岩手に行く前にこれを読んでいた。
タイトルに取られているのは
ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」という詩の一節であると、
書名と同じ名前をもつ第二章で紹介されている。
その詩に続けて、
古歌「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」が引かれている。
あの年の春にも桜はいつもと同じように美しく咲き、
今年もまた同じように咲くのだろう。
春というのはやはり象徴的だ。
芽吹く季節。色彩が変わる季節。
季節がまた巡ってきたことを感じさせる。
だから、不在もまた感じられるのだろう。
あれから、この季節が巡ってくるたびに
誰もが思い出すことになる。
自然というもの、
ときに猛威を振るい、人の心など関係なく過ぎてゆくものを
日本人が古来どのように捉えてきたか、
それは現代においても実はさほど変わっていない、
そのことが、どのように社会に影響を与えてきたか、というあたりで、
良くも悪くも、私は、私たちは、日本人なのだと思った。
だから、桜は何よりもその象徴に見えてくる。
ずいぶん前に、桜をモチーフにした唄を書いた。
今度書くときにはきっと、あの古歌を思い出すだろう。
春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと | |
池澤夏樹 | |
中央公論新社 |
タイトルに取られているのは
ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」という詩の一節であると、
書名と同じ名前をもつ第二章で紹介されている。
その詩に続けて、
古歌「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」が引かれている。
あの年の春にも桜はいつもと同じように美しく咲き、
今年もまた同じように咲くのだろう。
春というのはやはり象徴的だ。
芽吹く季節。色彩が変わる季節。
季節がまた巡ってきたことを感じさせる。
だから、不在もまた感じられるのだろう。
あれから、この季節が巡ってくるたびに
誰もが思い出すことになる。
自然というもの、
ときに猛威を振るい、人の心など関係なく過ぎてゆくものを
日本人が古来どのように捉えてきたか、
それは現代においても実はさほど変わっていない、
そのことが、どのように社会に影響を与えてきたか、というあたりで、
良くも悪くも、私は、私たちは、日本人なのだと思った。
だから、桜は何よりもその象徴に見えてくる。
ずいぶん前に、桜をモチーフにした唄を書いた。
今度書くときにはきっと、あの古歌を思い出すだろう。