自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ソバの花,訪花昆虫たち(続々)

2014-11-13 | 昆虫と花

ソバの花には,ごく小さな昆虫も訪れます。さて,これはなんという名なのでしょう。


これはハナバチの一種でしょう。からだは花粉まみれ。 


腹部が褐色をした昆虫です。チュウレンジバチでしょうか。複数来ていました。 


撮り損ねましたが,まだまだ多くの超小型の昆虫が来ました。狭いプランターに咲く小さな花にどれほどまでに魅力があるのか,接写レンズで迫ってみました。結果,「ほほーっ!」とびっくりするようなしくみが見えてきたのです。蕊の根元にあるたくさんの凸凹。これらが蜜腺の組織であることはまちがいありません。道理で,昆虫たちがわんさか訪れるはずです。

 


小さな花でありながら,準備した蜜を惜しげなく振る舞うことによってソバは高い結実率を誇るようになったのだと思われます。ソバの戦略は大成功だったわけです。 

 


オオヒメヒラタアブの初齢幼虫

2014-11-12 | ヒラタアブ

キクに産付されたオオヒメヒラタアブの卵をいくつか採集して観察していると,それぞれが孵化しました。孵化場面はどれも見られなかったのですが,「それなら,その後の初齢幼虫が見つかるかもしれない」と思い,探してみることにしました。孵化後,3,4日経っています。

とても小さいので発見はできないのではないかと思っていたのに,間もなく見つかったのです。孵化直後白っぽかったからだが褐色がかっていました。体長はちょうど2mmです。


別の茎でも,幼虫を見つけました。位置を変えることなく,その場ですこしばかり姿勢を変えました。

ちょっと頭部を浮かして。


からだを大きく反って,頭を上方向に上げて。いったいなにを感じたのでしょう。餌がほしいのでしょうか。


餌はもちろんアブラムシ。アブラムシが付いた茎をさらに加えたので,まあ大丈夫でしょう。成長するはずです。蛹化までを確認することができたら,生態の観察としては上出来だと思っているのですが……。

 


ソバの花,訪花昆虫たち(続)

2014-11-12 | 昆虫と花

 大きいものから小さなものまで,とにかくいろんな昆虫が送受粉を手助けします。そのお蔭で,わたしたちはソバに舌鼓を打つことができます。蕎麦通である人もまた,ソバの味だけでなく,味の舞台裏で結実にかかわる昆虫の存在にひとときこころを向けてはいかがでしょうか。

ハエの仲間は目立ちます。キンバエかイエバエの一種かと思われます。嗅覚のよさを発揮して,遠くからでも飛来するのでしょう。ペタペタと舐めているようすが手に取るように見えます。

怖いような棘で身を覆うハエも。ハナバエの一種のようです。 


ツチバチの仲間も来ていました。 キンケハラナガツチバチでしょうか。

 
セグロアシナガバチのようです。


多くはありませんが,アリもまた訪問者です。 


暖かい日差しの感じられる日なら,短時間で多種類の昆虫に出合うことができます。ソバは,虫媒花として虫を招き寄せる作戦をうまく展開しています。虫と花の共生・共存がみごとに成り立っている例です。 

 


ルリタテハの成長(5)

2014-11-11 | ルリタテハ

10月15日(水)。朝見ると,褐色が濃くなった感じです。黒ずんできたなあというか。それで,目が離せなくなりそうです。


夜になっても,同じ状態です。いつ羽化するか,まったく予測できません。これまで見守り続けてきたものですから,こうなると,羽化の瞬間を見逃すわけにはいきません。 

  


結局,この夜は一睡もせずに見守りましたが,羽化の兆候は現れませんでした。翌16日(木),おかしいなと思いながら殻に指を触れると,一部がポロッと取れたのです。中にいる成虫が動かないので,もうダメなのかなと思いつつ,さらに殻を開いてみました(下写真)。 

 

 
中の様子がわかって新しい“知”が得られたものの,わたしの判断が早計だったことがわかってきました。成虫はまだ生きていたのです。これにはびっくり。からだがすこし動いたので,それがわかりました。さらに間もなくして,羽化時と同じような格好で外に出てきたのでした。

 


羽化が予想よりもずっと遅くなったのは,今の涼しい時期だからでしょう。それを念頭に置いて,もっと辛抱強く待つべきでした。あるがまま,なるがままにしておくという鉄則を破ってしまったことになります。申し訳ないことをしました。

