こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

墓参で

2019年06月10日 00時34分46秒 | Weblog
「伯父さんの生まれ変わりや、よう似とる。伯父さんは、そら真面目で孝行息子やったぞ」
 何かにつけ、伯父と私を重ね合わせた祖父。
 太平洋戦争中にビルマで戦死した伯父の名前から一字貰ったわたし。伯父を知ったのは、仏壇の上に掲げられた軍服姿の遺影と、村の共同墓地入り口に居並ぶ戦死者の墓碑からだった。二十九歳、陸軍上等兵、ビルマ戦線にて戦死と刻まれた墓碑は、盆の墓参りが来るたびに、胸の内で読み続けている。
「伯父さんはのう、そら親思いで、優しかったのう。よう勉強もできたし、仕事かて、誰にも負けん頑張り屋やったわ。うん、うん」
 祖父の脳裏に刻まれた息子の姿は、世界一輝いていたのだ。
 働き者の祖父は、農作業や山仕事に必ず孫を手伝わせた。兄とわたしは、手取り足取りで百姓仕事を教え込まれた。
「伯父さんは泣き言ひとつ言わなんだぞ」
 まだ子供の兄とわたしが仕事を怠けると、祖父は伯父を持ち出しての小言だ。野外で遊ぶのが好きな兄と違い、家の中で読書や絵をかいたりする方だったわたしは、やはり百姓仕事がうまくできずに失敗した。野山で弁当を開いたとき、祖父はわたしが大好きな卵焼きを余分にくれた。空を見上げると、穏やかな口調で語った祖父の姿が、記憶に鮮やかだ。
「お前は、いつか伯父さんみたいになりよる。失敗したかて諦めたらあかん。あいつもそうやって大きくなりよったんや。……逝ってしまいよったが、ちゃんとお前に引き継いでくれとる。ほんまに、伯父さんと瓜二つや」
 祖父は亡くなるまで、わたしにかなり厳しかった。半面わが子を見守る優しさが、見守る祖父の笑顔に込もっていたのを思い出す。
 祖父の戒名が刻まれた位牌を前にすると、矍鑠然とした祖父の姿を思い出す。いま手を合わせ、ようやく心の底を打ち明けられる。
(伯父さんを超えたで。いまやったら、俺に文句言うことないやろ。なあ褒めてくれよ)
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父親冥利?

2019年06月09日 01時25分20秒 | Weblog
「父親のあとを継ぐ息子で。いいよな」
 思わず呟いてしまった。ニュース画面の伝統木工品を作る親子の作業風景に、ついジェラシーを覚えたのである。
「継がせられる程御大層な仕事やってた?」
 妻の皮肉。口惜しいが反論できない
思い返せば、本屋の店員、コック、喫茶店でバーテンにマネージャーを経て独立、喫茶店オーナーになったが十年で閉店。あとは木工会社、2×4工法の大工見習。
その後、調理の世界に戻り弁当製造工場で定年を迎えた。最後はスーパーのパートと変化に富むが、とても自慢できたものじゃない
 こんなザマで「親のあとを継げ」とは、口あんぐりな反応を受けて当然なのだ。
「でもさあ。うちの子供ら、ちゃんと親と同じ道を歩んでるよ。幸せに思わなきゃ」
 そうだった。息子は居酒屋の店長、父親の調理師とは異なるが、同じ外食産業の一員なのは間違いない。そう解釈を成り立たせた。
「何やかや言っても、子供って親の生きざま見せつけられて育ってるんだからね」
 悟りきった口調の妻。そりゃそうだよな。長女は介護福祉士、次女は保育士で、保育士をしながらボランティアにもいそしんだ母親のあとを、しっかりと継いでいるのだから
妻のどや顔も不思議ではない。
「大局的に考えれば、父親の仕事をなぞってくれてるんだ。やっぱり俺の息子なんだな」
 自分を納得させても、複雑な心境のままだ
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おかあちゃん、そして

2019年06月08日 01時04分34秒 | Weblog
可愛げのない子供だった。人見知りが激しく、家族にすら他人行儀に構えてしまう変な性格だから、そう見られてしまった。

