老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1359;「食べる」と「生きる」

2020-01-15 04:49:21 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
冬の厳しさの向こうに 春の訪れを知らせる陸奥梅花(写真と本文は直接関係ありません)

「食べる」と「生きる」

「食べる」ために「生きる」
それとも
「生きる」ために「食べる」
それはその人の置かれた状況によって変わる。

噛み飲み込む力はあるのに「食べれない」
病院を退院し、あとは「食べる」ことさえすれば快復できるのに
「食べれない」と思い込み「生きる」意欲まで喪失していく老女

癌が発病するまでは
ご飯(米)が好きで大きな茶碗で食べていた婆さん
青森に生まれ白米がご馳走だった時代に育った
癌が躰のあちこちに転移し痛みは躰のなかを走り周り「余命3月」と告げられた
「食べたい」「生きたい」、という思いが溢れるほどあっても
喉は水を通してくれることさえも容易ではない

彼女にとりいま「生きる」ことは日を重ねるごとに
襲ってくる痛苦に耐え
病床で故郷(長年住んだ家)を想い巡らす

食べたくても「食べれない」老女の聲無き叫び
その叫びは もうひとり老女に届いて欲しい、と願うのだが
「私はもう食べれない」と思い込んでいる老女
いま、彼女に必要な栄養は、”生きて欲しい”、と願う家族(息子夫婦)の想い(=愛情)かもしれない