老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1366;禁断の食事

2020-01-19 17:49:37 | 阿呆者
白河ラーメン 秀佳亭

禁断の食事

自分は慢性腎不全症と大動脈弁閉鎖不全症、血栓を患い
塩分の摂り過ぎに注意をせねばならない体

ラーメン大好きの自分

塩分がいっぱい入っているラーメンは「禁断の食事」
食べたいのを我慢していると”ストレスが溜まり良くない””、と勝手な解釈で
wifeの誘いに負け
ラーメンを食べに出かけた。

至福の味だった
でもラーメンスープは3口で我慢した

秀佳亭を出た後
wifeは新幹線が停車する新白河駅前にある
「TEA ROOM 高山であんみつを食べたい」、
とwifeはハンドルを握りながら話しかけてきた。
「いまラーメン食べたばかりで( ^ω^)・・・」と聞き返すと
「別腹だから、あんみつ食べられるよ」


wifeが注文したフルーツあんみつ

wifeが食べるのをただ見ている訳にもいかず
自分はフルーツパフェにした。。



フルーツパフェの中にも禁断の果実 ”グレープフルーツ”があった。
高血圧症と免疫抑制剤を服用しているためグレープフルーツは摂ってはならない果実。
しかし、服用は8時20時の2回
腕時計を見たら14時過ぎだったので、時間間隔はあいているから「大丈夫」という自己判断により
グレープフルーツに手をつけた。
口の中で果実の甘さが無限に拡がった。。

wifeは「食べているときが幸せ」、と顔の頬が緩んでいた。
自分は「wifeが幸せ、と感じていたら、それで幸せ」、と小さな声で呟いた。
禁断な食べ物ほど美味しいものはない。
至福の一時であった。
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1365;親子の悩み

2020-01-19 06:53:46 | 老いびとの聲
親子の悩み

過去は 子は親に従い
現在は 老親は子に従う

そうは言われても

過去は 親の心 子知らず
現在は 子の心 老親知らず

「生命「(いのち)に終わりはある」、とわかっていても
いつ介護は終わりになるのか
悩む子の心
老親も悩む瞬間がある

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1364;ぬくもり

2020-01-18 15:58:31 | 老いびとの聲

円くなり眠るbeagle元気 お腹に手を入れるとぬくもりが伝わる


ぬくもり

今日も家の外は「さぶい(寒い)」
やはり冬は温泉に浸かると躰の芯から”ぬくもり”極楽往生の気分
家族皆でテーブルを囲み味わう鍋料理の”ぬくもり”は至福のとき
独り鍋は寂しい

