常日頃から考えていることだけど、
コンサートでも舞台でも何でも
一回きり、その場限りの「楽しかった!」「よかった!」を超えて
「また行きたい!」「もう一回聴きたい!」と思わせる”何か”について。
それは、自分が演者としての場合も、観客の場合も、どちらもある。
その”突き抜けたもの”を掴みたいよね、という話をしていて、
数日前に読んだ岡田先生の文章を思い出した。
『人の心を動かすことができなければ、芸術ではない』所収
岡田暁生「音楽は何処へ 19世紀から振り返る21世紀」
この中で、”音楽の神様が降りてくる”ようなコンサートについて
その判断基準として
「その演奏会が終わって30分経ったときにもうそのことを忘れているか、
それとも二日、三日、ときには一週間とか10日のあいだ、
頭の中で何かが鳴り続けているか」、
つまり、「何かが降りてきて取り憑く」ような体験だという。
この感じ、すごく分かるなーと思いながら読んだ。
その時はそれなりに満足感があっても
家に帰ってくるころには醒めてる時もあるし、
数日間、余韻に酔う、残響が響くような時もある。
とても難しいことではあるけれど、
パフォーマーとしてはやっぱりその”何か”が欲しい。
そして、それは、もう他の皆が上手にやってることにはなくて
自分にしか出来ない何かであるわけで、
それを表現できるようになるために一生懸命になってるわけです。
葛藤はある。
まだ何かの形になりきっていないものでも
出し続けていかなければ、それは”無い”のと同じだ、という考えもあるし、
でも、ありふれて見向きもされないようなものなら
出したって出さなくたって大差ないような気もするし。
それはさておき、
学生時代には本当に苦手だった岡田先生の文章が
最近、すごく腑に落ちる感じがするのは
時の流れをちょっと感じる出来事であったりします。
椿紅静月×松浪千静×豊澤住静
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►演奏予定
7月30日(金) 三味線三昧@京都・天Q
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