休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

箸墓古墳の周濠を歩く 2023 ②

2023-09-02 23:35:36 | 史跡を歩く
 巻野内石塚古墳からホケノ山古墳までの道のりは、田園の中を残土かと間違うような小さな古墳がポツポツと顔を出す。これらの小古墳、ちゃんと名前があるから面白い。サシコマ古墳などはどういう意味なんだろうかと思う。   ※サシコマ古墳の名称については、明治以前にこの辺りに牛を埋めていたという伝承からこの名がついたら しい。    【サシコマ古墳】円墳 径約13m     . . . 本文を読む
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箸墓古墳の周濠を歩く 2023 ①

2023-09-01 23:49:50 | 史跡を歩く
 今年の2月の末、桜井市の観光協会が主催するイベント、箸墓古墳の周濠を歩くに参加。このイベントは、箸墓古墳に隣接する大池の掻い掘りの際に、池の水を抜いた後に実際に降りて、箸墓古墳を目の前で見ようというもので、このタイミングでしか、墳丘に近づくことができない、一部の古墳ファンには人気のあるイベントである。  これまで、2020年に一度参加しているのだが、その時は、途中から雨が降ってきて、中止となっ . . . 本文を読む
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葛城の国の古墳めぐり おまけ ~柿本神社~

2023-08-24 22:42:46 | 史跡を歩く
 北花内大塚古墳から、新庄駅をめざして歩いていくと、途中、葛城市の役所があり、市役所の建物と新庄駅の間に、柿本神社という小さな神社がある。この神社、万葉歌人、柿本人麻呂とゆかりのある神社であるらしい。  そういえば、この辺りの地名も柿本だ。    石鳥居をくぐって社地に入ると、正面に拝殿がある。この神社は、柿本人麻呂を祭神としている。そのため、拝殿には、三十六歌仙の額が掲げられているのだが、 . . . 本文を読む
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京都寺町通界隈を歩く③ ~本能寺~

2023-07-01 21:33:46 | 史跡を歩く
 三条通を越えると寺町通はアーケード街になる。和菓子屋や古書店などこれまたいろいろな店舗が軒を並べるのだが、所々にシャッターが閉じたままになっているところもある。  昔に比べると人通りも少なくなったような気がする。学生の頃は、この辺りは観光客や修学旅行生でごった返していたのだが・・・。もしかしたらコロナ禍が終わって観光客が帰ってくれば、元の通りになるのかもしれない。  そして、寺町通を下るとす . . . 本文を読む
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冬の大原を旅する③ ~三千院~

2023-06-11 23:46:11 | 史跡を歩く
 宝泉院から勝林院の前を折れて、後鳥羽天皇、順徳天皇大原陵の横を通り、律川を渡って、三千院に向かう。        三千院までは少し登りになっており、両側には近江の穴太衆が作ったと言われる石垣が続いていた。そして、もうお昼だというのにまだ雪が残っていた。いかにも人里離れたわびしい佇まいであった。        三千院については、以前もこのブログで取り上 . . . 本文を読む
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京都~大阪間、ママチャリの旅 ①

2023-04-01 09:19:32 | 史跡を歩く
 京都の大学を卒業した娘の引っ越しの手伝いに上洛。ついで自転車も引き上げないとなということで、京都から大阪まで自転車で行ってやろうと計画。ちょうど娘の住んでいたところは、かつて平安宮の中心施設大極殿があった場所に隣接している。ついでに平安京の南北の大きさも体感してみようと思い立ち、朝11時、平安宮大極殿跡を出発した。    まずは、大極殿跡から、昔の平安京の朱雀 . . . 本文を読む
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「壬申の乱での大和決戦ゆかりの地を巡る」

2023-03-23 23:02:27 | 史跡を歩く
令和4年9月23日(祝)  今年は壬申の乱が1350年という事で、奈良県ではいろいろな場所で壬申の乱に関連するいろいろなイベントが行われている。今回は、桜井市の観光ボランティアガイドの会が主催する歴史ハイキングに参加してきた。  壬申の乱については、少し憶い入れがあり、学生時代に古代史について、面白いなあと改めて再認識したのが、北山茂夫氏の「天武朝」「壬申の内乱」「万葉の時代」だった。そんなこ . . . 本文を読む
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難関古墳をあるく③ ~巨勢山323号墳~

2023-01-26 23:44:15 | 史跡を歩く
 「難関古墳をあるく」の第二弾は、奈良県の御所市にある巨勢山古墳群の一つ、巨勢山323号墳。巨勢山古墳群は、巨勢山丘陵全体に渡って、総数800基に及ぶとされる日本有数の群集墳である。その築造された時期も古く、4世紀末から築造が始まり、群形成のピークは6世紀中ごろと考えられ、最終的には7世紀の中ごろまで築造が続いている。今回の巨勢山323号墳は、この古墳群の最終段階に築かれた古墳である。  かつて . . . 本文を読む
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難関古墳をあるく② ~イノラムキ古墳(後半)~