寂寥(さびしい)とき、悲哀(かなしい)とき
手から伝わるあなたの”ぬくもり”がこころに届く

昔、母の背中におんぶされた”ぬくもり”
子どもの”ぬくもり”を通し懐かしむ

老母が息を引き取ったときの”ぬくもり”
忘れられない、人間(ひと)の”ぬくもり”
老母の”ぬくもり”から母の人生があったことを知る

beagle元気の”ぬくもり”からも癒される
樹の”ぬくもり”はやさしさを包む




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1363;無  知

2020-01-18 08:23:46 | 老いびとの聲

無  知

無知なものほど怖いものはない
知ったかぶりの無知ほど恐ろしいものはない

知らないより知っていたほうがいいかもしれないが
生活の知恵を大切にしていきたい

目が覚めたとき 暗闇のなかにあった
耳を塞がれ 目を塞がれ
暗闇に置かれた無知ほど悲しいものはない



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1362;歌を忘れたカナリア

2020-01-17 12:59:23 | 老いびとの聲
歌を忘れたカナリア {2}

歌を忘れたカナリア

言葉を忘れたひとり暮らし老人
 テレビを観ても画面が流れゆくだけ
 息子は、「声を出しながら新聞を読むとよい」
 新聞の文字は小さく読みずらいし、つまらない

 ケアマネジャーは、図書館で絵本を借りて、読むといいかも 
 文字は大きいし、一冊を読み切るので負担にならない
 声を出さないと言葉を忘れてしまう

 仏壇に向かい 亡き夫に話しかける老妻
 亡くなっても妻に話しかけらる夫は幸せ者 

居酒屋で仲間と飲み
 いざ支払いになると「お手洗いに行ってくる」、と言って
 その場を離れ 支払いを忘れたふりをするケチな男がいた

躓きの過去を忘れたいと思うも
 浮草の如し嫌な過去は水面に浮かび思い出す
 
忘れたことを忘れた老人
 忘れることは増えても感情まではなくしてはいない


  
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1361;その手を使う

2020-01-17 04:43:06 | 介護の深淵
春を待つ南湖桜

その手を使う

手を使うことで、ヒトは人になった

哺乳類動物のなかで
人間が秀でた理由(わけ)は、
直立歩行をしたことによる。

直立歩行したことで、両手が自由に使うことができ
ものを作りだしてきた。

ひ弱な人間は、
石と棒(木)を拾い、それを紐で縛り
金槌や槍のような物を作り
最初はそのような物を使い狩猟をしてきた。

弓を作ったことで槍の威力は更に増してきた。
また獣を肉を貯蔵保存する一つとして土器も作ってきた。

人間は手を使ってきたことで
脳細胞(頭)の働きもよくなり、賢くなってきた。


麻痺した手の指を動かしてみる

脳卒中により手足が不自由になり
手が思うように動かなくなってきたとき
人は家族や介護者に依存的になってしまいがちになる。

退院のとき左手の指は、グチョキパーの「グ」の状態にあった。
右手の指を使い、左手の指を伸ばしたりして拘縮しないよう自分で指のリハビリができる。
麻痺した指を屈伸することは痛みを伴う。
本人が「痛がる」と、家族、介護者は可哀そうになり、麻痺側の指の運動はやめてしまう。


使いないものはますます退化し縮む

麻痺側の左手の指は、拘縮が増し指は握りしめた状態になる。
使わない手は物に触れないから「きれいな手」だと思ってしまう。
手は使わなくても、拘縮した手指の内側は汗や空気により湿気を伴い汚れている。
そのままにしておくと手指の内側は赤くミミズ腫れとなり、嗅ぐと嫌な臭いがする。
ますます痛くなり、手指を洗うことさえも抵抗し嫌がる。

だからこそ麻痺した手指の何気ない運動(リハビリ)が大切になってくる。

麻痺した手指は細かい動作ができなくても、
麻痺した手指を使い食器を動かないよう抑えることができるようになると
食器は動かなくなり右の手指は、楽に食事をすることができる。

物が動かないように左手指で押さえることができる、と
自分で「できる」ことも増えてくる。

麻痺した手指でも訓練してみる
「その手を使ってみる」


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1360 ; 無限の世界

2020-01-16 08:28:16 | 阿呆者
東北自動車道から 自治医大附属病院外来受診に向かう途中

無限の世界

時間の流れは速いもので
1月16日を迎えた
2020年、24分の1の時を刻まれた。

過ぎた時間は
後悔となるか思い出となるかは、わからない
人間にとり時間は有限であり無情さえ感ずる

時間そのものは無限であり果てしない
時間は空間とも一体であり宇宙を意味する
宇宙は無限

時空間のなかに生きる人間も
また無限の可能性を秘めた存在

宇宙は外なる世界
人間のなかに小宇宙が存在する
小宇宙とは、思索のことである。
思索は内なる世界であり
思索は時空の旅であり無限の世界

潮騒が聴こえる部屋で本を読む
知らない町を彷徨するのもよい
思索に耽る時間(とき)を持ちたいものだ

wifeが運転する後部座席で
他愛もないことを思い巡らしていた

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1359;「食べる」と「生きる」

2020-01-15 04:49:21 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
冬の厳しさの向こうに 春の訪れを知らせる陸奥梅花(写真と本文は直接関係ありません)

