老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

またひとつ老いを重ね六十八の物語はじま

2020-08-17 11:29:39 | 阿呆者
私が生まれて育ったところ 蝦夷富士(羊蹄山)が見えた 幼い頃は「富士山」だと思っていた


1632 またひとつ老いを重ね六十八の物語はじまる

老い齢を重ね「誕生日」を迎えることは
嬉しいのか寂しいのか複雑な気持ち

お盆が過ぎ 
路端に秋桜が咲き
夜になると鈴虫の聲が聞こえる

「余命一年」を告げられた心境になり
有限の一年のなかで 何を為すのか

新たに何人の老人と出会い
また何人の老人と死別(わかれ)るのか
自分の老いと重ね合わせ 
老人の呟きを拾っていきたい

いままず、自分の「足」で歩けるよう
体力を少しでもつけていくことだ
病気にも負けず
コロナウィルスにも負けず
気弱にならず
向日葵の如く生きたい

「忙しい」という言葉を吐くのではなく
休日は足を延ばし「小さな旅」に出るとしよう
コメント (8)
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