える店が多かったが、消費税八%になると現金なもので、特売の目玉だった卵は姿を消した。昔も今も安価な卵は庶民の味方だったのが通用しなくなった。それでも、この大型スーパーは、しっかりと安売りを続けている。
地域を代表するショッピングモールの中核を担う大型スーパー。数年前まで二十四時間営業だったのが、原発事故の影響で、朝七時から夜十一時までに変更された。それでも近隣からの客足はさほど減らない。
 七時を待って大型スーパーは開店する。自動ドアが開くと、脇目もふらず卵売り場へ急ぐ。同じ目的の客と抜きつ抜かれつである。
 ラックに山と積まれた卵を一パック、すかさず確保すると、レジに急ぐ。早朝レジの稼働は二台のみ。最初は卵目当ての客ばかりで、スムーズに通過できるが、八時前後になると、レジは嘘みたいに混みだす。急ぐ必要がある。
 十パックは買う計画である。おひとり様一パック制限をクリアするため、レジを通過した足でまた売り場に取って返す。
 五,六パック積み込んだカートをレジ近くに止めて置き、往復の手間暇をケチる不届きな客がいる。馬鹿正直者には無縁の所業だ。ひとり来店が明白にも関わらず、レジ突破を図る輩も目立つ。
「おひとり様一パックにさせて頂いてます。お連れ様はいらっしゃいますか?」
「ほい。あっこに待たしとる。あれ?おれへん。仕様ないやっちゃ、そこにおれ言うとんのに。年寄りやさかい許したって。どっかで休んどるんや」
 レジ係も毎回のことだから心得ている。確認の言葉をかけておけば、仕事して充分なのだろう。とはいえ、嘘も方便と要領よくレジを切り抜ける輩の真似はとうてい出来ない。根が生真面目、いや小心者の私である。
「おはようさん」
 レジに並ぶと背後から挨拶が。定年まで勤めていた工場の同僚で五つ年長の彼、しょっちゅうこのスーパーで顔が合う。アパートに一人住まいだから、買い物は自分でやるしかないらしい。それも贅沢できない年金生活、安売り卵の購入は必須である。
「あんたも卵かいな?」
「そうや。安うて万能で、美味いと来てる。卵さまさまやわ」
 小柄な体が一層しょぼくれて見える。
「一パックあったら、一週間は持つさかい」
「なに言うとんや。一パックじゃ足らへん。うち三人家族やけど、きょうは十パック買う」
「そないようけ買うて腐ったら勿体ないが」
「アホ言うない、腐らすような下手すっかい。卵があったら、おかずがのうても、どないかなるやろが」
「……賞味期限切れたら……?」
「そんなもんべっちょないわ。加熱したらなんぼでもいけるで」
 卵は重宝だ。卵かけごはんを食うときは、ちょっと賞味期限を気にするが、卵は本来焼いたり茹でたりして食べる。期限が切れたら加熱するを徹底すれば安心だ。
 一概に卵焼きと言えども、かなりバラエティに富む。厚焼き、出し巻き、オムレツ、炒り卵、ハムエッグ……。まあ飽きることはない。そうそう、最近卵を使ったスィーツをよく作る。中でもプリンは自慢の一品だ。
「このプリン売ってるもんより美味いやんか」
 皮肉屋の妻が褒めそやすぐらいだから、自家製プリンは本当に美味い。冷蔵庫に作り置きしておけば、甘いものに目がない、わが家のオンナどもが消費してくれる。勿論旦那だって、酒やたばこと縁切りして以来、寂しくなった口を補ってくれるのは甘いものだ。   
プリンつくりで卵以外の材料は牛乳、生クリーム、砂糖、バニラエッセンス。生クリームは少々高いが、値引品を手に入れて賄う。生クリームを入れるか入れないかで、プリンの風味にすごい格差が生まれる。よく混ぜて裏漉し、容器に詰めて蒸すだけだ。
百円ショップで一人分に頃合いの容器を見つけて、三十個も大人買いして妻に叱られたが、容器に納まったプリンの上品さに、すぐ妻の機嫌は直った。見た目もいいが、とにかく使い勝手がいい容器である。
 七パック目になる頃、レジは混雑を呈する。卵だけではなく他の商品をガッポリ買い込む客の後ろへ並ぶはめになると、時間は止まる。
「あんた、それだけかいな?」
「はあ、そうです」
 カートに商品山盛りの客が振り返って、声をかけてくれたらシメタものだ。人情に縋る。
「先にレジしなはれ」
「ええんやろか。おおけに。すんません」
 人の好意は素直に受け取る。断れば相手の好意を台無しにしてしまう。頭をちょっと下げて礼をいえば事足りる。世の中は結構いい人が多いと感謝の気持ちを忘れないことだ。
 十パックの卵を助手席に積み上げて、ホーッと息を吐く。大仕事は終わった。思い通りの数量を手にできて満足この上ない。
 帰宅して意気揚々と玄関を開ける。
「お帰り。どないやったん?」
 待ち構えていた妻が成果を問い質す。
「ほれ見てみい。十パックや、十パックやで」
「さすが!えらいえらい」
 口とは裏腹に呆れているのは明白である。(安売り卵十パック買うて自慢かいな。ほんま恥ずかしいないのん)が本音。定年で現役引退してからこっち、お馴染みの反応だ。
「ほなら、いまから買いものに行って来るわ」
 妻の出番だ。卵以外の買い出しは、妻の役目である。
「あんたに買い物任せといたら、お金がなんぼあっても足りひんわ」
 一度買い物を引き受けた時、買って来たものを検品した妻は深いため息をついた。男と女の埋めようがない経済観念の差を思い知らされた一件である。
 結局、卵とか砂糖の特売品タイムセールだけにお呼びがかかるようになった。気の短い妻は並ぶのが嫌なのだ。まして安売り卵目的では自尊心が傷つくと思うのかも知れない。「お昼やで。行くの行かへんの?」
「慌てんでええ。売り切れたら雪が降り寄る」
 最近はいたって呑気に特売日を迎える。
 数年前から安売り卵の購入条件が変わった。千円以上の買い物でおひとり様一パック限定。これではそう簡単に卵を買いに行けない。隔週で一パック買うのが精いっぱいである。
 それにしても、安売り卵を手に入れるため、あの手この手を駆使したのが懐かしい。刺激がなくなり、ボケるのも早くなりそうだ。
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