楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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千住大橋と荒川の言い伝え(芭蕉の道を歩く 8)

2009年05月09日 11時17分00秒 | 芭蕉の旅



(大橋と亀)
千住大橋は隅田川に架けられた最初の橋です。
この川は以前荒川とも渡裸川(とらがわ)とも読んでいました。

昔は文字の示すように荒れる川であり、
トラ(虎)が暴れるような川と言われていました。
こうした川に橋をかけることは難工事ですが、
当時土木工事の名人と言われた
伊那備前守忠次によって架けられました。

千住大橋の架橋については“武江年表”文禄三年の条に
「・・・・中流急流にして橋柱支ふることあたわず。橋柱倒れて舟を圧す。
船中の人水に漂う。伊奈氏 熊野権現に祈りて成就す」と書いてあります。

川の流れが複雑でしかも地盤に固いところがあって、
橋杭を打ち込むのに苦労したようです。
そうしたことから完成時には、一部の橋脚と橋脚の間が広くなってしまいました。
ここで大亀の話が登場するのです。

ずっと以前から川の主と言われる大亀が住んでいて、
その棲家が橋の川底にあったので、
打ち込まれた橋杭が大亀の甲羅にぶつかってしまいました。
いくら打ち込もうとしても橋杭は入っていきません。
そうしているうちに杭は川の流れに押し流されてしまいました。
その場所を避けて岸辺に寄ったところに杭を打ち込んだところ、
苦もなく打ち込めました。
しかし、見た目に橋脚は不揃いになってしまいました。
川を往来する舟が橋の近くで転覆するとか、
橋脚にぶつかると大川の主がひっくり返したとか、
橋脚にぶつけさせたと言われています。
船頭仲間でも大橋付近は難所として、
かなり年季の入った船頭でさえ、
最大の注意を払い航行するようになったといいます。

とこんな話だ。良く似た話で、他に大緋鯉の話もあるとのことで、
そのお話が千住大橋の岸壁に書かれている。

その為かどうか解らないが、
現在も橋げたの間隔がふぞろいな箇所もあると言う。
さて、どの部分が広くなっているでしょうか?
(下記URL:をクリックして絵をご覧になり考えてください。
URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2009/05/post_1a59.html)

ボクの季語なしの一句

・語りつぐ 橋は水陸(すいりく) 役に立ち       hidebach




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