松尾芭蕉が「おくのほそ道」で金沢に来たのは、
芭蕉が、まだ一度も会ったことがないけれど、
通称 茶屋新七といって、
加賀では俳句に思わぬ優れた人と、
かねがね噂に聞いていた小杉一笑と言う人に
会いたくて金沢に来たが、
芭蕉の来報を待たずに、
昨年の冬 早世したと聞いて、
すこぶる残念に思った。
芭蕉の来報に、一笑の兄が
追善句会を願念寺で行った。
その願念寺には、金沢駅からバスに乗って
「広小路」で降りると、
すぐ後ろに願念寺への通路が見えた。
細い道を入っていくと門があり、
願念寺に着いた。
(願念寺)
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その願念寺には一笑の塚がある。
願念寺の門を入って、
右手に手水場があり、龍が水を吐いており、
正面に本堂があり、すぐ左手に門塀に沿って、
その塚は立っている。
(願念寺本堂)
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(右手の手水場)
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本堂前には、沢山の靴が下駄箱らしき板に積まれており、
中でいろいろ会話が聞こえるが、何を話しているか分からない。
近寄ると、中の障子が急に開いて、
ダミ声で「何か用か?」と、
誰何されそうで、近寄るのを止めたが、
一笑の塚だけはカメラに収めた。
(一笑の塚)
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一笑の兄が追善句会において、
詠んだ芭蕉の一句、
・つかもうこけ 我泣く声は 秋の風
この句には、「一笑の死を悼む悲しみは、私の泣く声で塚も動け」と
芭蕉の激情が感じられてならない。
(願念寺の門の外の左側に立つ句碑)
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石塔の
左側は「本一山 願念寺」とあり、
右側の石碑には、
「芭蕉翁来訪地 小杉一笑墓所
・つかもうこけ 我が泣く声は 秋の風」
とある。
芭蕉は、次に別の庵に招かれて、
・秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子
を詠んでいる。
この句を見る限り、心穏やかな芭蕉を感じることができる。
芭蕉が一笑の死を悼む句が激情的で、翁の句としては異色です。なぜこのような句を残したのか疑問です。手掛りは、奥の細道本文「暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず」、また曽良旅日記に「不快シテ出ヅ」の文が見られ、北陸路にて芭蕉一行が冷たく非礼を受ける場面があり、対極に、翁を慕う者にはこれほどの情愛をかけるのだということを示したかったのではないかと自分なりに推測しています。