 小学校に入っても全く変わらず、友達はできず、いつもひとりぼっち、朝起きると、学校へ行くのがいやでいやで堪らなかった。「おなか痛い」「頭が痛い」しょっちゅう仮病を使って休んだ。「ずる休みしょったら、ええ大人になれんぞ」と最初こそ宥めすかした両親も、何度も繰り返される息子の仮病に、何も言わなくなった。当時は日本全体が貧しく、暮らしに追いまくられて、子供にいちいち構っている余裕はなかったのだ。

 その日も朝早く田圃仕事に出かける父と母。布団にもぐっていると、母の声がかかった。

「おむすび握っといたから、腹減ったら食うときや。なんもせんでええさかい、ちゃんと食べるんやで」

 いつも思いやりが込められた母の声。それでも甘えることのできない子供に、母性愛がなす優しさは届かない。布団をかぶったまま、人の気配がなくなるのを、ひたすら待った。

「ほんまに、お前は母ちゃんの子じゃけ、しゃーないわのう。母ちゃんそっくりなん、嬉しいけんど、お前が困りよるなあ」

 その日、母はかなりお喋りだった。『母ちゃんの子じゃけ』の言葉を聞いて、布団の中で固まった。耳に意識が自然と集中した。

「母ちゃんの悪いとこ、似てくれんでよかったわ。そいでも、母ちゃん悪い思うとるんじゃ。もっとえらい母ちゃんやったらよかったんに、ごめんな、勘弁したってや。そいでも、お前はやっぱり母ちゃんの子じゃけ、他人様に負けへんわ。大きゅうなったら、分かるやろけど、母ちゃん負けん気だけは強いねんで」

 饒舌な母を見たのは、この時が最初で最後である。元来無口で人付き合いに不器用な女性なのだ。間違いなく、私の母親だった。

 九十三歳で亡くなった母。病院のベッドでゼーゼーと断末魔を迎えようとする姿を見守りながら、二人きりで一夜過ごした。母は私が息子だと分かっていた。カァーっと見開いた目を逸らせなかった。睨めっこをしていると、いきなり母の声が脳裏に木霊した。『母さんの子じゃけ』懐かしい響きが蘇る。

 あの日がスタート台だった。成長の浮き沈みを『母さんの子じゃけ』で乗り切ってきた。性格は一向に変わらなかったが、母から受け継いでいるのだと、胸を張る日々を送った。結局、母の負けん気と逞しさが、今の私を導いた。人生を無難に乗り越えられたのは、母のおかげだと信じている。

「おれ、母さんの子じゃけ。心配せんでええ」

 死を目前にする母に訴えかけた。すると、母が頷いた。幻想だったのかもしれないが、その刹那、悲しみがドーッと襲った。

「アホ!母さんの子じゃろ。人前で涙見せたらあかん。他人さんに弱音見せたらあかんで」

 勝気な母の小言が、耳に飛び込む……!

 深夜寿命が尽きた母の手を、さすり続けた。


追伸
いよいよらくがき大会が迫ってきました。
私が担当するイベントです。
みなさんも時間があれば、
ちょっと覗いてみてください。
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おじいちゃん?

2019年06月07日 02時27分30秒 | Weblog
すっかり忘れていた胸躍る瞬間!
観客のちびっこは
紙芝居をじーっと見つめる。
ひ孫である。
紙芝居に自然と力がこもった。
 大型スーパーのイベント広場を借りて
土日四回公演。
協力願ったボランティアメンバーは
高齢者が中心。
昔取った杵柄はあるものの、
よくもまあ
やってのけた紙芝居公演である。
 演劇をやっていたのは三十年前、
杵柄もへったくれもあったものじゃない。
素人も同じだから、
案外怖いもの知らずでやれたのだ。
紙芝居の練習は勿論、
出演者やスタッフの参加交渉に
会場のイベント担当者との折衝など、
ぶっつけ勝負が続き、
息は抜けなかった。
 ちびっこ相手に程ほどは失礼だ。
舞台プランに
ひとりコツコツと取り組み、
昔話の主役を
絵姿に何枚も仕上げた。
おおきなカブは新聞を丸めて完成!
本番は万全の用意で迎えた
 ラストは絵本『おおきなかぶ』で
会場のちびっこたちを巻き込み、
「うんとこしょ、どっこいしょ」と
沸きに沸いた。
成功である。
「おじいちゃん、
面白かったって言ってるよ」
 片付けにかかった私に
声をかけたのは娘。
くっついている孫の真剣な目に驚いた。
笑顔で応じたが、
孫の表情は固まったままだった。
「今日のおじいちゃんは
シラナイお爺ちゃんだから」
娘が教えたと後で聞き、
納得した。
「公演ではちびっこみんなのおじいちゃん。
明日はきみだけのおじいちゃんになるからな」
 帰る娘と孫の背中へ、
思いを届けた。
 紙老後の生きがいに紙芝居。
予感を覚えた。
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アセアセ