おしまいに,9月に始まったこの個体の成長をまとめると,以下のとおりです。

  • 孵化……… 9月13日(土) 
  • 脱皮して2齢幼虫に……9月16日(火)
  • 脱皮して3齢幼虫に……9月19日(金)
  • 脱皮して4齢幼虫に……9月23日(火)
  • 脱皮して5齢幼虫に……9月27日(土)
  • 前蛹化……10月 3日(金)
  • 蛹化………10月 4日(土)
  • 羽化………10月16日(木) 

 


ソバの花,訪花昆虫たち

2014-11-11 | 昆虫と花

わたしは時折,ソバを食べます。いつもというほどいただくわけではありませんが,機会があればいただきます。この伝統食はわたしの口に合っています。

このソバが花の盛りを迎える秋,昆虫たちが盛んに訪れます。昆虫がやって来ないと実を結びません。白い色が昆虫たちの目にとまるのでしょう,茎の先端付近にちりちりっと付いていても,たくさんの花が集まるとそれなりの主張が届いてはず。プランター一つ二つが,強烈なシグナルを発しているのにはついつい感心させられます。

匂いは鶏糞肥料のような感じという話があります。しかし,わたしの鼻ではちょっと嗅ぎ取れません。束にして匂ったら,ひょっとすれば微かに匂うのかもしれません。このときの“におい”は,わたしにとって“匂い”なのか,“臭い”なのか,少々気にはなります。昆虫は敏感な嗅覚でパッとわかるのでしょう。もちろん,“匂い”にちがいありません。白い花弁と匂いがうまく合わさって,昆虫たちを招き寄せる巧妙な手になっています。

ひとときの観察をとおして,プランターのソバにやって来て送受粉に貢献している昆虫たちを確認しました。それをご紹介しましょう。

チョウが4種。キタキチョウ,ヤマトシジミ,テングチョウ,ツマグロヒョウモンです。ツマグロヒョウモンについては画像に残すことができませんでした。


ヒラタアブの仲間はいろんなところを訪れる常連です。


ツマグロキンバエもまた,常連。

 

 
昆虫たちはそれぞれに口吻を思いっ切り伸ばしたり,口吻でペタペタ舐めたり。蜜源,葯の花粉に神経を集中させています。 

 


ルリタテハ,脱皮して終齢幼虫へ

2014-11-10 | ルリタテハ

今,幼虫の食草ホトトギスに3個体置いて継続観察しているところです。そのうちの一つが脱皮する瞬間を,運よく写真に撮ることができました。本記事はその報告です。

23時13分。4齢幼虫が葉の裏で,からだをピーーンと伸ばして妙な姿勢をしているのが目にとまりました。よく見ると,頭の色が黄を帯びていました。とっさに,「これは脱皮の瞬間だ!」と直感。

 


23時15分。脱皮がどんどん進んでいきます。真新しい胸脚が現れました。突起は濃い黄色をしています。腹脚の部分は,皮の先が葉にくっ付いて,からだを支えた状態になっています。 

 
23時21分。ほぼ脱皮を終えました。これまで頭部を覆っていた殻が落下していきました。腹脚もまた,真新しい色彩を放っています。


23時28分。なんとか殻を落とそうとしましたが,落ちません。 


23時41分。時間が経過。幼虫は前にすこし移動しました。 その間に,突起が複雑なかたちを見せ始めました。まるで林のようです。


0時09分。 さらに30分後のこと。ずいぶんしっかりした体型になってきました。からだは突起で完全に武装されました。


6時12分。翌朝のこと。初々しさが消え,全体に黒っぽくなってきました。 

 
これで終齢幼虫が無事に誕生しました。葉の裏側で観察できたのはたいへん光栄なことでした。 

 


いろいろな話題,あちこちの出会いを大事にしながら

2014-11-10 | 随想

ブログ開設4年を過ぎました。

まったく気ままに,ひどく偏った内容で,じつに思いつくがままに書き綴ってきました。それに懲りずにお付き合いくださっている皆様に,深く感謝申し上げます。

ブログって,マア,わたしはこんなふうに生きて,こうしてとりあえずは元気に暮らしているという挨拶状かなと思っています。更新できる限り,どうぞ今後とも変わらぬお付き合いをいただきますように……。