「食べる」と「生きる」

「食べる」ために「生きる」
それとも
「生きる」ために「食べる」
それはその人の置かれた状況によって変わる。

噛み飲み込む力はあるのに「食べれない」
病院を退院し、あとは「食べる」ことさえすれば快復できるのに
「食べれない」と思い込み「生きる」意欲まで喪失していく老女

癌が発病するまでは
ご飯(米)が好きで大きな茶碗で食べていた婆さん
青森に生まれ白米がご馳走だった時代に育った
癌が躰のあちこちに転移し痛みは躰のなかを走り周り「余命3月」と告げられた
「食べたい」「生きたい」、という思いが溢れるほどあっても
喉は水を通してくれることさえも容易ではない

彼女にとりいま「生きる」ことは日を重ねるごとに
襲ってくる痛苦に耐え
病床で故郷(長年住んだ家)を想い巡らす

食べたくても「食べれない」老女の聲無き叫び
その叫びは もうひとり老女に届いて欲しい、と願うのだが
「私はもう食べれない」と思い込んでいる老女
いま、彼女に必要な栄養は、”生きて欲しい”、と願う家族(息子夫婦)の想い(=愛情)かもしれない

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1358;サングラスをかけ読書、PC入力

2020-01-14 06:41:49 | 阿呆者
サングラスをかけ読書、PC入力

いやはや不自由、不便この上ない
両眼、白内障と診断され
まだ紹介先眼科に受診できていない。

というのも、先週の木曜日 感染症科医に
白内障の手術をしてよろしいか否か
聞くことを忘れてしまった。
聞かなければ、と思いながら聞きそびれてしまった。
認知症の一歩手前なのであろうか

今週の木曜日、また感染症科受診するので
そのときは、忘れないようにしなければ、と・・・・

白内障になると不自由であり
文庫本、新書版を手に読もうとすると
晴れたときや照明が点くと
活字が薄く見え、真ん中の文字は消えてない

陽が射さない薄暗い部屋、またはサングラスをかけて
なんとか本を読める
PCも画面が明るく白いと
カーソルがどこにあるか所在不明

抗酸菌の治療との絡みがあり
白内障の手術が
いまできるかどうか
いま自分にとり「悩み」の種

幸い車の運転には支障はないが
逆光のときは戸惑い速度は40キロ程度で走行する


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1357;「見上げてごらん夜の星を」と 星光輝

2020-01-13 04:57:31 | 歌は世につれ・・・・
「見上げてごらん夜の星を」と 星光輝


1960年のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」主題テーマで、
坂本九さんが歌っていました。
残念ながら、日航ジャンボ123便の事故(85年8月12日)で帰らぬ人となり
星となってしまいました(生きていれば75歳です)。

『見上げてごらん夜の星を』のなかで
見上げてごらん夜の星を
ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる
の一節があります。

”人間、死んだら天国(或いは地獄)へ逝く”、と言われます。
天国と地獄の世界は、子ども心に親などから聞かされたことはありますが
実際の話を聞いたわけではないので想像がつきません。

”人間、死んだら星となり、夜空に輝くんだよ” の方が
わかりやすいのではないか、と思っています。

農村・山村・漁村や大都会の片隅に住む老人たちは
名も知られない星のように、ひっそりと、そして、しぶとく生き続け
日本経済を 地域社会を 家族を 築きあげてきた。

健康な老人、病弱な老人、死期が迫っている老人
どの老人たちも私たちも いつ死ぬかわかりません。
今日、身近にいた人が、いまは存在せず、星となってしまった。

あなたがもうこの世にいなくなり
悲しく 寂しく 辛いとき
夜空に輝く名もない小さな星となったあなたを見上げる
小さな星は光り輝き ”ささやかな幸せを祈っている”。

