老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

探しものは見つかりました

2020-08-30 19:22:13 | 阿呆者


1652 探しものは見つかりました

昨日のブログで
「神(紙)」隠しにあった『竜の道』下巻 の文庫本
探し回ったが見つからなかった

井上陽水『夢の中へ』の詩のなかで
「探すのをやめたとき 見つかる事も よくある話で」

諦め、探すのをやめ
今日の朝 10時過ぎ
朝寝をしようと、何気なくかけ布団をめくったら
布団のなかから探しものが出てきた

うわ~ こんなところに探しものが隠れていたなんて
予想も考えもしなかった

職場の机に忘れてきた、という
思い込み 思い違い
怖ろしい

物がなくなったときは
思い込みに気をつけ注意しなくては

憂いが一つ減った

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老師と少年 ➒ ~生きる意味より死なない工夫~

2020-08-30 06:45:58 | 老人と子ども

  夕暮れどきから暗闇前の阿武隈川 空はなぜか”明るい”

1651 老師と少年 ➒ ~生きる意味より死なない工夫~

後夜 

老師はまた旅に出て、庵にはいなかった。

「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだと
彼はどこかで感じたのだ」
(112頁)

やっていく方法は自分で見つけるしかない(112頁)

「生きる意味より死なない工夫だ」(112頁)

最後、少年に残したこれらの言葉は、”自分で考えて、自分自身が決めることだ”。
若い頃は世の中の矛盾のせいにし、齢を重ねるにつれ流され生きてきた自分。
結果や答えを求めてしまいがちであり、答えが出ない、とそこで諦めてしまう。
「答えがわからなくてもやっていける」ような自分の器を作っていけるかどうか。

老いに入ると 老親や友人の死に遭遇し 大切な人がいなくなり 「死」を考えざるを得なくなる。 
その自分も死ぬ。
自分は 今本当に生きている、といえるのか。

それでも「人は自ら死ぬべきではない」
「生きることが死ぬことよりはるかに辛いことだとわかっていても、
自ら死ぬべきではなない」
(19頁~20頁)
人は、死ではなく生きていくことを選んでいく。


※ 九話にわたり『老師と少年』の話に
お付き合いいただきありがとうございました。





コメント (2)
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