老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

『老師と少年』➓ ときどき「ふと」思うこと

2020-08-31 07:51:07 | 老いびとの聲
熟した柿の如く人生を終えたいものだ


1653 『老師と少年』➓ ときどき「ふと」思うこと

『老師と少年』を読み終え
ラストの言葉 「生きる意味より死なない工夫」に思わず唸ってしまった。
多疾患を抱えている吾身だけに
病があっても「元気」と「健康」に過ごしていく
いまどう生きていくか


人間というのは悪い癖があり
(それは自分だけのことかもしれない・・・・)
物事を自分中心に考えてしまいがち

いま、自分は生きていて
眼に映るもの 
耳に聴こえるもの
肌に触れ感じるもの
舌で味を感じるもの
鼻で匂いを感じるもの

自分が
いま ここに 在るから
こうして生きている

自分は 他人と入れかわることはできない
また他人の心に入り込むこともできない

あくまで自分は自分であり
他人は他人である
自分は生きているから他人の存在を意識する
自分が死んだらもう他人のことを意識することはない

だから自分が死んだら「もうお終い」なのだ
死んだら思考することも感じることも「無く」なる
死は眠っている状態と同じなのか
そうならば生きているときの苦悩や痛みは消滅し
病からも解放される

死んだ後の自分はどうなっているのだろうか
自分という「存在」を意識することができるのだろうか
輪廻転生(りんねてんしょう)があり
またヒトに生まれ変わることができるのか
そうだとしたら海が見える家に生まれたい