”星光輝” は私のハンドルネームでもあり、
”星は光り輝く”ということから 自分が星のように光り輝いているかどうか
まだ光を放さない星かもしれません。

星光輝の「星」は自分ではなく、老人を意味しています。
介護は「出会い」と「死別」の二つがあり、
最後は死顔に合掌しご冥福を祈ります。
心のなかで小さな星となったんだね、と呟く。

見上げてごらん夜の星を
澄みきった冬の夜空に
星となったあなた(老人)が輝いています
その隣に自分のおとう、おかあの星も輝いています

輝く星を見上げながら
いま懸命に生きておられる人たちへの
ささやかな幸せを祈っていく











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1356;万華鏡・家族模様・介護 {2}

2020-01-12 04:38:00 | 老いの光影
万華鏡・家族模様・介護 {2}

                阿武隈川の辺 朝焼けのなかを散歩

「お袋の味」「家庭の味」は、その家族の味文化になり、
お袋の味を懐かしく思い出すことがある。
料理の上手下手は別にして(下手より上手のほうがいいけれども)、
大切なことは、大人になったとき母の料理を思い出し、
それが母からの愛情表現の一つであったことを知る。

93歳になるある婆さん(要介護2)は、心臓と肺に水が溜まり急性心不全の診断により約1月ほど入院した。
病院は病気を治す処
急性心不全は治癒したけれども
退院のとき歩けなくなり、また紙おむつになり尿失禁、洋式便器で用を足すことができなくなった。
家族にとり、家に戻ってからの介護が大変になるのは明らかであった。
(退院時に要介護認定区分変更の申請を行った)

以前にも書いたが自分が住む街には2つの病院がある。
どちらも入院したら疾病に関係なく「全粥」になる。
全粥にすることで、噛む力、飲み込む力、口・歯・歯茎・顎の力・頬や喉の筋力などが低下。
全粥は噛まずとも流し込むだけだから、噛まないことにより脳細胞に対する刺激も希薄してしまう。

人間、口から食べることで元気になる
塩分など「制限」された食事を守ることも大切だが(否定ではない)
先ずは栄養があろうがなかろうが、本人にとり「好きな物」を口から食べることで、生き返るのである。
元気になるまで全粥を摂取しても「元気」にならず、退院までお粥が続く。

介護状態は要介護4にまでレベルが下がったのではないか、と思うほどであった。
同じ屋根の下に、彼女と長男夫婦が住んでいる。
彼女(姑)と長男嫁との関係は最悪で、退院時長男は病院の看護師、管理栄養士などに
「妻は一切老母の介護はしない、と言っているし、私も介護をさせる考えはない」
と、声高に話されていた。

姑と長男嫁は同じ屋根の下に住んできたけれども、二人の溝は埋まるどころか、柵のまま来た。
いまも同じテーブルで向かい合いながら食事をすることはなく、隠居部屋で食事を摂っている。

長男がスーパーで買って来てくれた生卵、納豆、冷凍食品が冷蔵庫にあるだけで
果物や老母が好きな食べ物は入ってはいなかった。

長男は一緒に暮らしていても 老母の本当の姿は把握していなかった。

同じ屋根の下に住んでいても、老親の介護をしていない人ほど
デイサービスや訪問介護の事業所に「クレーム」や一方的な「要望」が多い(長男もその一人)。
家族のことをこんなふうに見ている自分はケアマネジャー失格なのかもしれない。

老親の介護を一生懸命なさっている家族は、「介護の苦労」を骨身に滲みるほどわっかっていらっしゃるので、
デイサービスやヘルパーが、チョットした失敗やあやまちに対し、
責めることなく笑いながら「そんなこと気にしないで」と許してくれる。

退院して2日後、老母は水分も食事もほとんど摂らずじまい。
利尿剤を服用しているのに尿もチビチビ状態。
近くにあるかかりつけの内科医院の主治医に電話をかけ、
夕方長男が付き添っていきますので「診察をよろしくお願いします」、と電話で依頼。
その後すぐに長男の職場に電話を入れ、老母の通院をお願いした。

