楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

⑦「一日一善」を始めた頃(言うは易し、行うは難し)

2004年09月02日 09時13分00秒 | つれづれなるままに考えること
(「一日一善」を始めた頃)
その昔、学生運動が盛んであった頃の話。
東大もその渦中にあり、安田講堂が学生に
占拠される事件があった。
その学生紛争も真っ最中で、時の東大総長は紛争解決のため、
夜の寝る間もないくらい多忙な日々を送っていたと思う。

そんな最中、時の東大総長のプロフィールが新聞に載った。

モットーは「一日一善」

紛争解決のために超多忙な人が、
毎日一善を心がけているという。
その人の名は、茅 誠司氏。

その「一善の心がけ」に感じてボクの一善が始まった。
もう40年も前のことである。

「一日一善」を始めた当初は、その一善を毎日探した。

そして実行に移すことに抵抗を感じて、
なかなか実行することが出来なかった。

ごみを拾って所定の場所に捨てる。
ただそれだけのことであるが、人目が気になって
なかなか出来ない。恰好良すぎるのだ。

最初のうちは、ごみの前を通り過ぎてしまう。
心で(そんなことで「一日一善」ができるか)
と反省し、元のところへ戻ってごみを拾う。

電車に乗って、杖をついて歩く人を見ても
席が譲れない。
自分自身を叱咤して、その人が通り過ぎたころ、
やっと声をかける。

そんなことが続いた。
今はどうだと言うと、毎日の一善を忘れている。
今日は何をしたのだろうかと思うことがあるが、
よくよく考えてみると、「一善」を実行している。

ただ思い出せないだけで、知らぬ間に実行に移している。
これこそ本物の「一日一善」だとほくそえんでいる。




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