2019年06月06日 00時39分48秒 | Weblog
6月の落書き大会に続き、
7月は文芸祭と続きます。
70台になって、
かなり焦っている
あとどれくらい、
頭がしっかり働いていてくれるか
考えれば考える程、
目の前真っ暗って感じになります。
ともかく、7月は文芸債。
よろしくお願いします。
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雨あめフレふれ

2019年06月05日 01時33分31秒 | Weblog
「慈雨」は、私の中では死語だった。
 初めて米作りに励んだ年は空梅雨で、夏になっても雨は降らなかった。前年に町暮らしからUターンしたばかりで、高齢の父から手ほどきを受けて、田植えまでは順調だった。
(米作りって簡単じゃないか)
 変な自信を持ったころから、リズムは狂い始めた。除草や肥料、農薬などの散布などは、思い通りに進んだが、自然はへそ曲がりだった。雨が降らない。田植えからしばらくはため池の水で賄われたが、徐々に取水制限となり、どうしようもない事態を迎えてしまった。
 カンカン照りが続き、田んぼはひび割れた。毎日稲の生育を見回るが、枯れる寸前に思えた。その惨状にため息をつくばかりだった。
 もう駄目だと覚悟を決めたとき、台風が日本に上陸した。雨台風だった。豪雨でかなり被害が出た。しかし田んぼの稲が生き返るのを目の当たりにして、思わず目が潤んだ。
「慈雨」は、自然の恵みだったと感謝した。
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娘の料理人

2019年06月04日 01時30分13秒 | Weblog
 この春から働き出した新米保育士である、生真面目な性格の娘、慣れない仕事を懸命に取り組み、疲れとストレスを溜め込んだのだろう、めっきり食欲を失くしてしまった。
「大丈夫かな?」「あなたの子供でしょ、信じなさい」おろおろする私は妻に一喝された。「父親のできることをしてやればいいの」
 引退した仕事は調理師。毎日の食事作りしか、私にできることはない。ネットで若い女性が好むレシピを引っ張り出し、娘のための料理を作った。食欲のわかない娘が食事を残しても、懲りないで次のレシピに取り組んだ。
「お父さんの玉子焼き、おいしい」
 ある日、ポツンとつぶやく娘の顔を見直した。久しぶりに見る笑顔に、ウルウルした。
「今日の夕食、何がいい?」
 出勤前の娘に問いかけるのが日課となった。
「なんでもいいよ」とお決まりの返事。
 その声に張りと快活さが復活するようにと、ひたすら腕を振るう父親だった。
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恋の記憶

2019年06月03日 00時26分24秒 | Weblog
 喜ぶ顔が見たいなあ。その思いだけで遂に買った絵本。とても大切なお土産だった。
遠出が億劫な私、いわさきちひろ美術館を訪れたのは奇跡といっていい。だいたいちひろの絵本どころか、巷で評判の絵本すら興味が湧かない無粋極まる中年男だったのだ。
絵本を読めと薦めたのは、趣味のグループにいた女の子で保母さん。いつもしかめっ面で黙々と趣味に打ち込む私を見かねたらしい。
「心があったかくなるから、これ読んで」
 少女の願いを無視しないのが中年男。「おおきなかぶ」と「おおきな木」のページを開いた。(こんなもの……?)が(これは!)に変わった。一度で読み終わるものが、二度も三度も。絵本の魔力のとりこになっていった。
 少女と中年男をつなげた絵本。ひと回り以上の年齢差という垣根を易々と壊した。絵本をダシに二人の時間はしだいに輝きを増した。
 ちひろの絵本は特別らしく、必ずほかの絵本と一緒に少女は薦めた。おかげでいわさきちひろは私を魅了した。
 東京の友人を訪問するとき、当然のごとくいわさきちひろ美術館が頭に浮かんだ。(行ってみよう!)内心、少女と手をつないで行きたかったが、初心な中年男に告白する勇気はない。友人と遊んでくると告げ上京した
 ちひろの絵本ではない。私の代わりに告白してくれる絵本を紀伊国屋で手に入れた。
『しろいうさぎとくろいうさぎ』に込めた思いは届いた。少女は私の妻になった。
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おタバコ