家に帰り、老母の前にだされた食事は
「梅入り全粥」、カップ麺の「うどん」であった。
本人が「武田鉄矢のどんべえ」食べたい、と言ったので出したら
一口食べただけで「食べたくない」と返された。
食べないときは「インシュアリキット」を飲ませてたいた。

老母は、刺身や卵かけご飯、納豆、ラーメンなどである
お粥に卵とじしたもの、まぐろたたき、豆腐(卵豆腐)、ヨーグルトなどなど
口から食べれる物はあるのに、そこまで思いが浮かばない長男。


病院で年を越し正月を迎えた彼女。
長男の面会は櫛の歯が欠けたような状態であっても
長男夫婦が住む家に帰りたい、と漏らしていた彼女。
退院した日に老母に「何か食べたい物がないか」、と長男は尋ねることもなかった。

いま、幸せかどうかは、彼女しかわからない。




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1355;犬は三日の恩を三年忘れず、猫は三年の恩を三日で忘れる

2020-01-11 16:17:56 | 阿呆者
beagle元気の写真しかない、猫「トム」はいま「ジェリー」に追いかけられて不在のため掲載できず

犬は三日の恩を三年忘れず、猫は三年の恩を三日で忘れる

今回のタイトルの見出しは「猫派」から逆襲を受けてしまう
自分は犬猫両方好きで、農家で育った子どもの頃は
我が家はミニ動物園であった。

「あお」という名の馬;春と秋の季節は朝から晩まで働いていた「あお」
山羊        ;牛乳が買えなかったので山羊の乳で育った自分
綿羊        ;白い毛は泥んこで薄黒かった。バリカンで刈られた毛は温かった

鶏         ;20羽もいたろうか。日中は放し飼い、夜はゲージのなかでお休み。
           卵は1個10円、卵だけはいまも価格が変わらない。
ひよこ       ;ひよこはかわいいのだが、弱いひよこがいると、
           ほかのひよこがよってたかって尻などをつつく、といったイジメがあった。
           人間よりも「イジメ」は早かった。

犬(スピッツと茶色の雑種);スピッツはよく吠えバイクで配達に来た郵便屋さんを追いかけていた。
猫(ニ毛猫、三毛猫);どちらも寒雀の捕獲が上手であった。三毛猫は朝起きたら枕で寝ていて、自分の頭は枕から滑り落ちていた
           二毛猫は布団のなかにもぐり足元で寝ていた。ときどき足がぶつかり齧られたこともあった

鼠         ;猫がいたおかげで鼠はいなくなり、鼠たちは東京ディズニーランドへ出稼ぎに行った

という訳で自分は犬と猫と暮らし、犬は外で飼われ、猫は家のなかで暮らしていた

猫は「三年の恩を三日で忘れる」と、犬と比べるとつれない生き物と表現されてしまうが、
猫は、学習能力が高く「良いこと」「嫌なこと」はよく覚えている。
自分のことを大切にしてくれた人のことは何年経っても覚えている猫もいる。
人の恩を忘れるのは案外「人間」かもしれない。

犬は三日の恩を三年忘れず、猫は三年の恩を三日で忘れる を
犬も猫も人の恩を忘れず生きている に変えていきたい


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1354;万華鏡・家族模様・介護

2020-01-11 10:24:02 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
万華鏡・家族模様・介護 {1}



いま、自分の手元には万華鏡は無い
万華鏡を覗き見ると 幻想的な美しさに癒される。

万華鏡の映りめく模様は
二度と同じ模様に出会うことはない


同じ屋根の下に住む家族模様も
また同じ模様の家族に出会うことはない。

万華鏡が映し出す模様は、個の積み重ねから成り立っている。
家族模様も様々あり、在宅介護のなかに光影をもたらしている。

長寿の時代に入り
一つ屋根の下に老親と老いに入った息子、娘が住む。
「子どもは親の面倒をみるのは当たり前」、と思う老親は多い。
それは我が子を育ててきた、という自負があるからか・・・・。

