老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1347;今日で1000日、2000日への出発点でもある

2020-01-04 17:33:04 | 老いびとの聲
wifeの実家から自宅に帰る 東北自動車道 1月3日撮影

今日で1000日。2000日への出発点でもある

過ぎた日の1000日
過去は現在そして未来につながる、と思うも
現在から過去に戻りたくても戻れない。

過ぎた日の1000日より
何事もなければ2000日を迎えるであろう
過ぎた1000日以上に
今後の1000日の時間は早く感じてしまうのでは・・・。

2000日を迎えたときは
自分の齢は70歳になる
どんな70歳を迎えるか
気持ちだけは老いたくはない、と思っている・・・。


今年、主任介護支援専門員の更新研修(5年更新)の受講がある
受講修了証を受け取ることで、居宅介護支援事業所の運営が継続できる
72歳まで介護支援専門員(ケアマネジャー)として在宅介護のお手伝いができる、と思ってはいるが
「健康」の維持が不可欠。

ブログは、老いた自分が
何を思い、何を感じていくのか
ありのままを大切にしながら
ブログを続けたい
書くことがない日は「お休み」にする。


これからもよろしくお願いします。

大きな不幸がないよう
小さな幸せを積み重ねていければ、と思っている

1346;老母の介護に疲れた(再掲)

2020-01-04 11:34:31 | 老いの光影
令和2年1月3日 筑波山と朝焼け (旧下館市から望む)

老母の介護に疲れた

老いた母親の介護は疲れ果てた、長女は話す

顔は一回りちいさくなり目は窪み
どうしていいかわからない

デイサービス(定員30名)からも
ショートからも
「もうみられない」というようなことを
言われてしまった

この先どうすればいいのか
その夜 急いで夕食をすませ長女宅を訪れた

長女の深く暗い悩みに
耳を傾けた

老母は
夜中十分おきに起きトイレへ行く
数度、夜中、外へ出だし歩き始める
外へでたときは後ろからついて行く

「私の体のほうが悲鳴をあげている」
「もう横になりたい」
「もう眠りたい」
と長女はか弱い声で話す

老母が認知症であることを
始めて、そしてやっと認めた長女

長女は母親との軋轢を話してくれた
娘からみれば母親ではなかった
東日本大地震のとき
「娘にやる米はない」と言われた
「母ではなく鬼だと」思った

母は何も変わってはいなかった
子どもだったときから
母親と温かい言葉を交わしたことがなかった

それでも私の母親には変わりはないと思い
介護をし続けている私

糖尿病で手を煩わせている母
認知症でてこずらせている母
まだ家でお世話していきたい、と

長女が抱えている悩み、不安、葛藤、疲労、憔悴など
絡み合った糸をほぐすためにも
彼女の話を最初から最後まで聴いた


聴くことの大切さと
介護に疲れ果てた介護者の支援をどう進めてゆくのか
「ロング」ショート(変な英語表現、業界用語、月に30日のショートステイの利用、翌月も30日の利用)か
介護施設に入所させれば 家族の負担は解決するが、長女は疲れても「まだ、家でお世話そしていきたい」
本当にどうしていいか、悩んだことも事実でした。

10名定員の地域密着型デイサービスの利用により
利用開始後、3日目には昼夜逆転は消失し、夜、外へ出ることもなくなった
いまは、老いた母は「星」となった。
忘れた頃に 長女から電話が入り 地域密着型デイサービスに野菜・米を届けてくれている

                              
(令和2年1月4日記す)