老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1341;「我思う、ゆえに我あり」

2020-01-01 17:20:41 | 老いの光影
川の流れをみていると鴨長明の『方丈記』を思い出す

「我思う、ゆえに我あり」

フランスの哲学者 デカルトの有名な言婆が気になりだした。

「我思う、ゆえに我あり」
デカルト(フランス 哲学者)の言葉が
蒲団のなかで気になり、眠れなくなった。


”自分という人間は何ものか”、と考える存在そのものが自分である。
「我思う、ゆえに我あり」の言葉を
「我あり、ゆえに我思う」に変えてみた。

「我あり」の「あり」は在りであり、すなわち存在である。
自分は存在している。
自分の存在は個別的であり、他者に替わることはできない。

自分がこうして現在(いま)生きていること、に意味がある。

老い病を患い寝たきりになっても
数分前の会話や出来事がわからなっても
老人は存在し、生きていることに意味がある。

生きているからこそ
人間は思い悩む

あなたがいて わたしがいる
わたしがいて あなたがいる
互いの存在を認めることで
自分という存在がわかる。

そんなことを妄想しながら
自分は何を感じ、何を思い
いま、存在している老人に何ができるか
思い悩みながら行動を起こす存在でありたい 

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1340; 「多」病息災の年

2020-01-01 09:35:10 | 空蝉
阿武隈川の辺から初日出を拝む ・ wifeとbeagle元気と

「多」病息災・健康

一病息災ならぬ
「多」病息災の自分
病を抱えながらも
「健康」に生きていく

よく休憩をとり
新たな気持ちで
良い介護を 為していきた

病や 不自由な躰を抱えながら
生きている老いびとたち
何を欲し
何処で暮らし 何処で永い 眠りにつきたいか
それは 自分のことでもある

自分は
いま生きている
いや、生かされていることに
感謝し、感謝を忘れずに
今日を生きて逝く


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