しかし、軒を連ね並ぶ屋根の下の家族模様はそれぞれに違う。

親は子どもをどう育ててきたか
親の後ろ姿から子どもたちは親の愛情をどう感じとったか
また、二人が出会い結婚し、夫婦の絆(関係)をどうつくってきたか
老いる前の夫婦や家族の人間関係、また過去の生活を通した柵(しがらみ)があり、
その柵を許せるか、許せないか、によって
家族介護は、万華鏡のように個の問題として映しだされる。

介護においても「お金」は、無いより有った方がいい。
十分な介護を受けるには「お金」は必要であるのだが、

お金に余裕が無い老母(96歳、要介護2)と息子(69歳)は同じ屋根の下に住み
母親は国民年金なので年金受給額は少ない
長男は軽ワゴン車で運送をしながら農業をし、その他に5時前には起き宅急便の荷物仕分をしている。

息子が働いている間は、老母はベッドで寝起きしベッド脇のポータブルトイレで用を足している。
炬燵卓上に息子が用意した朝食、昼食を摂ろうと
老母はベッドから降り歩行器につかまり炬燵まで歩いていく。

月に1、2回、隣市に住む娘が訪れ、買い物、掃除、洗濯を行っている。
利用している介護サービスは福祉用具貸与(介護用ベッドと歩行器)と
福祉用具購入で利用したポータブルトイレのみ。

本当はデイサービスを利用したいが
月1回の通院費が嵩む。

老母が入院したときは、
息子は運送業やの農業を終えたあと、病院の夕食が出るころから20時頃まで
ベッドの傍で老母と会話をしている

病室を訪問したとき息子に出くわしたこともあった。
「入院すると惚けてしまうので、惚けたまま退院しては大変になるから
こうして毎日来て話をしていれば違うかな、と思い来ている」

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1353;SnoopyとWoodstock

2020-01-10 22:48:58 | 阿呆者

SnoopyとWoodstock

月に1回 若い女性(ネイリスト)が訪れ
wifeは、自分へのご褒美として
爪にネイルアートをしている

それに便乗し、2ヵ月ぶりに
2回目のネイルアート

beagle元気のbeagleをモデルにしてSnoopyが生まれた
学生の頃、黄色の小鳥 Woodstock(ウッドストック)は
犬の蚤(ノミ)と思い込んでいた(苦笑)
そしたら、小鳥だということに気がついたのは何時だったか覚えていない

ネイリストも「Woodstockが蚤(ノミ)」と聞いて笑っていた
今回は幸せを運ぶ「黄色の小鳥」が三羽、爪のなかで翔んでいる

※明日は在宅介護の話題について記していきたい、と思っています
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1352; 足跡

2020-01-09 18:15:59 | 老いびとの聲
足跡

南陸奥(みなみみちのく)の中通り(国道4号線)の地域は
根雪ではないが、時々降り積もる。

上の画像にある足跡は
我家の長男の足跡
縁石に降り積もった雪の上を
歩いたときにできた足跡

まだ夜明け前に
beagle元気とwife
家族揃って雪路を散歩

16日間入院した結果
脚の筋力低下が思った以上にあり
wifeは、元気と自分だけで歩くのは心配ということで
退院後はwifeも「連れて」行くことになった

元気はルンルン気分
散歩にwifeと自分がいるからだ
元気は縁石の上を歩くのを得意としている
自分も試しに縁石を歩いたがフラツキ思うように歩けなかった

二本足歩行は、老いに入り齢を重ねてゆくと不安定になり
杖を頼りとし三本足歩行となる
脚の筋力が回復するまで
階段を昇るときは杖があると楽である
SNOOPYの絵柄が入った白杖を使用

元気は雪路の上に足跡を残した
自分は仕事や生活のなかで
これといった足跡を残していない

人生における足跡とは何か



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