老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1368; 生きる力

2020-01-21 15:59:58 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
自治医科大学附属病院感染症科受診の帰り路 壬生SA

生きる力

生きる力、と書くと
何だか仰々しい感じがしてしまう。

何故、生きる力、と出だしに書いたのか?
終戦後、夫と共に農業一筋に生きてきた85歳の婆さんを訪問した。
彼女は脳梗塞を患い左半身不全麻痺となった。

母屋に住む長女夫婦に迷惑かける訳にはいかない、と
老母は言葉少なに話す。
家のなかも外も歩行器につかまり歩く。

硬いソファに座っている時は
左大腿部を両手でつかみ、脚を上げたり下げたりしている。
彼女は多動でもいい、こうして左脚を動かすことで
歩くとき足の運びがちがう、と話す。

そうして左脚を持ち上げたりして頑張っていることは
車の乗り降りのとき、脚が容易に上がり
家族は助かるよ、と話しかけた。
傍で聞いていた長女は、「そうだよね」、と頷いていた。

生きているんだ、と言葉にせずとも
少しでも自分でできることをする
言うことがきかない左脚であっても
動く手で左脚を動かす。

生きるとは、動くこと
すなわち活動することなり。
老いた母親は
娘の手を煩わせることないよう
ままならぬ左脚を動かすことで
生きる力を得ている。