2023-01-23 23:39:51 | 史跡を歩く
 山道を昇り降りしてイノラムキ古墳の横穴式石室の前に到着した。羨道部の天井石が崩れているため、一瞬、ギョッとするが、意外と全体的に安定している感じだ。    羨道の側壁の石が結構薄いので天井石の重さに耐えきれず崩れてしまったのかな。羨道部と考えられるところは石が崩れて横からも入れる。羨道部側壁は一段のようだ。    墳丘は、東西13m、南北18mの方墳、墳丘を区画するための列石がいくつか残 . . . 本文を読む
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難関古墳をあるく① ~イノラムキ古墳(前半)~

2023-01-22 23:27:21 | 史跡を歩く
 ここ数年、いろんな古墳を捜し歩いてきたが、一定たどり着くのが難しい、見つけるのが難しいと言われる難関古墳もいくつか行くことができた。  ここいらでいくつかまとめてシリーズ化でもしてみようと思う。  第1回目は大阪の東大阪市の生駒山中にあるイノラムキ古墳。ネットでもかなりたどり着くのが難しい古墳として知られている。生駒山中と言っても標高360mもあるような場所にある古墳で、道も完備されていない . . . 本文を読む
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終い天神 ~北野天満宮の縁日~

2023-01-08 12:27:23 | 史跡を歩く
 毎月の25日は、天神さんの縁日ということで、京都の洛中にある北野天満宮は、その時は大勢の老若男女で賑わう。昔、京阪三条から52系統の市バスの乗って通学しているとき、25日の縁日の日は、老人パスを持ったお年寄りたちが大勢、北野天満宮前のバス停で降りていったものだ。そんな中特に1月と12月は、初天神、終い天神という事で一層大勢の人で賑わう。    学生時代、友人の下宿が北野天満宮の近くにあったの . . . 本文を読む
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天理市北部の古墳をあるく③ ~赤土山古墳~

2022-08-04 23:11:25 | 史跡を歩く
 和邇下神社の杜を出て、農村的な雰囲気から一転住宅街の中に入っていく。山に近づいていくせいか少しづつ傾斜がきつくなってきた。  そうこうしているうちに赤土山古墳の姿が見えてくる。    赤土山古墳は、東大寺山丘陵に位置する古墳で、東大寺山古墳、和邇下神社古墳などとともに東大寺山古墳群を形成している。  全長106.5mの二段築造の前方後円墳であるが、古くは前方後方墳とも言われていた。数次に . . . 本文を読む
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天理市北部の古墳をあるく② ~和邇下神社古墳~

2022-08-01 23:46:16 | 史跡を歩く
 櫟本墓山古墳から、国道169号線に出ると目の前に和邇下神社の朱色の鳥居が見える。鳥居をくぐって参道を歩いていくと徐々に周囲の景色が変わってくる。市街地から一気に農村に変わっていくのである。  ものの5分も歩くと左手に、歌塚と呼ばれ、柿本人麻呂像となぜか蛙の石像が置かれているところがある。    言い伝えによると、柿本人麻呂の遺髪を埋めた場所とも伝えられる。    人麻呂像の傍に何故蛙がうじゃうじ . . . 本文を読む
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天理市北部の古墳をあるく① ~櫟本墓山古墳~

2022-07-30 23:59:44 | 史跡を歩く
 近つ飛鳥博物館の特別展に伴う現地見学会に参加、今回は、JR櫟本駅を出発して、天理市の北部の古墳を巡るコースになっている。通常天理市の古墳というと行燈山古墳(伝崇神天皇陵)や黒塚古墳のように山の辺の道周辺の古墳が著名なのだが、そういった古墳よりも位置で言うと北側、時代で言っても、そういった古墳のかなり後に造られた古墳を探訪することになる。  起点は先ほども述べたJR櫟本駅。    いかにもロ . . . 本文を読む
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馬見丘陵の古墳⑱ ~古屋敷古墳・大谷1号墳、2号墳など~

2022-05-05 00:22:14 | 史跡を歩く
 築山古墳の後円部の辺りから、北西の方角に住宅地を抜けていくと、地域の墓地に続く道の傍らに畑地になっていて、樹木が生い茂っている場所の中に、古屋敷古墳がある。    中に少し墳丘らしきものがあるという話であるが、肉眼では確認できなかった。    調べてみると、小型の横穴式石室を持った古墳のようで、須恵器や円筒埴輪片、鉄鏃、馬具などが出土しており、埋葬施設としては木棺が出土している。これらの . . . 本文を読む
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