老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1348;トイレに神様がいる

2020-01-05 05:40:09 | 老いびとの聲
トイレに神様がいる



『トイレの神様』(作曲︰植村花菜、作詞︰植村花菜.山田ひろし)
『トイレの神様』の詩(歌)のなかに、

でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで



便所掃除
        濱口國雄 
 

扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります

どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞におそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します 
落とすたびに糞がはね上がって弱ります

かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落とします

朝風が壺から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわってみます
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません



緑川みどり婆さん(85歳)は、うつ病と認知症があり
認知症は齢(とし)を重ねるたび、物忘れが更に進んできた。
みどり婆さんは、農家に嫁いだことの苦労と愚痴を何度も何度も話すたび
「早くあの世にいきたい」「死にたい」と呟く。

みどり婆さんのよいところは、決して他者の悪口は言わない。
デイサービスは週2回利用されている。
秋桜デイサービスに到着すると、トイレに向かう。
彼女はトイレに入る前に、両手を合わせ「お世話になります」、と挨拶をする。
帰るときもトイレに向かって「今日はありがとう」とお礼の言葉を呟く。
彼女は、トイレが使えることに感謝し、トイレに神様がいる、と話してくれた


トイレの話が長くなりますが、おつきあい頂ければ嬉しいかぎりです

濱口國雄さんの『便所掃除』の詩を知ったのは
中学のとき国語の先生がわら半紙に印刷し配布してくれたときである。
その詩を掲載された『便所掃除』の詩集は、学生のとき書店でみつけたときは、感激したほどであった。

現在のトイレは、ウオシュレット(温水洗浄)便座になり、機能性、清潔性が備わっている。

自分が小学・中学生の頃は、自宅も学校も「ポットン便所」であった。
便所の床は板張りで、トイレの真ん中は穴が開いており、そこを跨ぎ「用を足す」のである。
一寸穴を除けば、コーラー色のようなオシッコとウンチが溜まり、夏には蛆虫が蠢(うごめ)いていた。

田舎の駅の男子便所は、オシッコが流れる「排水」溝があり、壁はコンクリートであった。
掃除はしないから、目に染みるほどアンモニア臭がかなりきつかった。
そのことは濱口さんの詩の冒頭に書いている。
離農し、木造の小さな家に住んだときも、「ポットン」便所であった。

学校では当番によりキンカクシの掃除が当たると本当に嫌であった。
その便所掃除やバキュームカー(衛生車)の仕事を見下す大人もいた。
上下水道が完備していない地域は、合併浄化槽の「汲み取り」にはバキュームカーは必要不可欠であった。
在宅訪問すると、老人が住む古い隠居宅は「ポットン」便所のところもある。

植村花菜さんも濱口國雄さんも
トイレ掃除をする娘は美しくなれるし、美しい子供をうむ。
トイレ掃除をする男は美しい嫁さんに出会える。
そうかもしれませんね。