老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

人を殺したことのある手で淹れたコーヒー❶

2020-08-02 08:14:30 | 読む 聞く 見る
1614 人を殺したことのある手で淹れたコーヒー ❶

アーケード商店街は、昭和の風景を感じさせる。


       東京下町のアーケード商店街(yahooより引用)

『珈琲屋の人々』(池永 陽、双葉文庫)に登場する珈琲屋も、アーケード商店街にある。
郊外の大型店舗に客足は移り、アーケード商店街の経営は苦しい状況にあっても頑張っている。
珈琲屋で語った7編の人間ドラマは、連作短編でツナガッテいる。

行介は、人を殺めた過去があり、殺人罪で懲役八年の刑を受けた。ひと
行介は父の代からの「珈琲屋」を一人で守っている。
商店街の人々が訪れ、珈琲を飲みに来ている。

行介は、ときどき客に「人を殺したことのある手で淹れた、コーヒーの味がそれだ」、と話す。
一瞬ドッキリするけれど、コーヒーは熱く美味しい。
行介の雰囲気から、過去に人を殺めたとは思えず、人柄の良さと人を包むこむような優しさを感じる。

7編の人間ドラマの1つである『すきま風』を紹介していきたい。
すきま風、という言葉から冬、窓のすきまから冷たい風が入りこみ、気持ちまでが寒くなってしまう、そんな風景をイメージする。
寂しいとき悲しいとき、心のすきま風は、人恋しくなる。
秋元英治(67歳)は、杉良太郎の『すきま風』の歌が十八番(おはこ)である



英治は64歳のとき仕事を辞めた。
妻の悦子(59歳のとき)は、脳梗塞に遭い左半身麻痺となり、夫の介護を受ける身となった。
妻は病後2年目に入ってから、生きる意欲を失くし何もかもを放棄した。
惚けが始まり、会話も成り立たなくなった。
トイレに行くこともなくおむつ交換になり、昼夜ベッドに伏せていた。

二年間、妻の介護に明け暮れた英治は、
「寝たきりになった人間の介護は想像を絶するものがあった」(『珈琲屋の人々』(155頁)、と感じながらも疲れていた。
「家の玄関を開けると、かすかに漂ってくるのは糞尿の臭いである。
臭いは奥に行くにつれて強くなり、妻の悦子の寝間にいたっては頂点
に達した。」(前掲書154頁)

「悦子ー」と呼び悔過手も、返事はなく眼は閉じたまま寝ている・
「肉が落ちた顔は小さく縮み、いたるところに深い皴が刻まれて、
何か動物の死骸が横たわっているようだった。糞尿の臭いは
死臭を連想させた」(前掲書156頁)

「俺はひっとしたら、駄目になるかもしれない。俺は・・・・」
「疲れてしまったんだ、俺は」
英治はそう呟きながら、
続けて妻に話しかける。
「こいつは、いつまで生きつづけるのだろう」
「もし、こいつが死ねば」

英治の両手がぴくりと動いて、徐々に上に移動した。体中が震えた。
そのとき、悦子の両目がかっと見開かれ、両目は潤んでいた。

{続く}



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