黒い雲からこぼれる陽光は幻なのか
1644 老師と少年 ❻ ~本当は何もない、幻なのだ(虚無なのだ‼)~
第五夜 / 第九夜
第四夜同様,第五夜の話も、自分にとり「わかる」ような、「わからない」ような感じにある。
第五夜で『老師と少年』の話は、前半部分を終える。
少年は神殿に行き、聖者の教えを
信じることができなかった。
人はなぜ死ぬのか、自分は何者か
そのことを理解したかった。
理解できないことは信じればいいのか。
信じることと理解することは違うのか。
少年と同じ悩みを抱えた別の少年が
少年に言葉をかけた。
別の少年は森の奥、川上の上流にある岩山の陰にあ洞窟に住む隠者の処へ
少年を連れて行った。
灰色の髪が背中まで流れる老人が座っていた。
老人は浅黒く痩せこけ、幾重にも皴に囲まれた眼は
何かを照らすがごとく強く見開かれていた。
隠者は少年に語りかけた。
「お前は神殿の聖者にたずねただろう。人はなぜ死ぬのか。私とは何か」
「その答えはない! 人は理由も意味なく生まれ、死ぬ。私とは何か・・・・・、
何ものでもない! その問いの答えは、すべて錯覚だ。・・・・・(中略)・・・・・。本当は何もない。
・・・・・(中略)・・・・・。何もかもが虚無」なのだ(72頁)
しかし、少年は隠者から「虚無だ!」、と話されても、その虚無が苦しかった。
少年は更に苦しみ隠者にたずねた。
「隠者よ。すでに私は生き、世界はここにあります。すべて虚無ならば、
私はこの世界で、どうしたらよいのですか。すべて無意味なら、死んでしまえば
よいのですか」(73頁)
隠者は「自ら死ぬ意味もない」と憐れむように少年に話す。
老師は涙ぐむ少年の肩に手を触れた。
「虚無とは(神)の別の名で、虚無を悟りすべてを捨てるとは、
神を信じて従うことと変わらぬのではないか」(73頁)
老師は少年にやさしい眼差しで語りかける。
「問うべきことは問うのだ」
「理解できないことが許せないとき、人は信じる。
信じていることを忘れたとき、人は理解する」(75頁)
パスカルの有名な言葉を思い出した。
「人間は考える葦である」
人間はそこらに生えている葦のように弱い存在であるけれども
人間には「考える」ことが出来る分だけ葦よりも強い。
少年は、パスカルのように問いつづけ悩み、考え、苦しむ。
「人は理由も意味なく生まれ、死ぬ。私は何ものでもない。」、と
言われたら、生きる意味を失い、自分という存在が否定されることほど、苦しいものはない。
「生死」と「存在」は、無関係ではなく、深いかかわりあいを持っている。
それは第六夜、第七夜の話にツナガッテいく。