老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

映画 あゝ ひめゆりの塔

2020-08-14 15:42:30 | 阿呆者
1628 75年前の終戦前夜


森の上のホテル / 陸奥は穂が出ている田圃と穂が出ていない田圃がある


今日は盆中だったが
いきつけの病院 整形外科は診察をしていた。
受診し右膝の水を50cc抜いた。左膝はヒアルロン酸注射を一発一本打った。



1968年に上映されたモノクロ映画、『あゝひめゆりの塔』を観た(BS3)。
臨時看護婦部隊として従軍し、
全員が戦死してしまった“ひめゆり部隊”と呼ばれる
沖縄師範の女子生徒たちの悲劇の運命を描いた反戦ドラマ。

自分は終戦から7年後に北海道の農村に生まれた。
勿論戦争の体験はなく、祖父母や父母から戦争の話を聞いたこともなかった。
父親の兄が戦死し、軍服を着た叔父の遺影が飾られてあったのを覚えている。

ヒロシマ、ナガサキの原爆投下、東京大空襲を始め各地地方都市の空襲、沖縄戦等々
戦争は悲惨であり、罪のない子どもや女性、老人までが殺戮され、心傷み(心悼み)
戦争は繰り返してはならない、と。

泥水の中の逃亡で、沖縄本島南部へ移動するも米軍機の機銃掃射に襲われる。
歩けなくなった生徒、先生、兵士は置き去りにされ、青酸カリの入った牛乳を飲み自決する。
日本軍の上層部は、足手まといになる兵士や国民は「救済(生かす)」の思想はなく
「放置(置き去り)」「殺す」ことしかなかった。

戦争は人間のエゴを丸裸に映し出す。
と同時に戦争のなかにあっても人間同士励まし合い助け合いながら生きていく。

『あゝひめゆりの塔』の最後は、生き残った女子生徒はいなく自決のシーンで終えたのは寂しかった。
女子師範の校長の最後の言葉は、「自決することが勇気ではない。生きて生きのびて欲しい」。


今日、しぶとく人生を生きてきた老人は戦火を潜り抜け 終戦の日を迎えた。
老人から戦中や終戦当時の話を聞くことはあまりないし、また聞こうともしない。

今日、こうして日本が「豊か」な社会にあり、平和であるのも
老人たちが、戦後、家族のため社会のため 昼夜働きに働き、日本経済を復興させてきたからである。

コロナウィルス感染が広まり世界中、大変な事態になっているけれど
それはワクチンの開発(発見)を待つしかない。

隣国北朝鮮の核ミサイル発射は、この上ない生命の危険性にさらされているにもかかわらず
国会議員の危機意識はまったく希薄である。

コロナウイルス感染が連日増え続けているにもかかわらず
臨時国会を開こうともしない。

核ミサイルもコロナウイルス感染も根っこは同じ
「生命を守る」、という意志と行動力の国会議員は何人いるのであろうか

終戦記念日前夜、『あゝひめゆりの塔』を観て、「戦争(核ミサイル)と平和」に思った。