ほぼ毎日更新することになると,話題を探すのに苦労じゃないかなと不安になったことがありました。しかし,そんな心配は吹っ飛んでしまいました。気楽に書いていると,意外と話題が続くものだと思います。

昆虫の生態を探ることをたのしんでいると,話題がその視点でどんどん深まり,広がっていきます。でも,無知な自分を自覚することが度々。福祉や教育のことで,地域のことで,いろんなふうに考えていると,あちこちで新たな出会いがあり,自分はまだまだ力不足だと感じます。「努めて自己研鑽しなくては」。そう自分にいい聞かせています。

力不足は力不足ながら,内なる視点を大事にしながら,外の世界ときちんと対峙し,自省と創造を積み重ねようとするこころを失わない限り,日々新しい自分と出会えそうな気がしています。目あてがあるのは励みになるものがあるということなので,今のところ,この調子で暮らしていけそうです。


ブログの日々テーマが一カ月分たまっています。そうすると,たとえば今日の話題が一カ月先の掲載になるということもありうるわけです。実際,イラガの続編は3年先送り,ジャガイモの本実験結果の一部も半年先送り,教育改革の話だって,……。そんなふうなので,「エライコッチャ」と思いつつも,「そうそうきちんとはできないものだ」と多少居直っています。それではあんまりだ,旬が過ぎてしまう,なんて話になりますが,その辺りはわたしの事情でもありますので,ご容赦ください。

今日もそうです。アゲハの庭園でスゴイ目撃をしたのに,ずっと先の報告にならざるを得ないのです。テーマを取捨選択しているものの,なかなかうまくいきません。

懲りずに5年目,お付き合いください。

 


ヒラタアブの蛹(囲蛹)

2014-11-09 | ヒラタアブ

卵殻と幼虫を見つけてから,「これなら蛹もいるのではないか」と思いました。ヒラタアブのそれは,ハエ類と似たかたちで蛹になります。前蛹が脱皮をして蛹に移行するのでなく,幼虫が直接蛹に変化していきます。蛹そのものは二重構造になっていて,囲蛹と呼ばれています。それで,さっそく探してみることにしたのです。

すると,なんとも簡単に一つめが目に飛び込んできました。いやはや,「ヤッホー!」という気持ちです。葉の表面に,それも目の高さぐらいのところにありました。見た瞬間,「これは,これまでにも見たことのある蛹だ」と感じました。名の同定は今のわたしにはできません。ヒラタアブたちは種類がちがっても,よく似た蛹になるなあと感じます。


ほかにないか探しました。ありました,ありました。これも目の高さ辺りです。茎をつかむような感じで付いていました。これはどうやらオオヒメヒラタアブの蛹のようです。

ルーペで観察していて,ごく小さなハチが表面に付いているのを発見。コマユバチのようです。これは寄生バチです。蛹に卵でも産み付けるのかなと思って,しばらく様子を見ていました。しかし,時に動き回るものの,産卵のしぐさは観察できませんでした。観察はできませんでしたが,そこから立ち去らないあまりの執拗さから,寄生バチにちがいないと確信できました。

寄生バチもきっちり生存していかなくてはなりません。それには宿主を見つける能力,そこに巧みに卵を産付する能力を発揮できなくてはなりません。小さくてもその能力はからだの大きさからすれば,大したものです。とはいえ,自分より遥かに大きい宿主を探し当てるのですから,そう困難ではないのかもしれません。

さて,先日採集した終齢幼虫について触れておきます。採集日,幼虫は同じ葉でまったく位置を変えませんでした。ところが,翌朝起きて確かめると,そこにいなくて蕾のすぐ下に移動して,なんと囲蛹に変化していたのです。直線距離にして10cmを動き,そのまま蛹化したことになります。


オオヒメヒラタアブは子孫を残すために,冬支度を急いでいるように見えます。この姿で越冬し,来春を迎えるのです。

 


キアゲハの幼虫の話(続)

2014-11-09 | キアゲハ

この時期昆虫を観察していると,成長の速さがずいぶん遅いなあと感じます。これは明らかに気候に左右されているものと思われます。それで,温かい(暑い)時期に変化するのと同じ感覚で蛹化や羽化を待っていると,必ず当てが外れることになります。

一昨日記事にしたキアゲハもまた,その例の一つです。幼虫が前蛹になっているのに気づいてから,結局一日では蛹化せず,さらに半日以上かかりました。つまり,通常の1.5倍の時間がかかっているのです。


