老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1349;東京オリンピック{1964(昭和39)年}のときに電気が点いた我家

2020-01-06 05:24:18 | 読む 聞く 見る
東京オリンピック{1964(昭和39)年}のときに電気が点いた我家

   (昭和30年後半頃、白黒テレビ)


 (東京オリンピックの直前まで
  石油ランプ生活をしていた)

昭和39年は、自分は小学6年生であった。
農村に住み、両親は朝早く起き、夜遅くまで田畑の仕事をしていた。
12月になると雪が積もり、翌年の4月まで路傍は残雪があった。
(積雪は2m50cmはあり、冬はスキーを履き義務教育の期間通った)

昭和39年9月末まで石油ランプ生活。
電気が点いたときは本当に明るく昼間のようで、本当に嬉しかった。
電気が点かない前に、農協はゼネラル製品の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を無理やり置いていった。

白黒テレビを観るのが本当に待ち遠しかった。

昭和39年当時
漫画でお馴染みのアニメ番組は

鉄腕アトム(明治製菓提供)
鉄人28号(グリコ提供)
狼少年ケン(森永提供)
ローハイド
ひょっこりひょうたん島
              
              であった。

いまはアニメ番組が少なくなり、バラエティ番組が増え、残念である
大人も子どもにも人気があったのは、プロレス番組で「芝居」とも知らず
手に汗を握りながら真剣に観ていた。

市川崑監督 映画『東京オリンピック』は
小学校のとき教室の壁を外し2教室で観たのも小学6年生のときであった。