老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

暑い? 涼しい?

2020-08-21 20:40:02 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

暑い夏の夕暮れ雲


1638 暑い? 涼しい?

こうも暑い日が続くと
ベッドに伏している老人も
在宅介護者も
気怠さと疲れだけが溜まり大変な日々の連続。

民家を利用した小規模デイサービスの入浴介助も大変。
民家の浴室には冷房設備はないところがほとんでである。
汗がだらだらと顔や体を流れてゆく
コロナウイルス感染防止対策では「密接」「密着」を禁じているが
入浴介助は、密着そのものであり、「ノーマスク」である。
サービスをお願いするケアマネジャーとして、「感謝」の気持ちでいっぱいである。


在宅訪問をしたら
63歳の澤松七花さんは「この扇風機涼しくないの?」、と言われ
扇風機を止め、よく見たら扇風機の羽が逆向きになっていた。
カバーを外し羽の向きを変えたら、風が飛び出し、七花さんは驚きの声、「風が吹いた」。

94歳の間舟婆さんは、扇風機の風をあたりながらダウンジャケットを着ていた。
米寿になった緑谷婆さんは、下着の上に毛糸のベスト来ていた。





老師と少年 ❸ ~自分は誰ですか(自分は何者か)~

2020-08-21 07:56:02 | 老人と子ども

縁石の淵という悪い環境であっても、無言に咲く秋桜

1637 老師と少年 ❸ ~自分は誰ですか(自分は何者か)~

【 第 二 夜 】

少年は老師に尋ねる
「ぼくは誰ですか」
「ぼくはぼくなのに、ぼくではないのです!」
(『老師と少年』28頁)

この問いはくだらないが、「だが、人は身を切るようにせつなくそれを思う」と老師は話しかける。(前掲書28頁)

画家ポール・ゴーギャンも同じようなことを問うている。
「我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか」

夜中、認知症老人は、洗面所の鏡に映った自分の顔をみて
大きな声で叫ぶ「お前は誰だ!」

認知症老人から「お前は誰だ~」と聞かれたとき、ハッとし返答(言葉)に詰まるときがある。

自分は誰か? 自分は何者か?
この世でわからないのは、意外と自分のことかもしれない
「本当」の自分と「嘘」の自分があり
どれが『本当の自分』であるのか

老師が語る、はっきりしていることは
こうしていま私(老師)と君(少年)と話をしている、その事実であり、
いま、こうして「君」が存在していることだけで十分なのだ

更に老師は続けて話す。
「今ここにあるものが、どのようにあるのか、どのようにあるべきなのかを問え」(前掲書35頁)

「過去」は過ぎ去り、「未来」は未だ無い、在るのは「今」だけであり
「今」に生きている自分
それをわかりやすく教えてくれたのは認知症老人
たとえ数分後には忘れても、今(瞬間の連続)に生きている認知症老人の後ろ姿に
教えられることが多い。



自分はいったい何者か
ときどきムンクのように叫びたくなるときがある