老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1381;生きたように「老い」、老いたように「死ぬ」

2020-01-31 07:50:24 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
生きたように「老い」、老いたように「死ぬ」

人間、生きたように「老い」
老いたように「死ぬ」
人間、生きたように「死ぬ」

その人の死に様(「死に様」という表現は”きつく”感じますね)は、
どんな生き様をしてきたのか、によって決まるのかもしれない。
死ぬとき、どんなことを想うのか
「後悔」なのか、「感謝」なのか
という言葉は過去のブログでも書いたけれど

自分がいま、死を迎えたとしたら「後悔」の言葉が浮かぶ
「後悔」から「感謝」の言葉に変えていくには
残された「老い」の時間のなかで
自分はどう老いを生きて往くのか

そう思いながらも
惰性に流されてしまいがちな脆弱な我が身

そう思いながらも
路傍に咲く野草や小さな生き物(昆虫)たちから
「生きる」ことの意味を教えられ
小さな幸せを感じれることの大切さ

今年にはいり
自宅でひとりの老女が亡くなり
今日の朝 末期癌と闘っていた同僚の母親が亡くなった
そしていま生死の間を揺れながら生きているひとりの老女

人にはそれぞれの人生があり、人生があった。

人間、生きたように「死ぬ」
今後も、考えていきたい言葉である