それが楽に観察できる時間帯ならしめたもの。逆なら,ほんとうに苦労します。今回は,ありがたいことにたいへん都合のよい午後7時過ぎでした。その様子について画像でご紹介しておきましょう。何度も取り上げてきた場面なので,簡潔に。

体色がすっかり黄色っぽくなって。

 


皮を脱ぐ直前は,大きくからだを震わせて。皮に皺ができていきます。腹端辺りに注目,です。


頭部上の皮が裂けて。


裂け目がどんどん大きくなって。


脱いだ皮が後部に送られていって。


皮が完全に送られて,全身が露わになって。


全身の激しい動きで皮が落下して。時間が経つにつれて,かたちが変形していきました。


この個体は褐色型の越冬蛹となりました。このまま半年間の眠りに入ります。

 


真に学習者の目線に立った“学び”を

2014-11-08 | 随想

学力の向上,そして朝の学習というわけで,反復練習が盛んです。ひたすらになされるその努力は尊いものですし,たいせつだとは思いますが,気になることがすこし。

ある学校の場合。教室から詩を声高に暗唱する声が響いてきます。声がまったくの一本調子。もうすこし内容を味わい,こころの奥底に届けたいと思う詩なのに,詩が暗唱する道具と化してしまっているようなところがあって,いささかがっかり。ここには,小さな頃にそらんじた事柄はいくつになっても記憶になって残るものだとか,脳を活性化するのだとかといった,一種鍛錬主義的な発想が流れているように思えてなりません。

暗唱をとおして,ほんとうに,子らは詩が好きになっているのでしょうか。

先頃,たまたまその教室で学んでいる子と,個人的に話す機会がありました。「朝タイムで暗記している詩のうち,いちばん好きな詩はなにかな」と問うて,「それを唱えてくれないかな」といったところ,返ってきたのは「そんなの,ないよ」のひとこと。この子からはてっきりきちんと返ってくるだろうと予想していたのですが,これにはいささか拍子抜け。唱えるのが恥ずかしいからそういったわけではありません。まったくないようなのです。

暗唱に力を入れるのなら,指導者は詩のこころを併せて伝えるひとこと,ふたことを付け加えられないのでしょうか。感想を引き出して,子ども同士の内面を軟らかく交流させられないものでしょうか。学ばせたいことが大人の側にあって,それが子らの学びにいつの間にかすり替わってしまってはいないでしょうか。こうした状況では,真の学びは成立していないのです。でも,子どもは学んでいるつもりにさせられています,きっと。

音読して味わう,味わいながら暗唱する,そんな静かなひとときがほしい詩を,勇ましい声で,それも声を揃えてそらんじるなど,わたしには到底できません。たぶん,「さん,ハイ」という形式的な掛け声で暗唱が始まるのだろうと想像しています。

いろんな学び方,学ばせ方があることは承知していますが,詩を学習材としてとり上げるときは,やはりこころの栄養,発達の滋養につながるように工夫を凝らしていただきたいなと感じています。子どもに内面に共感し,主体的な力を底から引き出していくために,学習材を効果的に生かす工夫を重ねていただきたいものです。


話は変わります。過日,知人である,別の学校の校長先生と話す機会がありました。小規模校のよさを生かすために,毎日の下校時,多くの子が集まっている場で一日の反省を数人にしてもらうのだとか。みんなの前で語る,それを聞きとる,そんな伝え合うこころを地味に耕し続けたい,それが職員への小さな刺激にもなるだろう,というような話をなさいました。

学校規模によらず,わたしも同じ試みを続けてきたものですから,共感できる部分が多いと感じました。各種の集会や催しのときも,そうした関係づくりは同様です。この方の学校に率先垂範できる指導者があり,真摯な導きがあることをうれしく思った次第です。

運動会の練習のときもまったく同じです。一方的に教師が指示して練習を繰り返し,子どもになにも語らせないような学びを“学び”とは呼びがたい,そうわたしは感じてきました。そう感じて,先生方に指導の改善をお願いしてきたものです。このことは既に書いたことです。

学習者である子どもの目線をいつも気にかけながら,その内面をかたちづくっている襞に,すこしでも届くようなはたらきかけが求められます。真に子どもの傍に立つには,それを感じる感受性が欠かせません。 感受性が錆び付いてはどうしようもありません。

(注)写真は本文とは関係ありません。