老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1375;犬には「曜日」は関係ない

2020-01-25 15:17:18 | 犬と人間
毎朝5時頃になると「ワン」と吠え 「散歩の時間だよ」と知らせる

犬には「曜日」は関係ない


我が家の長男 beagle元気は、
よく食べ よく眠る
寝ながら留守番の役割を果たしている。

毎朝の散歩を待ち焦がれ
5時頃になると「ワン」と吠える。

散歩では匂活が大好き
犬は、風の匂いも嗅ぐ

今日は日曜日なので、ゆっくり寝たい
元気には曜日は関係なく
もう散歩に行く時間だよ、と吠える

まだ外は暗いから 待ってね、と
蒲団から声かけるも
元気は「ワン、ワン」と起きろの催促

wifeは一人蒲団のなか
自分が起きだすと 元気満足し散歩を待つ

今日のブログは、詩的ではなく「私的」な内容でした



1374;ひこうき雲

2020-01-25 14:43:58 | 歌は世につれ・・・・


死を悼む詩・曲なのに
死を感じさせない明るいメロディーに聴こえてくる
早すぎた(若すぎた)死だったけれど 幸せだった
あの子の命は 空をかけてゆく ひこうき雲

空を見上げ あの子を偲ぶ
青い空に ひこうき雲 
夜空に 名もない小さな星の輝き

ひこうき雲

作詞:荒井由実
作曲:荒井由実

白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲



1373;「土」に帰る {3}

2020-01-25 06:12:43 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
「土」に帰る {3}

死期が近づいたとき(死ぬとき)
人間は、何を思うのであろうか

「後悔か」それとも「感謝か」
それはその人の心の内でしかわからない

89歳で幕を閉じた老女にも
ひとつの人生史があった。
生命の重さに変わりはない(何人も生命の重さは平等である)、と同じように
何人の死もまた悲しみに差や違いはない。

大切な人やかけがえのない人の死は
悲嘆にくれ
喪失を乗り越えるにも時間がかかる。

人間は感情の動物であり
「傷み」「痛み」「悼み」を感じる

どれも「いたみ」と読む
自分の「いたみ」はわかるが
他人の「いたみ」には気づきにくい

リンゴ(林檎)は「傷む」と腐りはじめる
屋根が古くない「傷み」だし雨漏りがしてきた
物であっても手や想いをかけ修復しないと〔重症〕に陥り、
物にも心はある

しかし、「心の傷(こころのきず)」はそう簡単に修復はできない
何気なく発した言葉が、相手の「心を傷」つけてしまい
取り返しのつかないことになる。
「心の傷」が深いほど癒されないこともある。

「痛み」は
老いてくると、腰の痛み、膝の痛み、胸の痛みなど
「体の痛み」があちこちに出現する。
「体の痛み」は死ねば痛みは消失する。

「体の痛み」は〔体痛〕とは表現しないが
「心の痛み」は「心痛な思い」になり
相手の「心の痛み」を思い遣り、無言のまま手を握ったりすることもある。
「心の痛み」は、
自分の場合もあるだろうし、他者の場合もある。

「心の痛み」は「心の叫び(心の悲鳴)」のときすらある。
体の痛みとは違い
「心の痛み」は無形であるだけにわかりにくく
治癒するのは薬ではなく時間なのかもしれない。

「悼む」という言葉
よく「哀悼の意を表する」と使われ、それは「哀しみ悼む」という言葉になる。
愛する人、大切な人の「死」を「悼む」という言葉であり
白い煙となって青い空に消えっていったときの悲しさ、辛さ。
その人の名前を呼んでも、もうこの世に存在していない。
そう想うと寂しくせつない、喪失感をいつまでもひきずる。

老い逝き、老人が最期の呼吸(いき)をされるとき
言葉に遺したいことは何だろうか・・・・。
言葉は生命そのものであり
それは人間だけでなく
犬や猫、そして花にも生命の言葉をもっている。

「傷み」「痛み」「悼み」は、2017年11月のブログから再掲載(一部書き直し)