(平泉3:世界遺産、無量光院跡)
世界文化遺産の無量光院跡は柳之御所史跡公園の西、
田んぼの中を抜けて出た所にある。
そもそも世界文化遺産に登録されたのは、
平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群で、
無量光院跡、金鶏山、金色堂・覆堂・経蔵を含む中尊寺、
毛越寺、観自在王院跡、である。
「藤原秀衡が、宇治の平等院の鳳凰堂ににならい建立した寺院跡で、
遺跡のほとんどが水田化し、池跡、中島、礎石のみが残っている。
南北に長い伽藍の中心線には東門・中島・本堂を貫いて、
その先の金鶏山と直線で結ばれます。
春秋の年二回、その稜線上本堂の後ろの金鶏山の頂上に朝日が昇り、
逆に、本堂前面には、夕刻となると日輪が下がり、
一日で一番荘厳な落日の一瞬が観られます。
平等院とは違った、極楽浄土を体感できるよう計算された空間である。」
(岩手県教育委員会)
現在も発掘調査が進められており、
将来は池を中心に修復整備される予定だそうです。
(想像される無量光院)

池の向こうに、今も発掘調査中の人が見え、
美しい松林の背景に、
これまた世界遺産に登録された金鶏山が美しさを引き立てています。
「金鶏山は奥州藤原氏によって山頂に大規模な経塚が営まれた信仰の山で、
中尊寺と毛越寺のほぼ中間地点にあり、
平泉を守るため雌雄一対の黄金の鶏を埋めたと言われて、金鶏山と呼ばれる。」
(岩手県教育委員会)
松尾芭蕉も「金鶏山のみ形を残す」と、
平泉には金鶏山だけが形を残していると、
その印象を「奥の細道」に記しています。
(無量光院の池)

(無量光院の池2)

(松の間に見える小山が世界遺産の金鶏山)

松尾芭蕉は、悲劇の武将 源義経を慕っており、次に「高館義経堂」を訪ねています。