2019年06月02日 09時23分46秒 | Weblog
 久しぶりの喫茶店。
「煙草は喫われますか?」
 店内は分煙になっている。
「うん。煙のこない席がいいな」
「禁煙席にご案内します」
 煙草を嫌悪する客に最高のもてなしである。美味い珈琲を味わえる、いい時代になった。
三十半ばで禁煙した。若いころ始めた喫煙は、職場環境のせいである。同僚の殆どが喫煙者、「煙草は喫えない」と公言する勇気は、とても出せなかった、
 四十前に独立、喫茶店のオーナーになると、煙草と縁を切った。カウンター内の仕事に、喫煙は邪魔になるだけ、それに好きで喫っていたわけではない。
 煙草は口にしなくなったが、喫茶店に喫煙はつきものである。近くにある化粧品会社の営業部員が客席を占め、綺麗なメークを施した女性たちが、なんと煙草をスパスパ。ティータイムにドーッと来店、瞬く間に店内は煙に包まれた。否応なく煙草を喫う状況に変化はなかった。むしろ悪化したといえる。
 仕事なのだと自分にいい聞かせ、我慢を決め込んで働いた。
「マスター、煙草喫わないの?」
「君らの喫煙に付き合うてるやないか。わざわざ喫うのは勿体ないがな」
 レジ横に赤ちゃんを寝かせての仕事である。「マスターに似て、可愛い赤ちゃんやんか」
「忙しい間は、ウチが世話しといたるわ」
 常連客に人気者の赤ちゃんだった。
「赤ちゃん、アトピーやったわ」
 深刻な顔で報告する妻の胸に額のできものが膿み、血が滲むあばた状態の赤ちゃん。
「禁煙喫茶にしてみるか」
「それで喫茶店やっていける?」
「赤ちゃんのアトピー見てられへん。親やろ、なんとかしたろ」
 煙草が喫えない喫茶店など狂気の沙汰だったが、わが子のために踏み切るしかなかった。
「地方で禁煙喫茶店は大変やろけど、頑張ってほしいなあ。応援させて貰います」
 来店した新聞記者は大きな記事にしてくれた。よほど突飛な話題だったらしい。
「煙草の喫えない喫茶店て、あり得へんわ」
「煙草喫う者は、他へいくしかないわな」
 常連の喫煙客は捨て皮肉を口に、顔を見せなくなった。客の減り様は予測を超えた。
「赤ちゃんを守るためやんか。頑張ろう」
 妻の励ましを支えに、あの手この手で店の経営に奮闘したが、徒労に終わった。
 禁煙喫茶店は、結局一年半で頓挫した。
「時代が早かったんかな、残念ですわ。再度挑戦されるときは、必ず連絡ください」
 新聞記者は型通りの言葉を残して去った。
 赤ちゃんのアトピーは、かなり時間を要し快癒に至る。禁煙喫茶店は、正解だった。
(いまやったら、成功してたかなあ~)
 禁煙席で飲む珈琲は格別である。香りの向こうに、紫煙に踊らされる日々が蘇る。 
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お盆の記憶

2019年06月01日 02時43分03秒 | Weblog
いつもと違う賑やかな仏前。
回り灯篭の炎に照らされた家族の中に、
兄の姿はなかった。
 兄の初盆だった。
亡くなって三か月余りで
迎えたお盆。
先祖の霊を迎えるお盆で、
跡取り息子の兄は
いつも読経の先達を務めていた。
その兄の声も笑顔も、
もう見られなかった。
 建設現場で高所から落ちた兄。
ブリキ職人だった父は、
即死で血まみれになった兄を抱き
呆然と立ち尽くしていたという。
葬儀が終わり
しばらく経つまで
父は涙を見せなかった。
 私がやるというのを遮り、
読経の先達を務める父。
淡々とお経を唱える
気丈な親父の背中に見入った。
そして気づいた。
 そこにある憔悴したものに。
父が受けた衝撃と後悔の思いは、
少しも癒されてはいなかったのだ。
思わず
その背中に頭を下げていた。
「悪かったのう。
わしが傍におってからに……!。
あっちでゆっくりせいや」
 送り火を炊きながら
呟く父の背中が
えらく縮んで見えたのを
、盆を迎える度に思い出す。
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