川の流れをみていると鴨長明の『方丈記』を思い出す
「我思う、ゆえに我あり」
フランスの哲学者 デカルトの有名な言婆が気になりだした。
「我思う、ゆえに我あり」
デカルト(フランス 哲学者)の言葉が
蒲団のなかで気になり、眠れなくなった。
”自分という人間は何ものか”、と考える存在そのものが自分である。
「我思う、ゆえに我あり」の言葉を
「我あり、ゆえに我思う」に変えてみた。
「我あり」の「あり」は在りであり、すなわち存在である。
自分は存在している。
自分の存在は個別的であり、他者に替わることはできない。
自分がこうして現在(いま)生きていること、に意味がある。
老い病を患い寝たきりになっても
数分前の会話や出来事がわからなっても
老人は存在し、生きていることに意味がある。
生きているからこそ
人間は思い悩む
あなたがいて わたしがいる
わたしがいて あなたがいる
互いの存在を認めることで
自分という存在がわかる。
そんなことを妄想しながら
自分は何を感じ、何を思い
いま、存在している老人に何ができるか
思い悩みながら行動を起こす存在でありたい