楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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一日一善の心がけ(言うは易し、行なうは難し)

2004年09月13日 10時14分00秒 | つれづれなるままに考えること
(一日一善の心がけ)
「一日一善」を心がけてから、もう40年になる。

一日の内に一善を一回も出来ない日がある。
そうかと思うと一日の内に六善もすることがある。

本来「一日一善」なんてものは、このような形で
人に報告すべきものではない。
黙々と善行を実行していくべきものなのであろう。

ボクが「一日一善」を発表してきたのは、
一つには、Diaryの話のたねが尽きたからだ。
二つ目には、発表することによって、
自分自身に「一日一善」をしなければならないぞ、
と自分を追い込むためだ
三つ目には、誰でもよい一人でも多くの人が、
この文章を見て「自分もやってみよう」と思う人が
出てくることを望んだからである。

芥川龍之介の小説に「蜘蛛の糸」という短編がある。

ある悪人が血の池地獄に落ちる。
阿弥陀様は、血の池地獄でもがく悪人たちを見守る。
そして、
(ある悪人が生前に、蜘蛛が這い出してきたのを見て、
踏み潰そうとしたが、思いとどまって殺さずに、
逃がしてやった善行を)思い出す。

そこで阿弥陀様は、その一善に免じて
悪人を助けようと、極楽から血の池地獄へ
蜘蛛の糸をたらす。

血の池地獄から這い出そうと、悪人は蜘蛛の糸を
よじ登るのであるが、もうまもなく極楽へ着こうという頃、
下を振り向くと、自分の後に無数の人たちが
その糸をよじ登ってくる。
このままでは糸が切れて、自分が極楽へ到達できない。
そこで「お前たちが登ってくると、糸が切れて
俺が極楽へはいけないから、早く地獄に戻れ」と
呼びかけると、糸は切れてその悪人もろとも、
全員が血の池地獄に落ちていく。

と言う話だ。

この物語には、二つの教えが入っている。

一つは、どんな悪人でもどんな些細なことでも
善行を行えば極楽へいける可能性があるから、
生命在るうちに善行を施しておきなさい。

二つ目には、自分さえ良ければ良いという考えは、
良くない。他人に良かれと思われることを実行しなさい。

以上の二つだ。

この教えを心に秘めて、
黙々と「一日一善」を実行したい。

「一日一善」については今回で終わりとし、
PRしたい頃に、また記載しようと思います。

コメント
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